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白昼夢にて、宇宙世界。

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『白昼夢にて、宇宙世界。』


「もしもここが宇宙空間だったら、どうする?」
 日に透かされて紺色の、男にしては長い髪の毛が僅かな空気の動きで揺れている。仄かな眠気に浸された視界に移るそれをじっと見つめていたら、くしゃみが二発出た。
「うちゅうくうかん、ですか」
「うん、そう。アウタースペース」
 片言の英語でいわれてようやく理解する。うちゅうくうかん、と声には出さず口内で意味を咀嚼していると、隣にいる先輩がクスリと微笑み、重ねて「どうする」と問いかけてきた。埃を被った紙の臭いが一層強く香っては瞬く間に消えていく。
 下校時刻を間近に控えた今、生徒会室に残っている生徒は自分と萩原先輩だけだった。窓際につけた長机に並んで椅子を置き、自分の腕を枕代わりに二人でまどろみを楽しむ。沈みかけた太陽と少しだけ開いた窓からたまに吹き込む風が心地よくて、夢と現実との境が今はつきにくい。
「どうすれば、どうしたらいいですか」
「楠木はどうしたい?」
 薄く窓に映えている母親譲りの、濃い蜂蜜色をした自分の髪の毛をぼんやりと眺める。溶けかけた意識が導くのはどうにもくだらないことばかりだ。
「難しい?」と重ねて問いかけてきた先輩に対し素直な頷きを返しながら、自分は星や宇宙についてはほとんど知識がないという返答をする。ついでに、天文部の部長である貴方が素人にそんな質問をするのは意地が悪い、同じ男子高校生でも考える事柄は違うのだと子供っぽい言い訳も添えた。先輩はそう反応した自分を見て馬鹿にすることも得意げな眼差しで薀蓄を垂らすこともせずに、二、三度頷いた後、ただ穏やかに笑いながら「なんでもいいんだよ」と言った。
「なんでもいいんだよ、どんな些細なことでも」
「いきなりだから、なんだかよくわからないです」
「じゃあ、楠木は何がしたい?」
「宇宙で、ですか?」
「うん。見たいものとか、したいこととか、何でもいいからさ」
 そう言う先輩の瞳は爛々と輝いている。彼にとってここはもう大気圏外なのだ。光る夕焼けの片隅に、青白い燐光を感じた。水の弾ける音が微かに聞こえてくる、跳ね上がりぶつかったそれらが、一際繊細な音をあげては燃え尽きていく。唇から零れた少しの吐息に、宇宙の香りが混じる感覚。ピン、と、どこか遠くで、何かの心音。
「――――」
 それはわずか一瞬のできごとで、気付いた時にはもう流れる星も回りまわる惑星の欠片すらない。鼓膜を震わすのもたまに流れる風音だけだ。間もなく、自分は睡魔に負けて一瞬の夢を見ていたのだなと浮ついた感覚で理解し、一人恥ずかしさに耳を染めた。
「えっと」取り繕うように咄嗟の言葉を吐き出す。伸びきった前髪を集めて、顔を隠すようにしながらその続きを探した。「宇宙からは、オーロラが見える、ますか」
「見えるよ、それも一度に、たくさん」嬉しそうに笑う先輩の、細められた瞳が眠気を誘う。年の離れた弟を見守るようなその視線は、気恥ずかしさと同時に安心感をもたらすものだった。思わず欠伸がでる。
「だったら、それが見たいです」
「オーロラ、好きなのか」
「アメリカにいた時、一回だけ見ました。すごく綺麗で、でもそれは特別なことらしくて、滅多に見えないらしいんです。だから特別、だって、みんな嬉しそうにしてました。だから、先輩と見てみたいです」
「俺と?」
「はい、先輩は大切ですから」
