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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (65)

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (65)まるでミルクの水の底

 「お姉ちゃん。周りじゅうがぼんやりとしていて、
 まるで宇宙空間に漂っているのか、
 ミルクの水の底にいるような感じがします」

 自分の指の先さえ見えなくなるほどの濃密なガスの中で、清子が
ポツリと(自分に)言い聞かせるようにつぶやいています。
『まるでミルクの水の底か。突拍子に上手いことを言うわね、清子も』
ぴったりと体を寄せている恭子が、水滴が滑り落ちてくる帽子のひさしを、
少し阿弥陀に持ち上げます。


 谷底から吹き上げてくる冷たい風が収まりかけています。
空気が淀んできた語らいの丘の急斜面一帯が、物音ひとつ聞こえない
状態に変わってきました。
静寂と真っ白な一面のガスだけが、2人を取り囲んでいます。
動きを止めたガスからは、微細な水滴が音もなく舞い降りてきます。
執拗にまとわり続ける水滴は2人の寝袋の上に、薄い水の膜を作ります。
頭の上に被せた青いビニールシートからも、時々、チロリと音を立て、
水の小さな塊りが、2人の目の前から滑り落ちていきます。


 「ひっそりとしてきました。
 周りの物音が一切聞こえなくなりました・・・・
 こういうのを、嵐の前の静けさと言うのでしょうか」

 「不安なのかい、清子」

 「いいえ。お姉ちゃんと一緒にいれば平気です。
 それに昨夜のあの雷のせいで、山の嵐には、すっかり慣れました」


 「でも残念ながら、昨日とは条件が決定的に違います。
 ここには嵐を遮ってくれる、壁も屋根も、何一つとしてないんだよ。
 仮に雷がやって来たも、体を隠す場所さえない急斜面の草の上だ。
 その前にうまく霧が晴れてくれると移動ができるから、
 助かるんだけどねぇ・・・・」

 
 「遭難時に、無駄に歩き回るとさらに事態を悪くするそうです。
 夏山でも時として、低体温症で遭難死をしてしまう例も
 結構あると書いてあります。
 体温を奪う最大の要因が、『濡れ』と『風』による
 悪影響と書いてあります。
 全身がずぶ濡れになり、そこへ吹きさらしの強風などにさらされると、
 体温が奪われ、やがて行動不能になり遭難をするそうです・・・・
 そうした事例が、気象遭難の典型な例だと市さんのメモに
 書いてありました。
 霧でも、けっこう体が濡れるものですねぇ」


 「たまは、大丈夫かい?。
 猫はもともと、体毛や皮膚が濡れることを極端に嫌う生き物です。
 猫の祖先と言われているリビアヤマネコ(アフリカヤマネコ)が、昼と夜の
 寒暖差がとっても激しい砂漠出身ということに、起因をしています。
 ずぶ濡れのまま寒い夜を迎えると、水分が蒸発するときの気化熱で、
 体温を奪われてしまい、命取りになります。
 そのせいで猫は、本能的に水に濡れることを嫌うようになったのさ。
 シャンプーをしようとすると狂わんばかりの勢いで、
 目いっぱいに抵抗をするのは、そのためだと言われている。
 もしも猫が迷子になったら、乾いていて濡れていない場所を探すと、
 見つかると言われているのもそのためだ。
 ほら。たまをこれ以上、濡れないように新しいタオルでくるんでおあげ」


 たまが濡れた鼻先を天に向けたまま、ヒクヒクとさせています。
目はうつろに保ったまま、空しく空中を泳ぎつづけています。
降って湧いたような突然すぎる急展開に、たまはただただ動転をしています。
パニックに襲われたまま、呆然としているばかりです。


 『大丈夫だ、たま。
 霧は、間もなく晴れると思います。
 もう少しの辛抱をすれば、私たちは、きっと下界に向かって歩き出せます。
 でもね。危ないですから、視界が晴れないうちはひたすら
 ここで我慢をしましょう。
 おとなしく言う事を聞いて、お前もその時がくるまで辛抱をするんだよ』


 『清子は平気なのかよ・・・・
 ほぼ遭難という事態だというのにさぁ。
 全身はずぶ濡れになったままだし。
 ほらぁ、また遠くから、雷の音みたいなのが聞こえてきたぜ』


 『あたしだってさっきから不安で、心臓がバックンバックン踊っているさ。
 でもこんな不安な時だからこそ、自分を見失ってはいけないの。
 お姉ちゃんだって、必死になってこの場から抜け出す方法を
 考えてくれています。
 あたしが不安な顔を見せたら、お姉ちゃんがもっと辛くなるの。
 ほら。顔を拭いてあげるからこっちを向いて、たま』


 『なぁ清子。助かるのかなぁ、俺たちは・・・・』


 『別にまだ遭難が決定したわけではありません。
 霧に閉ざされて、たまたま身動きができなくなっているだけの話です。
 通りがかりのヒメサユリが咲いている高台で、水滴に濡れながら
 少しばかり小休止をしているだけのことです』


 『しかし、オイラの耳には、雷の音が刻刻と近づいて来ているぜ。
 このまま雷の直撃なんか受けたら、この急斜面では、
 やばいんじゃないのか。
 と嘆いてみせたところで、これだけの濃い霧に囲まれていたんじゃ、
 簡単に、身動きなんかはとれないか。
 こういうのを、絶対絶命のピンチと呼ぶんだろうなぁ、
 世間一般は』

 『たしかにそういう言い方もあるわね、たま。
 でもさ。99%のピンチでも、1%の運が残っていれば
 劇的に事態が変わることもあるわ。
 9回の裏2アウトでも、逆転のサヨナラホームランが出る
 場合だってあるもの。
 物事の結果というものは、下駄を履くまでは誰にもわかりません』

 
 『誰が土壇場で、逆転ホームランてやつを打つんだよ。
 俺か、お前か、それとも10代目か?』

 『さぁて誰だろう。
 私かもしれないし、恭子お姉ちゃんかもしれません。
 もしかしたら、たま。お前さまかもしれませんよ、うふふ・・・』


(66)へつづく