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阿佐まゆこ
阿佐まゆこ
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人生の、夏

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4

高速道路を使って三時間。辿り着いたのは藤沢だった。母は藤沢駅近くの駐車場に車を停めると、ここからは電車よ、と言った。

 江ノ電の藤沢駅は、どことなく現代の日本では無いような、不思議な佇まいであった。レトロとか懐古、そんな言葉は当時の私からはすんなりとは出て来なかったけれど、なんとも言えない懐かしさを感じた。とにかく紺色の浴衣姿の母と、田舎の中学の、もう何十年も変わっていないというセーラー服を着た私は、その駅の風景によく似合っていたと思う。
「鎌倉で降りるわ、笠井さんのお家を貸してもらうから」
渋い緑色の、丸みを帯びた小さな電車がホームに滑り込んで来ると、母は言った。
「車で行っても良かったのよ。でも、この駅なかなか良いでしょ。」

 地元から三時間、既に日は落ちていた。海が良く見えるというその電車の車窓はただ黒々として、私と母と、まばらにいる乗客の姿が映るばかりであった。車内には、私と同年代の少女達が乗り合わせていた。部活帰りなのかところどころ擦り切れた大きな鞄を持ち、Tシャツもジャージもごつごつとしたスニーカーもうっすらと土埃に覆われているように見えた。私は時々彼女達を見て、彼女達も時々私達を見た。彼女達はお互いに顔を見合わせて、声を潜めてお喋りを続け、時折声を上げて笑った。

 極楽寺という、印象に残る名前の駅で彼女たちは降りていった。私はぼんやりとその、空席になったあたりを眺めていた。瞬きもせずに眺めていると、ぽたりと涙が手の甲に落ちた。あの少女達の中の一人に私もなりたいと思った。鎌倉に着くまで、私は一言も話さず、静かに電車に揺られていた。

 笠井さんというのは、当時私の「お父さん」だった人で、私が中学に入ってから大学を卒業する頃まで母と一緒に居た。地方と首都圏で仕事をしており、首都圏で仕事をする時に過ごす家が鎌倉にあった。お父さんとは言っても、私が笠井さんに会ったのは約十年の間でも片手に余るくらいの回数であった。私は母のことが好きだったけれど、母の恋人との関わり方には始終頭を悩ませていた。母はもう世界のどこにもない自分の家庭の幻想を捕まえるかのようにして、自らの恋人を私の前ではお父さんと呼び続けていた。私がまだ完全に子供だった頃はそれでも良かった。しかし次第に母が敢えてお父さんという言葉を使うのが、私には辛く感じるようになっていった。私にとって父親は初めから居ないもの。けれどいわゆる私の遺伝子上の父は必ずどこかに存在するわけで、完全に否定することのできない父という幻影に私は苦しまなければならなかった。そして時折現れる「父」の名を騙る男たちが、私を一層混乱させるのであった。私は彼らとはできる限り関わらないでおくという姿勢をとるようになった。おそらく母の恋人にとっても私は存在しない方が都合が良いに違いないと思い、お互いにとって距離を置く事が最も良い方法に思えた。

 笠井さんの家は、鎌倉駅から少し離れた所にあるごく普通のマンションだった。部屋に入ると、母は自宅に居るのと変わらない様子でずんずん奥に進み、寝室のクローゼットを開けた。クローゼットの中は母の服でいっぱいだった。私は小学生の頃に、密かに母の服を着て遊んでいたことを思い出した。中学に進む時に、それらの服を全てあげるとは言われたものの、私は実際に母の服を着て外へ出たことは一度もなかった。もちろんそれは中学生には華美すぎるもので、何も母だって私がすぐにそれらの服を着るとは思っていなかっただろう。だいたい中学生の頃の私は、洋服に興味を持たなくなっていた。同年代の女の子が関心を持つようなお洒落にも、興味がなかった。何かと人目を惹きつける容姿の私には着飾る必要は無く、野暮臭いセーラー服を着ているぐらいが丁度いいのだと当時は思っていた。

 母は浴衣から黒いノースリーブのブラウスとベージュのクロップドパンツに着替えると台所へ行き、エプロンを着けた。私は驚いてその様子を眺めていた。母が料理をする姿を、しばらく見ていなかったのだ。
「一週間休みをとったの、あなたもよ。」
流しの下から包丁を出し、野菜を刻みながら母は言った。どういうこと、と私は尋ねた。
「昨日、学校から呼び出されていたの。とりあえず一週間休ませますと言っておいたわ。だから心配しないでいいのよ。しばらくここでゆっくりしましょうよ。」
そう母は言った。私は居間のソファに沈み込むようにして座った。とりあえず今は大丈夫という安堵感に包まれるのを感じた。そして着替える為に寝室に行った。母のクローゼットから、渋い色味のマキシ丈のワンピースを選んだ。セーラー服をハンガーに掛けて、クローゼットの隅に置いた。それはまるで、私の人生には何の関わりもないもののように見えた。
作品名:人生の、夏 作家名:阿佐まゆこ