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アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一

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襲撃



 それは、一方的な暴行だった。
 自分達を見つけたとき、兄のスタミナは完全に尽きていた。
 精根尽き果て、力という力を使い果たし、目の下には隈が出来ていた。
 そして、それは兄ばかりではない。
 突然襲われ一方的な拉致を受けた自分達もまた、屈辱的な扱いを受けた。
 弟は、トイレを我慢出来ず漏らしてしまい、股間が完全に濡れてしまっている。
 自分達もまた、ペットボトルへの排尿を強いられ、食事も水分も与えられず、その屈辱に男達を反抗的な目で見た妹は、酒臭い息を吐く知らないオジサンに殴られた。
 弟は、途中から『泣き叫ぶから』という理由で口にガムテープを貼られた。
 今はかろうじて息をしているが、既に酸欠状態なのか顔色が完全に紫色をしている。
 そして、そこに現れた兄は、今は知らない大人たちに一方的な暴行を受けている。
「コレは誰のせいなんだ?言ってみろ、平田ぁ」
 酒臭い息を吐く男が、集団暴行を受けている兄に訊ねる。
「お前らのせいだろ、糞野郎!」
 顔中を紫色に変色させた兄が、既に完全に塞がってしまった目で男を睨みつける。
 しかし、その眼力に迫力は残っていない。
 その兄に向けて、溜息とともに男はつま先で蹴りを入れた。
 兄が悶絶する。
 その兄の襟首を掴んで、男が酒臭い息を吐きかけた。
「違うよな?…オマエのせいだろ?平田君よぉ。お前らの所為で人生狂っちまった人間が、コレでどんどん増えてくなぁ」
 最早どこが頬骨なのか分からない兄の顔を、その拳でガシガシと殴り続ける。
「お前が俺の人生狂わせて、大学に内定してた三年生達の人生を狂わせて、妹と弟、それから両親の人生も狂わせてるんだよなぁ?ん〜、俺の言ってること、おかしいか?俺の指導、分からないか?」
「て、てめぇ…が、始めたことを。他人の責任にしてんじゃねぇよ」
 健がそう言った直後、もう一発拳が入る。
「分からないんだなぁ、お前には。分かってもらえないなんて、俺は教育者として悲しいよ…。どうしてこんなに悪い子が出てきちゃったのかねぇ…」
「てめぇのどこ…ガッ!?」
 台詞は最後まで言えなかった。
 健の口からは血が溢れ出し、悶絶する。
「もおう良いやぁ。分かってもらえれば、こんなことにはならなかったのになぁ、平田君よぉ。さぁて、教育的指導の時間だ」
 男はスーパーの袋からはちみつのチューブを取り出す。
「俺は教育者だからよお。責任持って妹さん達の性教育もしてやるぜぇ」
「桑原さん…それは」
「うるっせぇんだよ!!」
 止めに入った男が、酒臭い息を吐く男に殴り飛ばされる。
「俺だってこんなことしたくはないさ。でも、仕方ないよなぁ。平田君は自分が人の人生狂わせてることを理解してくれないんだから」
 男はパックを開けると、はちみつをひと舐めして野卑な笑顔をこちらに向ける。
「ここまでしなくちゃ、自分が悪いってことを分かってもらえないのかねぇ」
 何をされるのか分からない恐怖に、明日香の心が震えた。


