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冬の海を見に行こう

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 台所でホイル巻きの鮭を焼いていたら、旦那から「ねぇ、まだ?」と声がかかった。
「まだ焼けてないよ」
 新聞でも読んで待っていて。なおざりな返事に彼は「ん」とこれまた気のない返事を返すばかり。私はコンロの目の前にしゃがみ込み、両手をこすり合わせた。ホイルに包まれている鮭は、思っていたよりも火の通りが悪くなかなか焼けてくれない。焦れた私は立ち上がって、そのまま味噌汁の用意をはじめる。
 ぐつぐつ、沸騰するダシ汁の中に四角に切り分けた人参と、わかめと、大根を投入する。時間が経ってから、四角に切った豆腐を入れた。最後に香りを損なわないよう、味噌を溶かす。汁が香ばしい茶色に染まってゆく。そろそろ、鮭も出来上がる頃合だろうか。確認すると、よし。焼けていた。
「ご飯できたよ」
「――わかった」
 小さなテーブルに二人、向き合って座る。普段は互いに仕事で忙しく走り回っているから、こんなにゆったりとした雰囲気で食卓を囲めるのは本当に久しぶりだ。椅子が軋んだ。
「うー、さむい」
 身を震わせ箸を手にとった彼の表情は、椀を手に取り顔を近づけた途端、ゆらゆらと霞んでしまった。眼鏡が湯気でくもってしまうのだ。前が見えない、と言いつつ椀を手放さないその様子に吹き出しそうになるのを堪えながら、言う。
「鮭か、美味しそうだね」
「今日はえのきと玉ネギと人参と一緒に包んで、味噌とマヨネーズで味付けしてみたんだけど……どう?」
「上手い」
 ほおばりながら、まだ味わっていないだろうに。咀嚼の合間に美味しい、と返してくれる言葉が新鮮で、なんだか変な感じがした。別にこれといって深く手を加えたわけでもないのに。ここまで喜ばれてしまうと、かえって少し申し訳ないような気分になってしまう。自分も箸で鮭をつまみながら続けた。
 蛍光灯がチカチカと明滅している。そろそろ買い替えなばならないだろう。
「そうか、今夜は満月か」
「えっ」
 そうなの? 
 突然の一言に驚いて声を上げてしまった。私の様子のほうが物珍しい、とでもいうように首をかしげられてしまう。新聞で明日の天気を確認するついでに見たら、そう書いてあった。教えてくれた彼の、眼鏡の奥の瞳が不思議そうに揺れる。
「今夜みたいな風のない夜で、満月の日に海岸沿いへ出かけるとね、けっこう大きなお月様が海の上にでーんと反射して、とても綺麗に映るんだよ。知ってた?」
「知らなかった」
「お前はここに嫁いで来て日が浅いもんなあ」
 日が経っていても、言われなければ気付けなかっただろう。そんなものにわざわざ目を傾ける機会はそうそうないから。彼の言葉の続きをじっと待つ。味噌汁が半分ほどなくなった。
「高校生くらいの頃かな……部活の帰り道、海に繋がる川にかかる橋を渡る道があってさ、そこをチャリのペダル回してひたすら走る途中に気づいたんだ」
「でも、通学路自体は川だったんでしょ?」
「その時の俺の実家はまだ町中じゃなくて、川を下った先の海の近くにあったの。だから道の先に自然とそういう景色を見る機会があったってわけ」
 へぇ。相槌をうちながら、興味深い話だと思った。現在の私たちだって海町に暮らしているのだから、十分近くに住んでいる心地がするのに、その頃の彼はもっと、ずっと近くに住んでいたのだなあと思ったら、不思議な気持ちになったのだ。
 満月の夜かあ。
「海町の月ってさ、遠目に見る普段のそれよりもずっと身に近く感じるから、ホント格別だよ。道が開けていたせいもあるのんだろうね。海面に反射する丸いお月様が潮の流れと一緒に揺れて、たまに月明かりでそのすぐ下にいる小さい魚が見えるの」
「それを釣ったりはしなかったの?」
「するわけないさ、そこまで野生児じゃなかったよ」
 ふーん? 
 言葉少なく、昔の自分の話もあまりしてくれないようなシャイな彼だったので、こんなに饒舌に喋ってくれるのは珍しかった。そんな彼に対する疑問も含めて、ちょっと鼻にかかる返事がもれてしまう。そんな私の返事を誤解してしまったのか、彼の次の言葉は意外なものになった。
「飯食い終わったらさ、せっかくだから一緒に見に行こうよ」
「やだよ、寒いもの」
「コートを羽織れば大丈夫だよ。こんな夜に外出しないのは勿体無いよ」
 いつもは仕事でつかれたー、何処にも行きたくないと駄々をこねるくせに、現金なものだ。
 二人でゆっくり過ごせる休日なんて、今度はいつになるかわからないんだし。ね、行こうと言われてしまうと、こちらも考えざるを得なくなる。風邪は引きたくないなあと思いながら、それでも彼の期待に満ちた目で見つめられてしまうと、ここで断ってしまうのは可哀想かなという気になった。
「30分だけだよ……? あと車はちゃんと出してね」
「流石にこの寒波の中で歩こうなんて言うわけないだろう」
「あなたなら言うと思ったの」
 学生時代の彼を見たことがないからわからないけれど、きっとその時代の彼はこういう瞳をしていたのだろうなあと思わせるような雰囲気を身にまとっている。なんだか照れくさくなってしまい、背を向けて食べ終わったばかりの鮭の皿、味噌汁の椀、茶碗その他を片付ける。合間に、彼は家の戸締りにまわってくれた。
「それじゃ、行こうか」
 準備を終えた私はそう言って、玄関の扉を開ける。
「さむい!」
 思っていたよりもしん、と凍えた空気を肌に感じて、提案に乗った自分の選択は間違っていたかもしれないと思ってしまった。
「手袋しなよ」
 笑って、差し出された彼の右手は。迷わずに私の右手を目差して伸びている。あたり前といえばあたり前の動作であるその一つ一つに、ちょっと感動してしまった。
「はいはい」
 空中でぴた、と停止している彼の手を奪い取るようにキャッチして、私は力強く、次の一歩を踏み出す。
 満月のことはすっかり頭から抜けていたにも関わらず。



作品名:冬の海を見に行こう 作家名:しゅのん