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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (8)

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (8)深川芸者の由来
 
 たまが縁側で、ひなたぼっこをしています。
というよりも、朝早くから春奴と清子も出かけてしまい、
家には誰も居ません。
いつもの食事量より大目に置いてあるということは、今日は
帰りが遅くなるという信号に他なりません。


 湯西川温泉の山々の新緑が一段と濃くなってくると、
恒例の『平家大祭』が近づいてきます。
町の人たちが平家の武者や姫に扮し、総勢200名余が街中を練り歩く
『平家絵巻行列』は、荘厳そのものです。
琵琶の演奏や雅楽の調べなど、平家に関する催しが一日中繰り広げられます。
在りし日のいにしえの平家の栄華ぶりが、いやでも山あいの温泉地に
蘇ってきます。

 
 イベントが近くなるにつれ、
女たちは本性をむき出しにして華を競いはじめます。
離れて暮らしている6人の弟子たちも、この時ばかりはかわるがわるに
置屋に顔を出すようになります。
平家絵巻行列の頂点の華を狙って、水面下で、それぞれの思惑が
動き出すのもやっぱり、ちょうど今頃のこの時期からです。


 『それにしても・・・・』
と、涙目とともに大きなあくびをひとつした、たまが、
ポツリと愚痴ります。


 『女どもにも困ったもんだ。
 何時までたっても、おいらを子供扱いにしたまんまだ。
 初めて来た時は、たしかに手のひらに乗る
 『あらぁ、まぁ、とても可愛い~』と言われる程度のサイズだった。
 ところがよ。もう体重だって、とうに1キロを軽く超えたんだぜ。
 3ヶ月をすぎれば猫の世界では、子猫も立派に思春期だ。
 それなのに清子ときたら風呂から出てくれば、
 素っ裸のまんまで、前も隠さず平然と俺の前を歩きやがる。
 あの還暦間近の春奴母さんまで、上半身裸のままで、
 オイラの前でお化粧を始める有様だ。
 頼むから、もう少し気にして神経を使ってくれよ。
 おいらはもう、ついこのあいだから多感きわまる、思春期の
 真っ最中なんだぜ』


 それでもこの部屋中に立ち込める、むせかえるような
女どもの粉(おしろい)の匂いは、それほど嫌いじゃないが・・・と、
たまが、最後に目を細めて笑います。
どれ天気もいいし、ぼちぼち散歩にでも行くか。と、
のそりと立ち上がります。

 やっとの思いでひとつひとつをよじ登っていたあの階段も、
今は苦もなくトントンと越え、軽やかな足取りのままあっというまに、
2階の清子の部屋までたどり着きます。

 清子が寝起きに使っている部屋からは、天気の良い日だけ
隙間が作られます。
6月の風が吹き込んでくるカーテンの隙間から顔をのぞかせると、
隣家の青い屋根瓦がまず、たまの目に飛び込んできます。
真相向かいにある部屋は、いつもピンクのカーテンが窓を覆っています。
小学6年生になったばかりの、女の子が寝ている部屋です。
こちらも天気の良い日だけ、半分ほどカーテンが開けられます。


 病気で休んでばかりいるこの少女とも、いまではすっかり顔見知りです。
ふわりとカーテンが小さく揺れたあと、白い子猫の姿が
サッシの窓辺に現れました。
窓辺に飛び乗ってきたのは、まったく初めて見る、純白の子猫です。
『おっ、』と即座に反応をしたたまを尻目に、くるりと
向きを変えた白い毛並みの子猫が、ツンと背筋を伸ばしたあと、
ベッドに寝ている少女と静かに向かい合ってしまいます。


 『なんだい、いきなり無視かょ・・・・チェッ、面白くねぇ』


 出かける出鼻をくじかれたたまが、窓辺で身体を丸めます。
気持ちの良い6月の風が、たまの鼻先を柔らかくかすめていきます。
薄目で白い子猫を盗み見ているうちに、いつしかウトウトと
眠り始めてしまいます。




 花柳界というと何か独特で特別という印象があり、
世間からは、時々、奇異の目で見られます。
花街と遊郭を混同した勘違いは、いまだに横行をしているようです。

 外から見るとこれといった明確なルールが無く、特定の人間だけを
お客として認めているシステムの怪しさが、花街の謎に拍車をかけています。
花街には、中の事を決して外には漏らさないという、きわめて厳しい
しきたりが存在します。
勿論、外に漏らされて困る様な行いが、日夜なされている訳ではありません。
花街が、今でもそうした昔からの伝統を厳格に守り続けている、
というだけのことです。



 きっぷの良さで知られる春奴お母さんは、
深川からこの湯西川へやってきました。
深川は、明暦(1655~1958)の頃から、主に材木の流通などを扱う
商業港として栄えたため、大きな花街も有していました。
商人同士の会合や、接待の場に欠かせないのが芸者衆たちです。
自然発生的にほかの土地から出奔してきた芸者たちが、
深川にこぞって居を構えます。
始祖は、日本橋で人気を博してきた「菊弥」という芸者です。
日本橋で揉め事があり、やむをえず、この深川に
居を移してきたと言われています。



 深川という独特の土地柄もあり、辰巳芸者のお得意客の多くは、
人情に厚い粋な職人達が多く、そうした客の好みが、辰巳芸者の身なりや
考え方にも色濃く現れています
薄化粧のまま、身なりは地味な鼠色系統の着物です。
冬でも足袋を履かず素足のまま、下駄を鳴らして駆け回ります。
当時男のものだった羽織を引っ掛けお座敷に上がり、
男っぽい喋り方をします。
気風がよく情に厚く、芸は売っても色は売らないという心意気が自慢という
辰巳芸者は『粋』の権化として、当時の江戸で非常に
人気があったといわれています。


 源氏名も「浮船」「葵」といった、女性らしい名前ではなく、
「音吉」「蔦吉」「豆奴」など、男名前を名乗る場合が多かったといいます。
これは男芸者を偽装して、深川遊里への幕府方の捜査の目をごまかす
狙いなどが含まれています。
東京の芸者衆の中に、「奴」のついた芸妓名を名乗る人が多いと言われている
そもそもの由縁が、こうした辰巳芸者たちの存在です。


(9)へつづく