 バブル期に操業していた工場跡。
 そこが彼らの根城だった。
 祐一がそこにたどり着いたとき、中からは間断ない殴打の音が聞こえた。
 こっそりと覗いてみると、健が既に立ち上がれない体で中年の男に暴行を受けていた。
 その言葉のあまりの身勝手さに、祐一は僅かに眉を顰める。
 だが、それも想定内だ。
 相手をいたぶる為に吐く暴言にしても低次元すぎるが、残念ながらその手の輩は世の中に幾らでもいる。
(あれが、桑原…)
 周囲に人の影はない。
 中にいるのは、平田兄弟の四人を除けば格闘技を齧っていそうな奴が九人、情報通りだ。
(明日香ちゃんと遥ちゃんがあそこ…優は)
 祐一が位置を確認するために角度を変えると、失禁したままの優が後ろでに縛られ、口をガムテープで塞がれて項垂れている。
 子供の小さな鼻では、アレでは酸欠になる可能性が高い。
 時間が無いことを、祐一は再認識した。
(裏から回る…)
 正面には健を囲んで男達がいて、その更に奥に妹たちと弟がいる。
 健に視線が向いている今なら、裏から侵入することが出来るはずだ。
 祐一は裏に回り込んで、荷物から油を抜き取り、錆びたドアに差してから音を立てないよう慎重に、人間ひとり分だけの隙間を開ける。
 幸いにして、誰かが気付いた様子はない。
 影から祐一が顔を覗かせると、我慢の限界に達したらしい桑原が明日香ににじり寄るところだった。
 祐一は手近に落ちていた大きめのナットを、力一杯桑原の額に向けて投げつけた。


 明日香の身体に野獣の手が及ぼうとしたその瞬間、明日香の後方から飛来した何かが野獣の額にぶち当たった。
「ぎゃぁっっあぁあ!??」
 野獣がもんどり打って後方にに回転ほどしてから、のた打ち回る。
 その隙に、後方から何者かがやってきて、明日香の手足の自由を奪っていたロープを切り離した。
「誰!?」
「警察です。君はこれで他の兄弟の拘束を解いて。鋭いから、怪我をさせないように。俺はお兄さんを助ける」
 黒ずくめの『警察の人』がそう言ったきり、明日香に十徳ナイフを手渡して走り出す。
 助かった。
 と思うより先に、明日香は隣にいた遥の拘束を解いていた。
「マーっ!!」
 遥は真っ先に弟に駆け寄ると、ガムテープを外す。
 荒い息、顔色を完全に失いながらも、呼吸を取り戻した弟は荒い息をついた。
(良かった、生きてる…)
 明日香は安心して、優のロープを切る。
 『警察の人』はいつの間にか兄を取り戻していた。
 そして明日香に携帯電話を手渡す。
「二人とも、大変だろうけど、お兄さんを運べるね?大きな道に出たら、救急車と警察に電話するんだ。出来るかい?」
『はい!』
 一も二もなく、答えていた。


 祐一の行動は一気に加速した。
 明日香に十徳ナイフを手渡し、遥と優の解放を指示すると、そのまま驚愕の体でこちらを見ている空手部OBと思われる男達に、力任せにタックルを加える。
 正面にいた男が一人、その隣にいた男も余波を受けて吹っ飛ぶ。
 素早く健を持ち上げると、そのまま残る兄弟のところへ一気に跳躍し、彼らに健を預ける。
 それと共に、ポケットに入れておいた使い捨ての携帯電話を渡して、救急車と警察に電話するよう指示する。
 双子の反応は非常に良く、明日香は携帯を片手に、遥かに至っては優を抱きながら反対側の肩で健を支えていた。
(いけそうだ)
「出口までは俺の傍を離れないで。そして出口に着いたら、こちらを振り返らないように」
『はい!』
 またも、双子の反応は良い。
 ゆっくりと、重そうにしながらもしっかりと兄と弟を運んで行く。
「け、警察!!」
「今更、一人で来やがって何だってんだ。応援もなしに俺らから逃げられると思うなよ!」
 一人が啖呵を切ると、男達は一斉に『今更後戻りができない』事に気付いたのか、祐一を中心に半円形を作るように囲んでくる。
 双子たちを、壁際を歩かせるようにしているため、完全には囲めないのだ。
 それを庇って活動出来る分だけ、一人だとしても祐一には有利だ。
「ゆっくりで大丈夫。慎重に、確実にね」
『はい!』
 双子は慎重に兄と弟を運んで行く。