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祝福と疫病

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 蚤の市で手に入れたアンティークの指輪。ぽつりと小さく薄く嵌め込まれたルビーが夕暮れみたいな透明な赤で、飾りすぎない感じがあたしの気にいったのだ。
 でも、その細かな金色をクロスでぴかぴかに磨いたら、バカみたいなことがおきた。
「ああ、まったく息苦しいったら!」
 煙なんて出なかった。でも、見知らぬ男がそこにいた。
 あんまりにも突然のこと。驚きのあまり寝台の隅から転げ落ちなかった事は、褒められたっていいだろう。
 でも男ときたら人の寝台で胡座をかき、大きく伸びをして、深呼吸。褐色の肌に、瞼が開けば、きらきらと輝く金色の瞳。それから、あちこちで小さな竜巻に巻き込まれたみたいにはねてる、一際目をひく赤い髪。人間じゃないみたい。まるで髪は燃える篝火みたいにつややかだし、瞳はまさしく虎目石。
 あたしがびっくりしていると、彼は軽やかに寝台を降り、ピンと背を伸ばし直してから、ゆるやかにお辞儀した。上半身は短いチョッキだけ。紫に金の刺繍。御伽噺みたいね。それに隠すものがないからすっかり見える、薄く割れた腹筋がなんだか意外だ。足首がふっくらとしてるズボンは砂色。靴はてっぺんがとんがって、あたしはいよいよ馬鹿げたことを思い出す。魔法のランプに封じられた精霊。でもランプなんかない。だいたい、あんなのは物語だ。
 あたしの検分するみたいな視線を気にもせず、ゆっくり腰を折った彼はうかがうようにこちらを見た。
 仕草とは裏腹な瞳の鋭さにぎくりとさせられた。しかも、そんな瞳のくせに、仕草に似合った柔らかな声がでてくるから不思議だ。
「さてお嬢さん、願い事は?  呼び出された以上は願い事をいってもらわねばね」
 にこっと笑うと、その顔立ちが驚くほど美しいことに気がつく。顔立ちは明らかにこの街の人間じゃない。もちろん、アジアの人間でもないだろう。
 頭のなかをよぎっているのはバカバカしい考えだと我ながら思う。でも、やっぱり、それこそ物語にでてくるジンニーみたいだ。この人。
 あたしは面食らった顔をうまく取り繕えないまま、せめて誤摩化すように眉間に皺を寄せた。
「願い事、ってなによ」
「なんだ、わからず呼び出したのか?」
「呼んでないわ。あなた、いつの間にかここに……」
 言いながら、ぞっとする。
 あっけにとられたけど、普通じゃない。普通の人間は突然あらわれたりしないもの。
「あなた、どこから入ったの」
 だって部屋には内側から鍵を閉めてる。
 いよいよ驚きが消えて、現実に血の気が引き始める。これはまるきり不法侵入だ。見知らぬ相手を家に招き入れたりなんかしない。たとえ酔っぱらってたって。
「どこって? 君が呼んだんじゃないか、こすっただろ、運命の輪を」
 でも、彼はすこしも悪びれない。
 音も無くあたしに近づくと、寝台の上へ膝をつき、手を奪う。
 指にはまっているのは、たった今磨きあがった金色の指輪。
 そう、あたしのものになった指輪。運命の輪だなんて洒落た言い方をされたって、何を言いたいかわかる。わからないほうが馬鹿ってもんだわ。どっちにしたってバカみたいだけど、彼の言いたいことはわかった。
 願い事を叶えてくれる魔人。
「でも、願い事なんて」
 なんにも思い付かない。そんなの考えてる場合じゃない。現実に、今、この現実をみないといけない。あたしは掴まれた手を奪い返して、頭を振る。
 髪留めがぱちんと外れて床に落ちた。まとめていた髪が鬱陶しく肩を撫でる。褐色の骨張った指が伸びてそれを払い、首を撫でる。
「なんでも叶えてあげられるよ」
 ぎくりと心臓が跳ねる。バカげてる。でも、そんな風に見つめられたくなかった。鼓動が聞こえてしまうのではないかと怖くなる。あたしは強がって、早口に言い返した。
「ないのに何を叶えるっていうわけ?!」
「ない?」
 顔をそらして言ったのに、結局彼の声に驚いてそちらを見てしまう。彼は目を丸くしていた。
 あたしの肩に置かれた指に突然力がこもる。
「ちょっと…?」
「ないって何だい、ないわけがないじゃないか!」
「だって、な、ないものはないわよ。思い付かないわ」
「おいおいおいおい、そんなのナシだ、僕が困る!」
 どうしてよ、と問い返す私に、彼はすっかり狼狽した様子で言う。
「あんた、もう僕を呼び出した時点で契約が発生してるんだ。契約不履行は認められない決まりだよ――ええと」
 彼は机の上にちらりと目線を走らせて言った。
「メアリ」
「はずれよ」
 それは義姉の名前だ。封を切った手紙なら、差出人のなわけないじゃないの。
 なんだか急に馬鹿馬鹿しくなってあたしは溜息をついた。
「そうね。名前をあてたら、願いを考えてあげるわ」

2009/12/02
作品名:祝福と疫病 作家名:しゅうぞう