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Higher and Higher (前)

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浦部Ⅰ



 全長一五九センチ。坊主をやめれば一六〇にとどくのではないかと、髪の毛を伸ばして、エースを下ろされかけたのは二年の始めごろの話だ。
 浦部は、自分より背の高い女がきらいだ。どのくらいきらいかというと、浦部より前のの打順のバッター相手には大きい当たりを恐れて敬遠するくせに、浦部の打席になると、とたんにキャッチャー・ピッチャーともどもしっかりと構える相手チームのバッテリーくらい、きらいだ。そういうやつらほど、打席に立つと、浦部の球をバッドに掠れさせることもできない。
 よって、保険医の向井美月には、ボテボテのヒットくらの嫌悪感を持っていた。
「……氷ください」
「はいはい、氷水ね」
「氷嚢でいいです」
「そんなに腫らしてるんだから、授業始まるまではつけときなさい。教室行くときに氷嚢持たせてあげるから」
「いいです」
「だめ」
 いいって言ってんのに。浦部はげんなりしながら、グラウンド側の入り口から保健室に入った。
 向井は冷凍庫から氷を取り出して、桶の中にぶちまけている。その後ろ姿は、傍目にはとても教師には見えない。金髪に近い茶色に染めた髪を顔の横でくるくると巻いて、どの生徒より短いんじゃないかと思うタイトスカートからは網タイツに包まれた足が伸びている。唯一、真人間らしく見える白衣も、今朝はまだ身につけていない。
 浦部が丸椅子に座って待っていると、水を入れた桶を持ってきた。「よいしょ」と赤いチェックのテーブルの上に置く。
「ありがとうございます……」浦部はボソボソとお礼を言って、桶の中に右肘を入れた。
 熱を持ってこわばっていた筋肉がほどけていく。水の中で揉んだり押さえたりして、具合を確かめた。
 向井は隣に座って、それをじっと見ている。
「いい感じ?」
「悪くはないんじゃないですか」
「そう」
 浦部が顔を上げると、テーブルに肘を突いて手の上に顎をのせている向井と目があった。にやーと破顔される。
「……なんですか?」
「いや、慎吾くんかわいいなーと思って」
 でたよ。浦部は、のぞき込むように顔を近づけてくる向井から、上半身ごと顔をそらした。肘が水から出てしまって、あわてて戻す。
 向井の顔は近いままだった。後ろ姿が教師らしくないなら、顔は人間らしくない。厚く化粧が施された顔面は、つくりものめいてマネキンのようだ。
「ちょっ、近いんだよ 離れろ」
 向井が瞬きをするたびに偽物の睫が頬に触れそうになって、浦部はたえきれずに、向井の肩を押した。さきほどから、花と腐りかけた果物のような臭いが鼻をついていた。香水だろう。
「冷たいなぁ」
「あんたがべたべたしすぎなんだ」
 向井は言われたとおりに、他の椅子と椅子との間隔と同じくらいには距離を置いた。わざとらしく手で顔をおおって肩を震わせる。浦部はうんざりした。
 浦部が所属する野球部は、テスト休みに入った今日も、朝練習があった。昼のミーティングも授業後の練習もある。野球部がテスト休みになるのは、テスト前日だけだ。
 ピッチャーをやっている浦部は、肘が炎症を起こしやすい。生まれつき間接がぐらついていることもあって、練習後にはこうして、保健室に来て冷やさなければいけない。
「あー、そういうこと言うんだ。ここに来てること、マネージャーの子に言っちゃうよ?」
「教師が生徒をおどすのかよ」
「教師じゃなくて、保健医だもん」
 向井は総一郎の頬を人差し指でつつく。浦部が肘なんて放っておいて逃げ出したくなってきたころ、登校時間の終了を告げる鐘が鳴った。あと五分したら本鈴が鳴って、それまでに教室に入らなければ遅刻の扱いにされてしまう。
 浦部がほっとして立ち上がる。向井は唇をとがらせた。
「もうちょっと練習を早く切り上げたらどう? そうしたら、ゆっくりしていけるのに」
「バカ言わないでくださいよ。なんのためのアイシングですか」
 浦部が濡れた肘を首にかけていたタオルで拭いている間に、向井はブツブツ言いながら氷嚢に氷を詰めた。
「ほら、敬語になった。よそよそしいから、いやなんだよね」
「教師に敬語を使うのは当たり前でしょう」
「さっきはタメだったじゃん。それに私は……」
「教師じゃなくて保健医だから?」
「そうそう。わかってるじゃなーい」
 向井は浦部に氷嚢を渡して、顔を近づけた。浦部がぎょっとして動けないでいると、耳元でクスリと笑って、頬に軽く唇を押し当てられた。
「な、なにすんだよ!」
「早くよくなるように、おまじない」
「そんなんでよくなるか!」
 とび退いて保健室のドアに張り付いた浦部に、向井はチロリと赤い舌を出した。浦部は顔が赤くなるのを感じた。
「信じらんねぇ……あんたそれでも大人かよ」
 向井が何か言おうとしたが、浦部はそれを聞かずに保健室を出た。どうせ、「保健医だから」と無茶苦茶なことを言うのだ。
 浦部は、肩を怒らせて教室に向かった。途中で氷嚢を肘に当てていないことに気づいて、あわててあてがう。
「……」
 氷水につけていたおかげか、肘の痛みはだいぶひいていた。そのかわり、頬が熱い。氷嚢を頬に当てると、中で氷がゴツゴツとぶつかり合って音を立てた。

作品名:Higher and Higher (前) 作家名:春田一