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「千円札からカタルシス」

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 郵便受けを開くといつも通っているディスカウントストアから割引券が送られてきていた。千円引きらしい。毎週買い出しのために出向いているので特別気にも留めないでいた。

 その週の火曜日に買い物をしていて、そういえばと思い出した。割引券があったはずだ。財布の中を覗くとちゃんと仕舞ってある。
 しかし思い返す。いつも買うものは決まっているので大体の合計金額は予想がつく。どう考えても千円に満たない。洗剤や歯磨き粉などといった数ヶ月に一回買うものの替えはあっただろうか。いや、この前買っておいたはずだ。他には思いつかない。割引券を使うためにわざわざ要らないものを買うのも意味が無いのでやめた。家に帰って色々調べてまた来週辺りにでも買いに来るとしよう。そう思いレジへ向かった。

 レジは四台あるのだがそのどれもが混んでいた。人が数えるのも面倒なほどに並んでいる。空いている事などそんなには無いもののこんなに混んでいる事は記憶に無い。一体皆、何をそんなに買うものがあるのだろうか。買い物かごをぶら下げて呆然としているとどこからか店員の掛け声が耳に入り込んできた。

「それでは今から始めます。よーい」

 一体なんの掛け声なのだろうと疑問に思いながら気がついたのは客についてだった。
 皆、買い物かごをぶら下げていない。何かを握り締めている。レジの列に気を取られていたが近づいてみると今までは棚に隠れて見えていなかった部分が目に入ってきた。
 横一列の客は店の端から端まで並んでいて皆が皆、身構えている。その中央で店員がホイッスルを吹いたのが合図だったらしい。並んでいた客が一斉に何かを引き始めた。

「よろしいですかー、破れれば終わりですよー。破れた箇所を基点にしますからねー」と店員が大きな声を出した。

 皆が握り締めているのはくすんだ緑色の紙。そう、それは千円札だった。
 千円札を細く縄状にして端と端を縛り合わせそれを引っ張っている。それは謂わば千円札を使った綱引きだった。しかし普通の綱引きと違うのは掛け声や真っ赤な顔で力んでいる姿は見られないこと。静かなのだ、恐る恐る、でも掴んでいる手は決して離さずに、絶妙な力加減で行われているのだ。

「制限時間内に勝敗が決まらなければそれで終わりですよー皆さん頑張って下さいねー」店員が再び叫んだ。声は想像以上に大きく聞こえたもののすぐに掻き消されたように思えた。
 それは今目にしている静けさもあるのだが、しかし相反するようにそれぞれに秘められている金銭への執着心や勝敗に辿り着くためのさじ加減、その集中力の渦に飲み込またようにさえ思う。見ているこっちまで手に汗が握る。しかしなんだか釈然としないのは目的が歪かつ純粋なものだからなのか……。ビリッ。その時どこかの列でそんな音が聞こえた。そんな小さな音も聞こえるぐらいに静かだった。

 破れた音のすぐ後に「はい、そこまで!」とピーっとホイッスルが鳴り今までの静けさが嘘のように「ああああ」「ちきしょうダメだったか」「やった!」「きゃー」などと悔しさや歓声が入り交じった声が飛び交った。
 この光景はカタルシスだ。思い出したのは学生時代だった。テストが終わった時に感じたあの今までの鬱屈した日常からの開放感。それがこのディスカウントストアに広がっていた。更に報酬もあるわけだ。喜びも一入だろう。

「勝った方々はその今握り締められている千円札が賞金となります。シワクチャですがそこに価値があると私達は考えておりますのでどうかご理解のほどよろしくお願い致します」勝った側は本当に嬉しそうにしている。負けた側も悔しそうだが絶望はしていなさそうだし、むしろ爽快感すら感じていそうだった。

 財布の中を見る。なるほど、確かに千円割引きとは書いていない。裏を見ると曜日と時間が指定されていた。たまたまこの日だったようだ。次は翌週に行われるらしい。周りを見渡すと自分と同じように見守っていた人達が沢山居た。

 中にはお金を使ったこの催しを批判的に思う人も居るのではないかと考えたが、それぞれの表情を見ると晴れ晴れしい顔をしていたので案外そう思う人も少ないのかもしれない。何を対象にしていても観戦直後は皆がある特定の一体感を得られる。この催しに対してもそれは例外ではないらしい。次は参加しよう。千円が目的なのではなく、ちょっとした懐かしさと非日常を感じるが為に。
作品名:「千円札からカタルシス」 作家名:菊尾