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ジャッカル21

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二〇〇五年、七月七日、現地時間午後八時、モスクワ

アントン・アントーヌヴィッチ・ズヴェルコフ外務省極東局第二書記官の指は、震えっぱなしだ。何度もキーを打ち間違えた。間違えを直そうとしてさらに打ち間違えた。額には汗が噴き出ている。その汗がズボンの太ももに滴れる。手の甲でぬぐいたいのだが、そんな暇はなかった。心はあせるが指がうまく動かない。いや、興奮のあまり動きすぎるのだ。早く知らせねばならなかった。重大情報だった。一分でも早く知らせればそれだけ価値が高くなる。それだけ高く売れるのだ。
こんな時でもタバコは吸ってしまう。トイレに行くのはぎりぎりまで我慢するがタバコはそうはいかなかった。震える手に日本製の百円ショップライターを握って安タバコに火をつける。汗がタバコの巻紙に沁みこむ。くわえたままキーを打ち、唇近くに熱さを感じると、足元の水を張ったバケツに投げ込む。
室内にこもった煙を外に出すためにもしズヴェルコフが部屋の小窓を開けるだけの余裕があれば、ゴーリキー公園のゲイトや大観覧車やドンスコイ寺院の尖塔が夕焼けに染まって見えるはずだ。
赤の広場から南南西に五キロほど行くと、モスクワでは最も古く、最も有名なゴーリキー公園がある。100ヘクタールの敷地が、細長く、モスクワ川に沿って広がっている。夏は白夜のせいで夜十二時まで開放されている。様々の遊戯施設が所狭しと設置してあり、水鳥とボートが群れる湖もある。それらを遊歩道が束ねるように囲んでいる。この幅広い遊歩道は、冬には湖面とともにスケートリンクになる。夏も冬もモスクワ市民にとっての憩いの場だ。
公園に隣接してドンスコイ寺院が建っている。革命以降、特にスターリン時代に、社会主義イデオロギーと再開発の名の下に取り壊された寺院は多い。この寺院は、さすがに由緒あるせいか、数少ない生き延びた例のひとつだった。背後に広がる墓地は、公園と対照的に、静けさを保っている。墓の前では独り言を言う人やいつまでも頭を下げて祈っている人が見かけられる。
この墓地には幾人かの日本人の墓がある。宮川船夫の墓もある。初代から五代までの駐ソ大使の通訳を勤めた人物だった。千九百五十年に死亡してドンスコイ寺院の共同墓地に葬られていたが、友人たちが改めて墓を建てた。
作品名:ジャッカル21 作家名:安西光彦