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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ

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 ティリーはおもむろに手を挙げた。いつ取り出したのか、左手には分厚い魔道書が収まっている。ページがめくられ、魔法陣が出現し、魔力が空気をざわめかせた。瞬いたのは、魔力が見せる赤い閃光だ。そして。
 神殿の深い闇の中に深紅の炎が生まれた。ヒカリゴケよりも明るいそれは目の前のアルベルトに襲い掛かり、爆発する。踊るように渦巻く炎。そこから生まれた熱波が駆け抜け、火の粉が飛び散った。
「ティリー!? 何のつもり!?」
 第二撃を放とうとした彼女の腕をつかみ、リゼは今の攻撃の理由を問いただした。アルベルトに対して魔術を、それもあんな大火力の火炎術を使うなんて。直接浴びたわけではないリゼすら火傷しそうになったのだ。直撃したらどうなるかなんて考えるまでもない。
 敵がいたのか? 何か意図があったのか? ティリーは意味もなくこんなことはしないはずだ。しかし、彼女の口から告げられたのは思いがけない台詞だった。
「誰!? 貴女も悪魔祓い師ですの!?」
 その言葉と共に再び魔法陣が打ち出され、洪水のような炎が溢れ出た。上と左右から迫り来る炎。避けるのも間に合わない距離だったが、リゼは焦ることなく、左手をあげた。
『白銀の息吹を』
 輝く冷気が巻き上がって炎に激突した。火の粉と氷の欠片が散り、蒸気は白い霧に変わる。至近距離での魔力の爆発に、さすがのリゼも手を離して後ろに下がった。
『燃え滾る炎よ!』
 ティリーは自由になった手をあげて新たな火球を生み出した。それが放たれる直前に、分厚い氷壁がリゼの前に張り巡らされる。火球は氷壁に激突したが、小さな欠片を飛び散らせたのみで打ち破るには至らない。
「一体何を言ってるの? 私が悪魔祓い師だなんて」
 そうじゃないことはよく知っているはずではないか。それなのに『悪魔祓い師か』などと聞くなんて。いや、そもそも、
「――『誰』ですって? 何の冗談よ」
 返事の代わりに、足元に魔法陣が広がった。とっさに範囲外へのがれた次の瞬間、魔法陣があった場所が轟音と共に大きくへこむ。間髪入れず足元を魔法陣が奔り、石の槍が突き出した。避けても追いかけてくる石槍が身体をかすめて傷をつける。目前まで迫った一本を氷刃で打ち砕き後方に宙返りすると、すぐそばまで近付いていた柱の壁面に降り立った。
『風よ』
 囁くように呼びかけると、リゼの身体の周りに風が集束した。そのまま強く柱を蹴ると、風に支えられて放たれた矢のようにまっすぐティリーの方へ飛び出した。
 だが、ティリーはすでに防護壁を張っていた。魔術で作った重力の壁を。
 そのまま突っ込んだら、禁忌の森の猪達のように地面に叩きつけられ、潰されるだろう。けれど、リゼは止まらなかった。剣を抜いて壁に突っ込んだのだ。
 リゼが剣にまとわせていたのは氷霧でも風でもなく、純粋な魔力の塊だった。それを重力の壁に突き立てて、斬り裂こうとする。薄い帳のような重力壁は火花を散らしながら刃の侵入を拒んだが、一点に集中したリゼの魔力は少しずつ壁を破壊し、ゆっくりと剣先が壁の内側へ入り込んでいった。
 何かが破裂するような音がして重力壁が崩壊した。砕けた魔術のエネルギーが周囲に飛散していく。それを見たティリーは舌打ちして再び火球を創り出したが、リゼはすかさず冷気を巡らせて彼女を取り囲むように氷壁を発生させた。瞬き一つの間に構築される白い障壁。それはティリーを閉じ込めるはずだったが、自身にも被害が及びかねないにもかかわらず放った炎の魔術が、細い槍のような形となって氷壁を貫いた。リゼが魔力の一点集中で重力壁を突破したように、ティリーも槍の形に収束した魔術で氷壁を破壊したのだ。
