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死人の感覚

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棺桶のゆさゆさ揺れるその感じが、これまた心地良い。うとうと寝てしまいそうだ。
 
 というよりはもう寝ているのだけれど、永遠の眠り。

 僕はここ何日の間に死んだようだ。いつ死んだとか、なぜ死んだとかはよく覚えていない。ましてや、死ぬ前の、生きていた時の記憶もおぼろげである。
 死んでからの記憶はどこから始まるかというと、それはどこかのベッドの上からだ。気が付くと目の前が真っ暗だった。目蓋を閉じているせいだと思ったが、どうも力が入らなくて目が開けられない。目だけでなく、どうやら体全体に自分の意思が伝わっていないようだった。全身麻痺のような感覚、体は全く動かなかった。
 よく分からないままだったが、ふと傍らで誰かの泣く声がした。
「…まだ若いのに、どうして…」
 聞き覚えがある気がしても、どうにも思い出せない。
「…今朝病室に来てみたら、その時にはもう息を引き取っておられ…」
 今度は中年くらいの男の声がした。病室という単語から、ここは病院なのかも知れない、と推測が立った。問題はその後で、息を引き取ったと言っていた。
 ああ、そうか。
 妙に落ち着いた気持ちで、僕は自分の死を悟った。何となく頭の片隅で合点がいった。なるほど、死人に口なし。体も動かない訳だ。
 次は、まだ若い女の人の声。
「お母さん、お兄ちゃんは最後まで諦めてなかったよ。あんなに本気のお兄ちゃん見たことないよ。お母さん泣いてるの見たら、成仏できないって…」
 本気なのか冗談なのかよく分からない慰めだが、おかげで母と妹の存在がはっきりした。そこからは事務的な、つまり葬式の話に話題が移っていった。中年男の声は消えた。

 そんな風にして、僕の新たな記憶は今の今まで続いている。
 周りの状況や人の顔など、視覚的な情報は一切分からないが、耳に入ってくる声だけで自分の中に事態のマップを作り上げていた。そのマップの中心には赤い文字で、「俺は死んだ」と書かれている。
 つまらない法要が終わり、他人の迷惑も考えずに体の上にいろんな物が置かれている状態で、棺桶に蓋がされた。花とか遺品とか、それなりに重いのでどけて欲しかったのだが…。しかも、棺桶のサイズがちょっと小さくて、足の方が窮屈だった。安上がりでやったのかな、そんな安上がりだったのか、僕。
 そこからはずっとゆさゆさが続いている。絶対人が担いで運んでいる。どうして車で運ばないのか。
 一体どれくらい経ったか分からないが、いつの間にか揺れが止まり、僕の棺桶はどこかに下ろされた。まあ、順序で言ったら自分が焼かれる番だ。てことは、さしずめ今は火葬場かそこら辺だろう。
「ミサ、お兄ちゃんに最後のお別れ言ってあげて」
 ミサという名前には聞き覚えがあった。僕のマップでは自分には妹がいることになっていたが、名前を聞いたことはなくて、それでも状況から妹=ミサの図式が成り立った。そうか、僕の妹はミサっていうのか。
「もしもあの世で私のこと忘れたら許さないからね。さよなら、けんいち兄ちゃん」
 冷や汗が出そうになった。本当は出ない。

「けんいち」それが僕の名前。

 一瞬だが、思い出したことがあった。まるでそれはスナップショットのようだった。
 僕がいて、隣には妹がいて、2人とも楽しそうにピースしている。生前の姿だろうか。はち切れんばかりの笑顔。一体どこで、どうしてこんなに楽しそうなのかは分からなかった。
 それが分かることはもはや無意味だ。
 僕はきっと楽しく生きていたんだ。妹とも仲が良くて、死が近づいても諦めず、しっかり生き抜いたんだ。ああ、そんな奴だったら本望だ。きっと妹は忘れない。いつかあの世で鉢合わせることがあっても、その時は潔く殴られるなり何なりしよう。そしたら少しは思い出すかも知れない。
 考えてる間に周りが熱くなってきた。とうとうその時か。
 温度はあっという間に上がり、息もつけなくなってきた。いや、息をつくという表現はおかしい。そもそも息してないのだから。
 全身の感覚が徐々になくなっていった。今の自分がどんな醜態を晒しているのかは想像も付かない。視覚が機能していないことに感謝。
 だんだんと意識が遠退いて、そこに終わりが近づいていることが分かった。そうだ、もう最後だ。そうだ、もう最後…。

 さよなら


 気が付くと真っ白い世界にいた。目は見えていた。体も動いた。むくっと起き上がると、ちょっと離れた所に見も知らぬおっさんが立っているのに気が付いた。どこか違う方向を向いていたが、そのうちに向こうもこちらに気が付き、にっこり笑う。僕は笑わない。この白髪白髭のおっさんが誰なのか、もうおおよその見当は付いていた。
「やあ、気が付いたかね」
 のどかな声。落ち着いた調子だが、何だかからかわれているようでも。
「自分がどうしてここにいるか、覚えているかね」
「ここがどこかってのも、大体の見当は…」
「ホッホッ、そりゃあそうじゃろうな」
 ああ、むかつく。
 とは言え、僕は思いきって聞くことにした。
「…僕多分、あなたの名前知ってますよ」
 おっさんは顔色一つ変えず、にんまり笑ってこちらを見ているだけ。
「そりゃあまあ、わしは世界一有名じゃからな!」

 こんな奴がなぁ…。ミサ、こんな嫌なおっさんと知り合いになっちゃダメだぞ。
作品名:死人の感覚 作家名:T-03