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しんしんと雪の降る -宵待杜#07-

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 扉の外は、さっきよりももっと下がった冷たい空気。きゅっと身を縮ませて、それから二人は歩き出す。
「寒くない?」
「大丈夫だよ。ちゃんとあったかくしてきたし」
 ぽてぽてとした蜜月の歩みにあわせて、夜道を歩く。コートで着膨れた上に綿入りのブーツ。動きにくいけれど風邪は引かないだろう。
「マスター、どこまで行ったのかなあ?」
「そうだね……」
 蜜月の問いに、深景は空を見上げる。月は、厚い雲にたびたびその姿を隠している。
 凛と空気が研ぎ澄まされる。マフラーに覆われていない生身の頬がぴりぴりとする。
 ああ、やっぱり彼の目的はこれに違いない。
「きっと、もうすぐ……」
「あっ」
 蜜月が声を上げる。
 ひらり、ひとひら。
 真っ暗な空から、小さな白い塊。
「雪だよ、深景ちゃん!」
 次々と舞い落ちる。
 両手を広げて、蜜月がその雪を全身で受け止めようとした。
「やっぱり降ってきたか」
 きっとこの最初の雪を見に、店主は出かけたに違いない。寒がりの彼の相棒をつれて。
 少しずつ落ちてきた雪は、徐々にその量を増して、みるみるうちに地面を白く染め始める。
 蜜月は、立ち止まって瞳を閉じた。
 耳を澄ませる。
「……聞こえる?」
 たっぷり待って、深景が聞いた。
「……ううん、わかんない」
 ゆっくりと瞳を開けて、困ったように蜜月が笑った。
「すっごく静かで、なんにも聞こえないよ。まだ雪が少ないからなのかな?」
「じゃあ、一回帰って雪が積もるのを待ってみる?」
「うーん……せっかくだから、もう少し、雪を見ていようよ。マスターもまだ帰ってこないし」
「ああ……だったら、家の前で待っていよう。それならマスターともすれ違わないし、寒くなったらすぐに中に入ればいい」
「じゃあ、そうする」
 深景の提案に、蜜月は頷いた。
 手を繋いで、黙ったまま二人は並んで歩く。
 蜜月はそれでもまだ雪の音を聞きたくて、じっと耳を澄ましているようだ。
 言葉少なに辿った帰り道は、それほどの距離がなかったようで、あっという間に帰り着く。二人で玄関先で二人の帰りを並んで待った。
 深景はすぐに中から暖かな紅茶を大きな保温マグに淹れて持ってくる。家の中には、茶葉を抜いてティーコゼーをかけたポットに二人分を残して。
 マグから立ち上る湯気さえ、鼻先を掠めていく温度を感じる。
 両手からも暖を取るようにマグを抱えて、降り積もる雪をただ見ていた。くるり、ひらり。ただひとつとて同じ軌道のない雪の踊りを見ていることは、飽きの来るものではなかった。
 視界はあっという間に白に染められていった。
 ぼんやりと空を見上げると、濃紺にちいさな白い点が鮮やかに浮き上がる。
 すこしずつすこしずつ、紗がかかるように世界は雪に覆われていく。
 足元は真さらな雪が、なにものの浸食も受けることなくだんだんと積もっていく。
 言葉さえもその雪は吸い取ってしまいそうで、長く沈黙が続いた。苦痛ではないその時間。
「もしかして、ね」
 ぽつりと蜜月が呟いた。
「いつもより、雪が降ってるときって、すごく静かな気がするの。しーんとしてる。――これが、『しんしん』ってことなのかな?」
 深景ちゃん、どう思う? とたずねられて、深景は一瞬の間を置いて、くすりと笑った。
「なるほどね。そうかもしれない」
「マスターなら知ってるかな?」
「ああ、じゃあ聞いてみようか」
 ほら、と遠くに見える影を指すと、闇に溶けそうな黒い姿。そして、彼に寄りそう相棒の姿。
「マスター、暁さん!」
 蜜月は勢いよく立ち上がって、雪の中を駆け出した。
「おかえりなさい!」
「どうしたんだい、こんな寒い中」
 飛びついた彼女を抱きとめながら、店主が目を丸くする。
「あのね、マスター、雪の音って知ってる?」
「雪の音?」
「絵本を見てしんしんという音が聞きたくなったらしくて」
 後から遅れてついてきた深景の補足に、ああ、と得心の言った表情を二人が並べる。
「それであなたまで付き合っていたというわけね」
「ええ、まあ」
「それで、蜜月。雪の音は聞こえたの?」
 ふわりとそのマントに彼女をくるむ。
「うーん、よくわかんない気がする。しんしんなんて音は、やっぱり聞こえないもの」
「そう」
 店主は、蜜月を抱き上げると、一歩一歩踏みしめるように店に近づいた。
「聞こえる?」
「え? なぁに?」
 首をかしげる蜜月に、暁が横からしーっと人差し指をその真っ赤な唇に当てた。
「雪の音よ」
 そして、一歩。
「あっ」
 さく。
 もう一歩。
 さくり。
 体重を乗せた雪が、その足跡のままに沈む。
 ひとつ歩みを進めるたびに、その雪はさくりさくりとその存在を音で主張した。
「雪ってさくさくって音がするのね」
「まあ、降るときの音とは違うかもしれないけれど、これも雪の音だろう?」
「ほんとだ」
 うずうずした素振りの蜜月を、店主はその雪の上に降ろしてやる。
 さくり。
 両足が地面についたときに、ひときわ大きく音がした。
 蜜月の表情がぱっと輝く。振り返ると、聞こえた? と満面に書いてある。
 深景が頷いてやると、蜜月は、片足とびをするように、大きくぽんと、雪に踏み出した。
 そのすぐ横を、深景は彼女が雪に足をとられて転んだときのために、手の届く距離でついていく。
 そしてその更に後ろを、大人二人は邪魔しないよう、ほほえましく見守りながら。
 その雪の声を聞き逃さないように誰もが黙ったまま、夜の闇の中に、さくさくという雪の音が鳴り続けていた。