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リンドウノミチヤ
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KYRIE Ⅱ  ~儚く美しい聖なる時代~

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第2章 接触~Louis-Seydoux5~



 ルイ・セドゥはパーティーが終わった後も上機嫌で、半開きのドア越しに妻に就寝の挨拶をした。彼の寝室は別棟にあり、妻も使用人も遠ざけて愛人と過ごすには居心地の良い場所らしい。史緒音は、夫である公爵の去ったドアを肩越しに一瞥し、無造作に装身具を外していった。

 彼等が結婚して4年になる。ルイ・セドゥの母方の先祖は史緒音の父方と血縁関係にある。彼の母親は若い頃外国に渡り公爵家を系譜に持つ男と結婚し子供を生んだ。だが、史緒音が周囲から畏怖を込めて公爵夫人(ラ・デュシェス)と呼ばれるのはそのためだけではないだろう。

「雪の女王」

 彼女は密やかにそう例えられていた。

 彼女が曽祖父から夫を与えられたのは自分が欲するもののひとつをルイ・セドゥが持っていたからだ。彼女がこれから権謀術数渦巻く世界を渡り歩くために必要な知識を、この男は衣服を纏うように身につけていた。

 婚礼の夜、夫は史緒音に体の隅々まで見せる様要求した。史緒音は何の感情も湧かないまま無言で服を脱いだ。この男もあの行為を長々とするんだろうか・・・史緒音はふと、日本を発つ前に榛統也と一度だけ夜を過ごした事を思い出した。
 あの時、統也は自分が見知っている筈の男とはまるで違っていた。細心の注意を払い、繊細な壊れ物に触れるかのように史緒音を扱った。それでも、それは最終的には地獄のような苦痛と違和感とおぞましさを伴って彼女を苛んのだが。

 統也。あいつは本当に私の事が好きだったんだな。私は、あいつが望むものを何ひとつ持っていなかったというのに。

・・・ふと、男の声が聞こえた。側にいる筈の夫の事を綺麗に忘れて記憶を再生していた史緒音は我に返った。彼女の夫はベッドの横で、口元に皮肉っぽい笑いを湛えつつ、興味深そうな目で彼女を見つめている。

「君は、どうやら特別な人間だね」

 史緒音は意味が分からず無表情に夫を眺めた。ルイ・セドゥは彼女に服を着るように告げ、不快な気持ちにさせた事を詫び、そして、自分は女性とは寝ないのだと告白した。
 史緒音は少し驚き、公爵が昔、自分の父親と愛人関係にあった事を思い出した。この男が長い間妻帯しなかったのはそのせいか。

「勿論、君が望むのなら他の方法を試す事も可能だよ。でも今は、君を変えたくないという感情の方が強くなっている。」

 まるで天使のような体だ、公爵は妻に対して彼としては最大限の賛辞を贈った。史緒音は公爵の言葉には全く感動しなかった。こんな芝居がかった台詞を素面で言ってのけるのはこの男の癖なんだろうかと思いつつさっさと服を着、夫となった男を横目で吟味して言った。

「私には必要ない。それに貴方には、もっと役に立つ事をやってもらうから」

 このような経緯で彼らの共謀関係は成立した。史緒音と公爵は年こそ親子の様に離れてはいたが、ある意味似たもの同士であり、双方とも遠い血筋の共通した部分を濃く受け継いでいた。怜悧で傲慢であり、皮肉屋で辛辣。公爵には更に享楽的という要素が加わっていた。パーティーで榛統也と自分の妻との再会を目論んだ事も彼のそういった嗜好の一端だろう。全く、今になってあの男に会うとは。

 史緒音は、綺羅星のごとき肩書きを持つ客達の中、初めて見るスーツ姿で気後れする風でもなく悠然と立っていた統也を思い返した。

 一体、ここで何をしているの統也?
 史緒音は内心の動揺を表には出さなかった。彼女にとって統也は、十三歳の少女だった晩秋、気紛れな運命によって出会いそして一瞬関わることになった男に過ぎなかった。
 本来なら出会う筈もなかった人間。しかし何故か時々、彼女の目には彼が曇りない陽光の中に立っている様に見えるのだ、あの頃も、そして今も。

 遠い日の儚い記憶に過ぎないわ、彼女は自嘲し榛統也の事を思考の向こう側に追いやった。