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拝み屋 葵 【弐】 ― 余暇見聞録 ―

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(二)陰陽の理


「……っちゅうのんが、先月の出来事なんですわ」
 三十畳はあろうかという大きな純和風の部屋で、葵は奥にある簾に向かって熱弁を振るっていた。

「ほう。『一念、岩をも通す』といったところか。なかなか面白い話だ。」
 簾の向こうに鎮座する人影が、荘厳な声を響かせる。
「その後、その娘はどうしておるのだ?」
「学校に友達でけたみたいやし、学園生活を謳歌してはるみたいなんですわ」
「なるほど。太陽を追い続ける者は、虹の輝きを知ることはないという。しかし『何もしないことが修行』とはな。その修行、やってみるか?」
「謹んでお断りしときますさかい」 葵は即答する。
「ほう」
「お師匠はんの『何もしない』いうんは、食事と睡眠が含まれてそうですによって」
「……」
「……」
「それで、その娘に地方の洋菓子を食べさせたいというのだな?」
「自慢やないですけど、ウチの舌は全国の名店の味を記憶してますによって」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
「葵よ、一つ確認しておきたいのだが……」
 簾の奥から、オホン、という咳払いが一つ。
「自分が食べたいだけではないのか?」
「自分が食べたいと思わへんものを食べさせるわけにはいかへんですやろ?」
「……」
「……」
「腕を上げたな」
「ご指導の賜物ですによって」


 氏名 三宮 葵
 年齢 二十三歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。

 今回、葵がサラを連れて向かったのは、三重県松阪市。
 伊勢湾に臨む同市は、三重県の県庁所在地である津市の南に位置しており、言わずと知れた日本三大和牛の一つ、松阪牛の産地である。
 阪内川と愛宕川の間にある松阪駅構内では、日本一と名高い【極上松阪牛ヒレ牛肉弁当 一〇,五〇〇円(税込)】が売られている。
 松阪名産である黒毛和牛の美味しさ、そして柔らかさを余すことなく詰め込んだ、名物という称号に恥じない駅弁である。
 一生に一度と決めて食してみるのもまた趣き深し。

 *  *  *

 葵の気配が遠退いた後、縁側で丸まっていた白と黒のブチ猫が頭を上げる。
「葵は異国の娘に入れ込んでおるようであるな?」
「嫉妬か? 化け猫よ」
「まさか」
 化け猫は葵が歩き去った廊下の先を見やる。
「吾輩が憂いておるのは、汝と同じことよ。ツルギの」
 縁側の化け猫が簾の奥に向けたその言葉は、周囲に存在するあらゆるを停止せしめた。
「記憶を取り戻したか」
 簾の奥から発せられている常ならざる“気”が、昆虫に至るまでの小動物を捕らえているのだ。
「止めよ。汝とて悪戯に消耗したくはなかろう」
 その中にあって唯一動きを見せた化け猫は、簾を見ようともせずに頭を下ろした。
「猫属は恩知らずなどではないぞ」
 時の流れが戻る。
 何事もなかったかのように、小鳥のさえずりと風に吹かれた枝葉の擦れ合う音とが流れ出す。
「サラという少女に、昔の自分を重ね合わせているのだろう」
「であろうな。葵の目は、家族や友人を見るそれよりも、遥かな親しみを宿したものであった。まさに自身を省みておるかのように」
「あれは“群れ方”を知らずに育った」
「人間は社会という名の巨大な群れを成す生き物であったな」
 化け猫は縁側に寝そべったまま、しっぽの先を少しだけ上げて、合点がいったという返事とした。

「吾輩は無名の猫である」
 化け猫がそう言ったのは、簾の奥から響く声が化け猫の名を呼ぼうとしたその瞬息のことだった。
「その名を呼べば、吾輩の魔性が目覚めてしまうやもしれぬぞ」
「それは困るな」
「全く以って同感である。して、吾輩に何の頼みがある?」
「葵のお人好しが感染でもしたか」
 簾の奥から微笑む気配が伝わってくる。
「汝には大きな借りがある」
 化け猫は身体を起こし、簾の奥に向かって首だけを振り向かせる。
「では化け猫よ。一つ頼まれて欲しい」

「なぉーーーん」
 化け猫は、一度だけ鳴いた。

 *  *  *

 松阪駅を出て、南西へと道なりに真っ直ぐ。
 一日二十個限定のシフォンケーキ。
 葵たちを待ち受けていたのはそれだ。
 ケーキを目前に爛爛と目を輝かせる葵に対し、サラはややげんなりとした表情を見せていた。
「どや? おいしそーやろ?」
「アオイ、なんでまた緑色なの?」

 一日二十個限定の“玉露”シフォンケーキ。
 シフォンとは、フランス語でボロ布のこと。服飾業界において、ふんわりとした柔らかな薄布をシフォンと呼び、食感が後者のシフォンのように軽いことから名付けられた。
 フランスではなく、アメリカ合衆国カリフォルニア州で生まれたケーキである。生まれた当初、バターもベーキングパウダーも使わずに焼き上げる製法は、常識を覆すものであった。

「なしてこの味が分からんかなぁ……」
 葵はさめざめと悲しんでみせる。しかしサラは、それが大袈裟な演技であることを知っている。
「フランス人の舌には合わないのよ」
「いえ、付近のフランスの方は毎週お買い求めになられますよ」
 製菓作業用の白い服に身を包んだ中年の男が現れる。
 その手のトレイには、緑色ではない苺のシフォンケーキが乗せられていた。
「紹介しとくで、店長はんや」
 葵は、店長がケーキを乗せた小皿をサラの前に置くのを待ってから、簡潔に紹介する。
「店長です。よろしく」
 三十半ばの男は、初対面の相手にも警戒させることのない笑顔をみせる。
「サラ・ダブーラです」
「サラダアブラ?」
「いや店長はん、それはもうウチがやりましててん」
「このやりとりにあと何回つき合わされるのかしら」
「お味はどうですか? 何かの足しになりそうですか?」
「あ、はい。とっても美味しいです。特にこの食感は初めてです」
「フランスでシフォンケーキを見掛けることはほとんどないでしょうからね。日本では、日本式・アメリカ式・フランス式というようにショートケーキの形式を分類していてね……」

 唐突に始まった講義に、サラは真剣な眼差しで耳を傾ける。
 葵は、冷める前にコーヒーを飲み干すことにした。