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和尚さんの法話 『 世間と出世間 』

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世間というのは、これは仏教の言葉です。
世間というのは一般の人々の立場ですね。それに対し
て仏法の立場というのは、そこから出た世間の仕来た
りとか考えとか、そういうものを捨ててしまって、別
の仕来たり、別の考えの世界へ入っていくということ
ですね。

要するに出世間というのは、仏法の世界。世間は、非
仏教の世界。こういう分け方ですね。
この世間の、一般の仕来たりとか、考えとか、行動と
か、それで事足りるなら、なにもあえて仏教というも
のは要らんわけですね。
それが、どうしても仏教というものが要るんだという
ことは、世間の建て前は、要するに損とか、徳とか失
ったとか、こういう世界ですよね。

ところが出世間というのは、そういう世界を捨ててし
まった、超越してしまった世界ですね。ですから相容
れない。
ですから世間のことだけで何もかも事足りるなら、な
にも仏教というものを新たに説いて人に勧める必要が
無い。
ところが世間はこのままではいかんのだと、もっとこ
ういう世界があるんだと、そういう世界に一般の世間
の人は気が付かん。だからそういう世界を知らすんだ
という意味で、お釈迦さんがこの世へお出ましになっ
た。こういうことですね。

ですから皆さんはお話しをお読み下さってるので、仏
教に馴染んで下さって仏縁のある方ですから、抵抗な
しにお読み下さってると思うのですが、全く仏教の話
も聞かない人が急に言われたら、全くその非人間的な、
世間に通用しないたわ言のように思える。
それがだんだんと仏縁というものに馴染んできて、話
もいろいろ聞いてきて、出世間という世界があると、
そういう道があると、話を何回も聞いて馴染んできま
したら、ああ、なるほどなるほどと分かって頂けると
思います。
お釈迦さんは出世間の方で、一般は世間の方ですね。
その考え方が違ってくる。

皆さんお経といいましたら般若心経とか、或いは阿弥
陀経とか、こうしたら救われる。
こうしたら煩悩が無くなるというようなお経ばかりだ
と思われるでしょうが、そうじゃなくて、物語的なお
経がたくさんあります。
それを弟子たちが、お説教なさるその場その場を、お
釈迦さんが言うたことだけじゃなくて、世間の人が問
う。それに対してお釈迦さんがお答えになる。
それを客観的に書いていく。バラモン曰く。世尊応え
て曰くと。こういうふうな形で展開していきますね、
そのひとつの場面が。そういうお経があるんです。
それがお経として伝えられてきて、今我々が今読んだ
ら、ああ、世間の人はこういう考え方か。お釈迦さん
が説く仏教というのはこう考え方をするんだというの
が物語として読んでみると分かる。
色即是空、空即是色というお経じゃなくてね。
そういうふうな形のお経がたくさんあるわけです。


「三宝」

物語的になって自ずからそれを読んでいくと得られるもの
がある。
其の中のある部分を、ご紹介をしたいと思うのです。

この仏教が、インドに広がる前からバラモン教というのが、
今でもあるのでしょうかね。
在家宗教で夫婦で、今は仏教も夫婦ですけれども、当時の
仏教は独身主義でしたね。
然しそのバラモンという宗教は、仏教以前からあるんです
けれども、在家宗教で夫婦で信仰してた。
そのバラモンの中から随分、仏教の坊さんに入ってきた人
があるわけです。
或るバラモンがありまして、そのバラモンには八人の子供
があった。
その子供が、次々と亡くなっていくんです。亡くなってい
ってとうとう六人が死んだ。
それで以って、その奥さんが、狂乱してしまうんですね。
あまりの不幸に、なんで私の子供だけが死なんならんのだ
と。というようなことで半狂乱になってきた。
そして身もあらわの格好で市中へ彷徨していくんですね。
道をうろうろと歩いていきますと、向こうからお釈迦様が
お弟子さんを連れてお見えになるんですね。
半狂乱ですから恥ずかしも何もない、肌もあらわですから。
それでお釈迦さんが、あの者に衣を着せてやれと。
阿難が衣を持っていって着せた。
そしてお釈迦さんがだんだん近づいて、その女の前に行く
と、忽ち正念に返ってしまうんですね。

お経の一部分でこうなってます。

「時に世尊遥かに之を見よ、阿難衣を持って覆わしむ」
そして忽ち正念に返って、そしてそこで仏縁があるという
ことをお釈迦さんはちゃんと分かってた。この女性は仏縁
が深いんだ、宿世からの仏縁だと。

正念に返って、説法もちゃんと聞くことが出来ますから、
「説法の座に連らなしむと。」
いうことで、阿難に連れられて教団の後についていって、
そして説法の座へ入っていくわけですね。

そこで、まず三帰戒というのを受ける。
仏門に入るわけですね。
三帰戒というのは、南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依
僧。
この三つに帰依するから、三帰戒というんですね。
これは一番最初の受戒ですね。
この帰依僧の僧というのは、舎利弗とか観音様とかお地
蔵様とか、そういう方々。
三界を出た人ですね。
そういう方を帰依僧というんですね、そういう方々は未
来は必ず如来に成っていく。
そして我々凡夫を救うて下さる方々です。そういう方々
に帰依する。
南無帰依仏、両足尊(二本の足で立つ一番尊い人)
南無帰依法、離欲尊(法というのは我々の煩悩を断ち切
る一番尊いもの)
南無帰依僧、衆中尊(僧というのは人間の中で一番尊い
ものですね)

この三つを三宝といって三つの宝といいますね。
お葬式をするときに、受戒とかご受を全く受けて無い人も
あるわけです。それで和尚さんは、亡くなった方は受戒を
受けた方ですかと聞くそうです。受けてるというと、必ず
名前を貰ってあって、それを戒名というのですね。

受けてなかった方には、
「願従今身 尽未来際 南無帰依仏境 南無帰依法境 南
無帰依僧境」
これを三回称える。形式として授けるそうです。

そこでバラモンの妻が、三帰を受けるわけです。
「妻忽ち正念に返り、世尊の説法の座に連らなしむ。
この妻、仏縁重厚なり(前世での仏縁が非常に深く厚い)
そして三帰戒を授けて優婆夷となる」
男の在家の仏教信者を、優婆塞。女性の方を、優婆夷。
仏教に四衆とあって、比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。
比丘。比丘尼は、出家の男性と女性ですね。
比丘は坊さん。比丘尼は尼さん。
これを四衆といいますね。

そしてその場で、お釈迦様の説法をお聞きして、心に本然
として悟りを開くわけです。
そして家へ帰って普段の生活が続いていく。
そしてまたどれ位かたちまして、七人目の子が死んだんで
す。
八人の子があって、六人が死んだ。そして今度は七人目の
子が死んだ。
ところが今度は、前のように嘆いたり狂ったりしないんで
すね。
そしてその夫が、お前は六人を死なせてあのように悩み、
あのように狂乱したが、今度もまた七人目が死んだが、ど
うして平然としているかと聞いたんですね。
お経のなかのその奥さんが言うたことを引き抜いてるんで
すけれども、そこのところを言いますと、こういうふうに
応えてるんですね。

「自尊数千(自尊というのは、子供とか孫とか。数千とい