 あっ、と、すんなりと零れ出た言葉を咎めようとしても時遅し。しまったと自分の失言を喉に戻そうと思いついた時点で、既に目の前の先輩は虚をつかれたような(事実突かれたのだろう)表情で、まじまじと自分の顔を見つめていた。自分の、照れ隠しの為に伸ばしている長い髪の毛の奥にある、薄青の瞳が気まずさに泳ぐ。乾いた唇からは言い訳の一言も出てはこない。
 しかしそうした気まずさも束の間、「そっか、嬉しいよ」と白い歯を覗かせながら、ごく普通に先輩ははにかんだ。一般に年下に向ける、特別な笑いだ。それは自分にこの場を上手く切り抜けられたと安堵をもたらす一方で、胸の内にある複雑な下心を刺激し傷つけていく。能天気に笑う彼に対して、自分は微妙な愛想笑いしかできなかった。
「楠木がオーロラを見た場所は、緯度的に言えば日本の大阪市とほぼ同じ位置にあるんだ」
「おおさか……」
「そう。『タコヤキ』とか、『食い倒れ人形』とか」
 ?だからもしかしたら、日本でもオーロラが見えたりするかもしれないね。?萩原先輩のその言葉が、はためいたカーテンが、幼少時の記憶を蘇らせる。背の低い父と長身の母と並んで見たあの鮮やかな赤をしたオーロラが、澄んだ音を響かせて足元に広がっていく光景を垣間見た。それに驚いたのも瞬間、強く吹き込んだ風によって視界が一瞬明転する。乱雑に積み上げられた紙が音を立てながら飛んでいき、窓枠を飛び越え埃と共に遠くへと消えていく。積み上がった年月が匂わせるカビ臭さは鼻先を掠めて、どこか別の、今まで嗅いだことの無いような真新しい匂いに変わっていく。気圧の変化によって起きる耳鳴りはいつしか風の音を掻き消して、腰かけている椅子と長机以外全て大気の中へと窓を通過して逃げていった。独特の浮遊感を感じたのも数秒、気付けば自分は、再びの夢を見ていた。
「オーロラは太陽風によって引き起こされる現象なんだ。太陽風が地球に届いた時、俺たちの目にオーロラとなって映る」
 眼下に広がるのは広大な地球だ。いつかどこかで見たものと全く同じ光景が、今、自分の目の前で繰り広げられている。塗り潰された黒の上に浮かぶ青や赤の恒星、視線を上げた先に見える煌々とした太陽、頭上には幼いころ描いたクレヨンのロケットが、のっぺりとした炎を出しながら進んでいた。驚きに隠れてしまった言葉の行方を捜しながらも、それでも目前に広がる非現実的な光景に目を奪われて仕方がない。感動の余り開きっぱなしになっていた口から、長い感動のため息が溢れ出る。
「楠木、ほら、そこ」先輩が突如として声を張り上げた。「そこ、見て御覧よ。綺麗だろ」
 見れば、幾筋もの極光が波打つようにして地球の表面を覆っていた。母国で見た時とは違う。見下ろす形で眺める、放電現象による光。自在に変化する色と動きには一種の神性すらも感じられて、しばらくの間我を忘れる。自在に変化する動きと色に魅了されていると、隣にいる先輩が低く笑うのが聞こえた。
「本当に特別な思い出だったんだな」先輩は腕枕を止め体を起こした。「こんなに綺麗な光景なんだ。きっと地上から見るオーロラも、とても良いものなんだろうね」
「先輩は、オーロラ、見たことないですか」
「地球からはね。でもいつかは見るつもりだよ。だからそれまでの間は、こうして夢の中で楽しむしかないんだ」
「いつか、見れるといいですね」
「なんだ。一緒に見るんじゃないのか」
 悪戯っぽく笑う焦げ茶色の瞳に、そうでしたと顔をくしゃくしゃにして返す。眠気などとうの昔に吹き飛んでいた。複雑な、割れ物のような下心の傷が、少しだけ癒えた気がした。
 再び視線を遥か宇宙へと戻す。閃いては消える流星の様に見惚れながらも、そっと瞳を閉じた。唱えた願い事は、ひどく短く簡潔だ。
「先輩と、オーロラを見れますように」
「願い事は言っちゃあ駄目だろ」