小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

拝み屋 葵 【弐】 ― 余暇見聞録 ―

INDEX|10ページ/13ページ|

次のページ前のページ
 

(四)賽の河原


 三重県沖で発生した地震は、多くの建造物を倒壊させ大きな爪痕を残した。家を失った者、自主避難してきた者、避難勧告を受けた者、皆が同様に近場の公共施設である学校や公民館などに集まっていた。

「……せやから言うたったんや。旦那はんはどちらですやろか?」
 話にオチがついて、どっ、と笑いが起こる。
 避難所内の雰囲気は、和やかなランチタイムのものであった。
「ほんならウチ、行きますによって」
「帰り道、気をつけてね」
 後頭部で一つに纏められた黒髪が、右へ左へと揺れる。
 避難所の誰もが彼女を笑顔で見送り、彼女はそのすべてに対して別れを惜しみ、手を振って応える。

 三日前、この避難所は重く暗く陰鬱な悲愴感に支配されていた。前触れなく降り掛かった災厄に嘆き悲しむ人々は、生活を失った混乱の中で未来を憂い、空を見上げる瞳は希望の光を宿してはおらず、ただ現実から目を逸らすために虚空を映しているに過ぎなかった。
 だが、それは過去の話。
 いまという現実を受け入れた人々は、哀れみを求める被害者でも、慰めを求める被災者でもない。協力し支えあう復興者だ。

「おねーちゃん! またねー!!」
 大学剣道部の名前が書かれたマイクロバスに乗り込むその背中に、一際大きな声が届く。ぬいぐるみを抱えて手を振る少女が発した声は、タラップを上がる足を止めるに充分な威力を持っていた。
「元気でなー!」
 にっと笑った白い歯が、幼子を振り返った。

 *  *  *

「やっぱり、葵は只者じゃないよねって思うわ」
「何を言うとんねん」
 走り出したバスの中で、早苗は隣に座る葵の顔をまじまじと見つめた。
 葵は早苗との間を持たせられず、頬を掻きながら窓の外に視線を逃がす。
「ウチは何もしてへんやんか」
「確かに仕分けも配膳もしなかったものね、三日間」
「あーー」
「でも、葵の周りではずっと笑い声が絶えなかった。最初はただ受け取るだけだった避難所の人が、葵と話した後には私たちより働くようになってた。どんな魔法を使ったの?」
 バスが対向車のいない交差点を右折する。
「運転手はん、ちょいと止めたって」
 窓から身を乗り出した葵は、小さく見えるだけの避難所に向けて大きく大きく手を振った。

「で、何の話やったっけ?」
「もういい、なんとなくわかった」
「ウチは何にも働かへんで、べしゃりに興じとっただけや」
「そんなことない。葵はあの避難所の一員になってた。だから、避難所の人たちは葵の手伝いをしたのよ」
「手伝いに行ったんに、現地の人を働かせてどないすんねん」
「私たちが一から十まで全部をやっていたら、あの避難所の人たちは今日からどうやっ……あ。『誰にどう言われようと』」
 早苗は、葵に聞かされた言葉を口にする。
「そういうことや。避難所に集まった全員が家族になるねん。誰か一人、ほんの一部が働くだけではアカンねん。全員が団結せなアカン。ウチは最後まであそこに留まられへん。三日やったら、自分で歩けるように元気を分けるんが精一杯や」
「うん」
 早苗は、相変わらず窓の外を眺める葵の横顔に微笑み掛けた。
「ウチを庇ってくれてたやろ? ありがとさんやで」
「えっ……あ、うん」
 仕分けも配膳もせずに避難所の人と談笑する葵を、他のボランティア参加者は快く思っていなかった。「何をしに来たんだ」と罵り、目を細めていた。早苗はそれをどうにかこうにか抑えていた。
 初日こそ、仕分けも配膳もしない葵に対してもやもやした感情を抱いていた。だが、初日の深夜二時過ぎという真夜中に、眠れずに泣いているお婆ちゃんと話しをしている葵の姿を目撃したとき、自分には出来ない何かをやっているのだと直感した。
 翌朝、早朝六時に目覚めた早苗は、葵がまた別の人と会話しているのを目撃する。そしてそれは夜まで続く。
 一日中ずっと話し続けることが、どれだけの体力と精神力を必要とすることなのか、早苗には想像も付かないが、その消耗が尋常ではないことぐらいは分かる。
 しかも、ただ話し続けていただけではない。初対面の、それも複数で年齢も性別もバラバラの相手を、飽きさせずに元気付けていたのだ。
 早苗だけが、葵がこの三日間でほとんど寝ていないことを知っていた。

「着いたら起こすよ」
「そか、おおきに」
 ほどなく、規則正しい葵の寝息が早苗の耳に届く。

 早苗は、自身の信念に基いて行動することが、どれだけ大変なことなのかを知る。それをやってのける友人を誇りに思うと同時に、二人のときは気を許してもらえる存在でありたいと願うのだった。