小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一

INDEX|17ページ/83ページ|

次のページ前のページ
 

実家にて −二ヶ月前−



「不服か?」
「は?」
 道場で鍛錬を終えた少年を見守っていた祖父は、唐突にそう言った。
「お前がこの家を出たがっているのは、この数日のお前の不抜けた鍛錬を見とればよく分かるわい。“気”が完全に揺らいどる。しかし、お前は本来『分家』であるウチの嫡男になることが決まった。大学を卒業したら『本家』の助けとなるべく、に仕えるべき身。軽々にお前の思うようにさせるわけにはいかん」
 出た。
 旧家の特殊なシステム。
 『本家』の子供たちが定めた嫡男に『分家』の嫡男がついてサポートし、残りの『本家』『分家』の子供達はその意思に乗って生きることになるシステム。
 例えば、少年の家は『分家』で父親は嫡男では無かったが、『本家』の意志に従って外務省勤務になった。
 次の嫡男は自分を含め、従兄弟たちの中から選ばれることになっていたが、自分は従姉妹たちの中ではあまり優秀とは言えない方だったと理解しているので、『分家』の長が自分を改めて指名するようなことはあり得ないと思っていた。

 の、だが。

 祖父を継いで当主となった叔父(つまり、父の弟だ)は、少年が帰国すると態度が一変。
 帰国早々に、自分の子供達や、それまで有力と見られていた他の従兄弟ではなく、少年を『分家』の嫡男に指名したのだ。
 コレを不満に思うな、というのには無理がある。
 叔父はさっさと自分たちの子供に家を継がせるべきだったと思うし、余計な火種になったという点では、この数年の努力を全く無駄にされた気分だ。
 鍛錬に気合が入っていないと言われても仕方ないが、実際どうしたところで気合を入れて稽古など出来るわけがない。
 流石に気になって調べてみたところ、『本家』に影響力の有る『ある人物』の目に止まったことが、嫡男になったことの原因らしい。
 要するに、あらゆる場において自分の名前を出せば『ああ、あの』となり、その時の体験を語ることが色々なことに役立つ、『取っ掛かり』を持っている人間だということが評価されたわけだ。加えて本人は二年間近くの『人質生活』の経験があり、イギリス大使館に自分の事情を説明出来るほどには語学に堪能で、精神的にタフであることが見込まれる。
 その部分を伸ばそう、と考えるのは、ある意味では正しい判断であると言えなくもない。
 本人にその意志があれば、の話だが。
(せめて、他の候補と勝負くらいさせてもらえればなぁ)
 少年は『トランスレイション』というイカサマ的能力により、語学においては既に専門用語以外には『ほぼ覚えることはない』が、一方で『敢えて下手に喋る』事もできる。
 『色』として認識され、無意識にそれに合わせてしまっている単語の響きを、敢えて乱せばいいのだ。
 故に、或る民族相手には『その部族の訛り』を利用して話し掛けることで、取っ掛かりを得ることも少なからず有った。
 知らない相手に対して同じ訛りで話し掛ける、というのは、少年自身が思っていたよりもかなり大きなメリットなのだ。
 簡単なことだ。
 今回はもし誰かと比べてくれるのなら、『その逆』をすればいい。
 とはいえ、叔父の子供たちは英才教育を受けているにしても、まだ長男も中学に上がったばかりで、比較対象としては明らかに不十分だ。
(あ、居たな。一人)
 稽古場にありながら、視線を巡らせると、従兄弟達の中では評価の高い一人の男がいた。
 祖父の子供たちの中では長兄にあたる伯父の息子で、二十二歳。
 大学を卒業したら財務省勤務になることが決まっている従兄弟だ。
 彼こそが一番不服を持っているであろう人間で、年末年始に必ず集まる一家の長兄として、慕うに値する人物だった。
「佳兄、何とか言ってよ」
「…俺に言われてもなぁ」
 『佳兄』
 そう呼んだ人物は明らかに感情から不服を示す灰色の空気をにじませながらも、表面上は取り繕ってそう答えた。
「大体さ、叔父さんもアキ達が成人になるまで決めることでもないのに、何で今決めるわけ?爺ちゃんが止めるべきだろ」
 『アキ』
 とは今の当主である叔父の息子で、八歳になる。
 本来ならば、彼が成人するときが、次の当主が決定する時の筈だった。
「お前、この爺が止めなかったことがおかしいと思っとるのか?」
「思うね。寧ろ爺ちゃんの言うことしか叔父さんは聞かないんだから、爺さん以外の誰が止めるんだよ。若いヤツが間違ったことをしたときにそれを止める。その為の『先代』だろ」
「お前は、本当に…」
「おい、お祖父様に対してそんな口の聞き方はそろそろやめろ」
 『佳兄』が制止に入る。
 だが、祖父が逆にそれを遮った。
「今まで誰もがヨシが継ぐもんじゃとそう考えてきたとして、お前のように堂々とそれを指摘したもんがこの場におったか?ヨシ、決まった時も、今も、お前自身がそれを言わなかったことが、ヨシが選ばれず、ユウが選ばれたことに儂が反対しなかった理由じゃ。ヨシも、アキもそうじゃが、今代の子らは上から言われたことを素直に受け入れすぎる」
 祖父が禿頭を掻きながら苦々しく答えた。
「儂らは『分家』ぞ?『本家』が間違いを起こしたときに、正面を切って『違う』と言うためにおるのじゃ。それを知らずして何が『当主』じゃ」
 ふざけんな。
 思考が聞こえてきそうなほどの『色』が見えた。
 当然『佳兄』からだ。
 だが、怒っているのは『佳兄』だけではない。
 自分の中から『それはちがうだろ』と思うのが止められなかった。
「随分都合のいい物言いじゃねぇの。一番怒ってるのは佳兄なんだ、そんなの当たり前だろ。爺さんが言うと信じてたから黙ってたんだ。その爺さんが言わないから序列的に下になる佳兄は黙るしか無かったんじゃねぇか」
「ユウ、いいんだ。言われるまで俺も自分の気持が整理出来ずにいた。それを言葉にしなかったことがいけない。それも間違いない」
 『佳兄』は先程までの怒りの『色』が無かったかのように大人しくなってしまった。
 瞬間的に怒りを覚えてしまったものの、そこが自分に足りないのだと理解してしまったのだ。
 これで『佳兄』に押し付けるのは、もう、無理だ。
 何より『佳兄』本人に、その気持が失せてしまっている。
「ほう、では、どうしても気に入らない、と?」
 祖父の目が細められる。
 明らかに何かを企んでいる『色』が少年には視えた。
 だが、今は思っていることを言う気分の方が勝った。
「気に入らないと言うか、なる気がないね。従兄弟達の長兄として今まで頑張ってきた佳兄や、叔父さんの長男として頑張ってるアキを、あまりにもバカにした話だ。筋が通ってない」
「分かっておる。この爺も、確かにヨシやアキに筋が通らないのも、お前がそういう子なのも十分理解しておるよ」
 祖父は言いながら、床の間に置いて有ったタバコを手に取る。
 そして、一本取り出して火を点けてから、こちらを睨めつけた。
「…賭けをしよう」
「賭け?」
 少年は首を傾げる。
「高校入学から卒業までの期間…いや、正確には、大検のある時期まで。お前が儂の手から逃げおおせればお前の勝ち。儂の手のものがお前を発見し、この家に連れ戻す事ができたら儂の勝ちだ」