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遺伝子組み換え少年

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 遺伝子組み換え少年

 序(祐丹の周りの話)

 組み替え

 1

 ひとけのない場所だった。
 超が頭に付くほどの高層マンションの、内部駐車場へ向かうための、外部から続く車用通路のひとつ。車三台は通れるアスファルトの車道があり、向かって左の、マンションを囲む塀に沿って、常緑の真っ直ぐな木と四角く整えられた植物が植えられている。歩道とも繋がるそこにはマンション側に細い人の通路もあり、中途からマンションの傘に入るタイルの道から、人の通路は四つに分かれていた。二つの駐車場の入口に合わせて、二車線と一車線を白色のコンクリートが分離して、二車線の側には料金所があり、無人であった。三車線より手前の、車道とマンションの境目には、木を埋めるために作ったスペースを誤魔化したような、二メートルほどの幅のコンクリートの足場があった。
 夕時であった。激しく燃える太陽が、薄い膜のように秋雲と地上に自身の色を貼りついている。木やアスファルトの区別をしない、赤い日の色であった。
 外部から敷地内への入口は工事中の看板とフェンスが仕切っている。敷地内でそこへ繋がる通路にもひとつ前の曲がり角からフェンスが張られて、マンション内部への一般人の進入を拒んでいた。
 しかし、その一帯のひとけのなさはどこか、さらに不自然であった。工事の人間の熱も残滓すらなく、無機質の冷たさだけがひっそりと底に溜まっている。
 そのマンション自体は、地下鉄と環状線の駅に繋がっているという利点もあって、下階を多くの店舗に間貸しさせているので、便利で、本来は、客の往来は激しい場所であった。平日の昼には客は少ないが、休日には確実に混む。訪れれば適当な暇つぶしの見つかる、少しは栄えている地区ならひとつは建てられている、地元民に愛された場所で、不況の煽りを受けているとはいえ高い背に入居者は多く、その内部駐車場入口は車で訪れる客にも利用されているのである。
 なのに、これだけの規模の車用通路が、閉ざされたままで放ったままにされている。下階の広場や店屋へ繋がる道も閉ざされたままだ。今日は金曜日であるにもかかわらず、看板が設置されながらアスファルトを掘り返すだけの工事もせず、その程度のことをする箇所もあると思えない、ゆるみのない慣れた無機質さだけがそこにはあった。
 塀を隔てた車道から、車のタイヤとエンジンの音がしている。
 電車が駅に到着しようという音が静かに聞こえ始めていた。
 それだけの音と、無機物の気配しかその場所にはなかった。
 ばたばたばたばた、と、初めて旗がはためくような音がしたら――
 そこに人の身体が降っていた。

 ぐじゃん
 凄まじい音がした。
 意思のない、遠目からなら雨粒にも見える形で、人の身体は白いコンクリートの足場に落ちていた。
 硬いものが壊れる音と、風船が破裂したような音が同時に通路に響いた。その音に気付いてか気付かずにか、野次馬は通路に寄ってこなかった。
 壊れたコンクリートの欠片と共に、血にまみれた骨片と肉片がアスファルトの車道やマンションの壁まで飛んで脂で張り付いた。バスケットボールのように、高く垂直にバウンドした身体は捻れながら穏やかに宙に浮き、落下の衝撃で窪んだコンクリートの通路にもう一度着くと勢いよく四回転して、アスファルトとコンクリートの境目で固まった。
 頭から、落ちた。
 即死だろう。
 首が逆を向いている。
 回転した際にコンクリートを噛み、頭部は刃物でなぞったような切創と、鈍器で潰されたようなざくろな傷で覆われている。陥没した額から脳味噌がだらりと前髪のように掛かって、その脳味噌の掛かった飛び出した目玉は、裂けた目尻から血が流れるたびに元の位置に戻っていった。死体の綿製のズボンは芯の足が複雑に折れて脱ぎ散らかしたような形であり、赤黒い染みがベージュの地を隠し、黒地のトレーナーの右腕からは尺骨が突き出して、背中から生えた肋骨が白く、鉤状で鞄の取っ手のように飛び出していた。右腕は上腕骨が筋肉と他の骨に挟まっているのか、空を向いて固定されている。上着のジッパーは顎まで上げられていて首元を隠したままで、胸は地面に着き、顔は右腕とは逆の、空を向いている。
 地面に着いてからの回転で、全体が捻じれている。人の身体は、体内に停滞していた血液を痙攣に合わせてしくしくと垂れ流していた。
 ぱたんぱたんと、二枚のサンダルが別々の位置に別々のタイミングで車用通路に落ちた。
 裸足と手も頭部のように傷に塗れている。爪は割れて、指と指の股が裂けている。破れた衣服に隠れた死体の中身も、さしたる変化はないだろう。
 トレーナーと綿のズボンという服装から想像するには、男だろうか。
 死体自体は凄惨に過ぎて、ただその出で立ちからは、年頃が若いことだけが窺い知れる。
 数秒前まで健康に生きていた肉体は、まだピンク色の肉に張りがあり、命が残っているように見えなくもない。服装とその張りが、何とか壊れる前の肉体の面影を残していた。
 美しい。
 雨粒のような、生の一切を放棄した死に様。痛みも苦しみも、喜びもない死に様であるのに、内側から硬い骨や粘い体液が飛び出そうとしている、自殺体のその風体が対照的で、しかし数分で消えてしまう。
 はかなく、汚く、臭く、美しい。
 死体から漏れる臭気が空中を這っていた。
 衝突の音の去った後は、日の色に照らされ、ひっそりと無機質の中に潜んでいた。
 静かだった。
 続いていた電車の音が、甲高く駅に停まり止む。
 轟音が通路を貫いた。
 人の身体の落下から三十秒ほどであった。
 荷台に蕾の桜木が塗装された、中型のトラックだった。工事の看板とフェンスを轢き潰して、トラックの轟くエンジン音をさせながら乱暴に通路に進入したその車は、三車線分の車用通路を使い重い尻を振って半回転をすると、タイヤを焦がした煙を噴きながら、丁度死体に荷台の腹を付ける形で大きく揺れて身体を止めた。
 荷台が片羽根を持ち上げると、隙間から漏れる白い灯りと共に、高い車高から三人の男が滑り降りた。利き手に裁ち鋏を握り、顔を隠す大きさのマスクと帽子を被り、長い白衣を着ている。三人の男は、ずかずかしく、しかし無気力に死体へ群がると、その身体を手に取り衣服を裁ち鋏で切り刻み始めた。足で手を踏み固定して、袖に鋏を入れる。慣れた、無遠慮な手つきだった。血脂と繊維で鈍った鋏を、自分の白衣に擦り付けて、切れ味を戻していた。
 荷台の羽根は、荷台の屋根より持ち上がることはなく、軒下のようになって止まっている。
作品名:遺伝子組み換え少年 作家名:樋口幼