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鳴神の娘 第一章「雷(いかづち)の娘」

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薄暗い社の奥には、立派に整えられた古い祭壇がある。
 祭壇の中央には、小さな丸い神鏡がおさめられていた。神鏡の周りでは、まるでそれを護るかのごとく、四つの篝火が静かに炎を揺らしている。
 祭壇の前には、それを背にして五人の巫女が横一列に座っている。殆どが中年を過ぎ、そろそろ老女と呼ばれてもおかしくない年頃の風格を備えた女達だった。
 この吉備の国の守護火神・火之迦具槌神を祀る神聖な社の中には、異様な--というより、むしろ不穏な空気が満ちていた。
 居並んだ巫女達に対峙して、一人の年若い少女が座っている。明り取りの窓から差し込んだ強い陽光に一瞬眼を細めた少女は、膝の上に置いた拳を握り締めると、すうっと息を吸い、ゆっくりと口を開いた。
「……それは一体、どういうことですか」
 そう広くはない室内に、押し殺した少女の声が響き渡る。
「…………」
 並んで座した巫女達は、一様に困った表情で顔を見合わせた。
 問いを発したのは、まだ顔に幼さの残る娘である。
 神意を伺い、一族を導き、人々の畏敬の対象であったはずの巫女達は、このたった一人の少女に、はっきりと気圧されていた。
「……だから、今言った通りじゃ」
 しばしの沈黙の後、真ん中に座っていた長老格の大巫女が口を開いた。
「今度の神事に、そなたには加わってもらいたくないのじゃよ」
「何故ですっ!!」
 少女は即座に反駁した。
 大巫女は顔を顰める。    
「……大きな声じゃ。……のう、斐比伎(ひびき)や。もう少し落ち着きなされ」
「落ち着けませんっ」
 斐比伎と呼ばれた少女は、より大きな声を張り上げた。
「よいか、よく考えてみや。『鳴釜の神事』は、この吉備の国における、一年で最も重要で神聖な祀りじゃ。吉備の中山にある吉備津の社、その内にある御竈殿で執り行なわれる釜占に連なることができるのは……」
「各氏族の成人以上の王族、そして一族の巫女たちだけだわ」
 大巫女の後を、一番格下の巫女見習いが引き受けた。斐比伎は、険のある大きな眼で見習いを睨み返す。   「私は吉備の五大氏族の一つ、加夜族の王・建加夜彦(たけかやひこ)の娘です。年が明けて十六になり、二月前成女のしるしも迎えました。神事に参加する資格は持っています」
「……拾い子ではないの」
 左端に座っていた白髪の巫女がぼそっと呟いた。彼女は嘲笑を浮かべかけたが、その途端斐比伎に凄味のある眼で睨まれ、慌てて顔を背けた。
「--わたくしたちが心配しているのはね」
 額に青い帯を巻いた、聡明そうな別の巫女が、落ち着いた口調で斐比伎に話しかけた。
「『鳴釜の神事』は、我ら吉備の国の守り神の一柱たる、大吉備津彦命の霊をお慰めし、その意を伺う神聖なる祀り。その祀りに、実際には吉備の血を引かぬあなたを連ならせて、万一にもかの命のお怒りをかい、たたりによる災厄でも引き起こってしまっては……ということなの」
「なっ……!」
 斐比伎は絶句した。即座に言い返そうとしたが、怒りにかられて言葉が出てこない。
(こいつらは、私の誇りを踏みにじろうとしている……!)
 激昂のあまり、血が沸き立ちそうだった。その場で立ち上がって暴れ出しそうになったが、とりあえず何度も深呼吸して我が身をなだめた。
 頭は混乱してぐるぐる回っている。斐比伎は己を沈めようと、目を閉じて指で額を押さえ、やっと言葉を吐き出した。
「……では、そのようなこと、わざわざ私を呼び出して言わずとも、父上に正式に申し上げればよろしいでしょう!」
 くぐもった声で斐比伎はそう言った。これでも、何とか冷静な対応を保とうと努力していたのだ。
「……嫌ぁね、そんなこと建加夜彦王にわたくし達から申し上げられる訳ないでしょう」
 巫女見習いが思わず本音を漏らした。
(やっぱりね……)
 下を向いたまま、斐比伎は薄く笑った。
 「拾い子」であることが周知の事実であっても、斐比伎は養父である建加夜彦から「娘」であると--吉備加夜族の「姫」であると、正式に認められている。
 現在の豊葦原にあって、吉備は出雲と並ぶ強国であった。その勢威は事実上、大王のおわす大和朝廷に匹敵するといっても過言ではない。
 吉備がここまでの強国となれた一番の要因は、豊富な鉄資源を押さえていたことにあった。鉄器の交易がもたらす富は計り知れない。
 大切な鉄器を生み出す「たたら」の技には、神聖な「忌火(いみび)」が使われる。この「忌火」を司る火之迦具槌神を祀るために、吉備の各氏族にはそれぞれ社が設けられ、火神に仕える「火の巫女」が選ばれていた。
 遙か古の時、火之迦具槌神から忌火を賜り、以降その神託を授かってきた祝(はぶり)の血統の裔が、今の大巫女であるという。大巫女は己の血筋--もしくは、ごくまれに族(うから)の娘達の中から--才ある者を選び出し、後継者として育成してきた。
 巫女は祭事一切を取り仕切り、氏族の者達の尊敬を集める存在である。それ故しばしばその発言力は増大し「政(まつりごと)」を預かる王族と対立してきた。
 しかし、巨大な吉備王国の中でも一、二の勢力を誇る加夜族の全てを束ねる首長(おびと)・建加夜彦は、これまでにない強い権勢を築いた王であった。
 歴代で最も優れた首長と称えられる建加夜彦は、自分の治世に他者の口出しを許さない。それ故彼の下にあって、祝たちは非常に微妙な立場に置かれていた。
 この王が可愛がっている「姫」への無礼なる申し入れ--確かに、保守的で因循で臆病な巫女達の心臓では出来ぬことだろう。

「だから、あなた自ら王にご辞退申し上げていただけないかしら。あなたがそう考えて、身を退いたと言うことで。それが、一番全てが丸く納まるのよ」
 青帯の巫女が諭すように言う。
「--わかりました」
 意外にも、斐比伎は素直に返答した。
 身構えていた巫女達は、虚をつかれて眼をしばだたせる。
「巫女様達に呼び出されて、神事を辞退するよう説得されたこと--私の口から、間違いなく父上にお伝えしておきます」
そう言うと、斐比伎は立ち上がった。
 唖然とする巫女達を振り返りもせず、すたすたと社から出て行く。
「ちょっと! 斐比伎姫っ。待ちなさいよ!」
 慌てた巫女見習いの叫びが、空しく社の内に響いた。肝心の斐比伎はあっというまに姿を消し、後には呆然とした巫女達だけが残される。
「……なんって可愛げのない子なの!」
 しばらくして、巫女見習いが忌ま忌ましげに呟いた。
「元はといえば、どこの馬の骨とも知れない捨子のくせに! 王が可愛がってるのをいいことに、我が物顔に振舞って!」
「本当に。斐比伎姫もそうだけれど、建加夜彦王にも困ったものよねえ」
 今までずっと黙っていた盲の巫女が溜め息をついた。
「もう三十二にもおなりだというのに、いっこうに妻問いをなさるお気持ちがないというのもねえ。あの姫ばかりを可愛がって。結局お子様は養女の斐比伎姫一人ということになるのだし。……まさか、あの姫を次の女王に、などとお考えなのでは……」
「まさかっ。そんなこと許されないわっ」
 巫女見習いが感情的に叫んだ。