 炎の槍は障壁を壊した時点で威力が大幅にそがれていたが、狙いは正確にリゼの元まで届いた。氷の魔術で相殺したものの、余波が衝撃波となってリゼを襲う。耐え切れず後ろに吹き飛ばされたが、地面に叩きつけられる前に受け止める者がいた。
「アルベルト、無事だったのね」
「ああ、なんとか。紙一重だったが・・・・・・」
 アルベルトは服をあちこち焦がし、火傷を負っているものの、無事のようだ。あの威力の火炎の魔術。防ぐのは難しいだろうから、うまく避けられたのだろうか。
「さすが、悪魔祓い師はしぶといですわね」
崩れゆく氷壁の内側からアルベルトを睨むティリーの瞳は、少しの驚きと溢れんばかりの憎しみに満ちていた。何故か憎悪を燃やす彼女に、アルベルトは困惑した様子で呼びかける。
「ティリー! 一体何のつもりだ!? 俺が何を――」
「『何』をですって? 色んなことをしてきたじゃありませんの。特に魔女狩りは貴方がたの得意技ではなくって?」
 ティリーが魔導書のページをめくると、彼女の周りにいくつもの魔法陣が発生した。そのうちの一つが強い魔力でギラギラと輝きながら、一筋の炎を創り出す。次の瞬間、それは放たれた矢のように高速で二人の目の前まで迫ってきたが、リゼが創り出した氷壁にはじかれ、背後の柱に激突して消えた。炎を防いだリゼに、ティリーは怒りのこもった目を向ける。
「さっきから何のつもりですの? 貴女、魔術師でしょう!? 何故、悪魔祓い師に味方するのです!?」
「あなたこそ何のつもり? 私達のことを忘れたの?」
「答えなさい!」
 答えてほしいのはこちらの方だというのに、ティリーは聞く耳を持とうとしない。だから何の冗談だと、リゼはため息をついた。
「――私は悪魔祓い師の味方なんかじゃない。でも、アルベルトを殺されるのは困るわ。私も彼もあなたの敵じゃない」
 ティリーは『誰だ』と聞いた。何故かはわからないが、ティリーはリゼとアルベルトのことを忘れているらしいのだ。今の彼女にとって二人は全く初対面の相手。その上悪魔祓い師はティリーにとって、たとえ初対面の相手でも容赦なく攻撃する対象であるらしい。
「『自分がなにをしているのか見失わないように』。ひょっとしてキーネスが言っていたのはこういうことか・・・・・・」
 敵意をむき出しにするティリーを見て、アルベルトが呟く。岩壁を落とす前にキーネスが言っていた言葉だ。何をしているか見失わないように。
「この神殿に入ったら何をしていたか全て忘れてしまうということ? あの集落の住民もみんな記憶を無くした退治屋達ってことかしら」
「かもしれない。記憶喪失になるなら、ティリーが俺達のことを覚えていないのにも説明がつく。俺に敵意を向けるのは記憶喪失と関係なさそうだが・・・・・・」
「何をごちゃごちゃと喋っているんですの?」
 ティリーがそう言った瞬間、二人の足元に魔法陣が浮かび上がった。飛びのいた瞬間、石の槍が魔法陣から出現する。串刺しを回避したリゼは、また魔術を使おうとするティリーに呼びかけた。
「ティリー、いい加減にして。私達はあなたの敵じゃない。あなたは忘れているのよ」
「悪魔祓い師が君にしたことを水に流してくれとは言わない。でも、俺は君の敵じゃない。君を傷つけたりしない。信じてくれ!」
 アルベルトも必死に呼びかけるが、ティリーの敵意は消えない。彼女は再び魔法陣を生みだし自分の周りに張り巡らせる。ぱらぱらと魔導書のページがめくられ、淡く発光した。