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ねこたねこ
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コタロウによろしく

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コタロウによろしく

   プロローグ

 灼熱の太陽とうだるような暑さ。それからようやく解放されるのはお彼岸だと昔の人は言った。
 暑さ寒さも彼岸まで――そんな言葉がまやかしであるかのように最近の夏はしつこく暑い。十月に夏日となることも珍しくない。それでも、今年は昔の人の言葉通り、彼岸を境に急に風が冷たくなった。
 健治はこの涼しさに一抹の虚しさを感じていた。昔は夏の終わり、秋の入口、この季節が好きだったはずなのに。
 思いつきで来てしまった勇福時の参道を歩きながら、健治はこれまでの自分、そして、この二年間のことをゆっくりと思い返していた。

 
   1.
 

 まあまあ、うまくやってきたと思う。別に大きな野心があったわけでもないが、勉強もそこそこできたし、要領も良かった。中学、高校とうまくやり、大学もいわゆる一流と言われるところに入り、今では皆が憧れる新進気鋭のIT企業で働いている。仕事は確かにきつい。他社との競争を煽られ、同僚とも競わなければならない。
 健治は本来、そういうギラギラとした環境が好きではない。向いていないとも思う。けれど、会社でやっていくために仕方なく、ある意味ドライに、冷徹に、ビジネスマンとはどうあるべきかを考えて、そのように振る舞った。
「世の中とはそういうもの」、そう思うようにした。そうでも思わなければ、とてもやりきれない世界だったから。
 両親は健治が大学入学を決めた直後に離婚した。二人とも冷静な人でいさかいのシーンを健治には見せなかったが、健治が高校に入学した当初から、なんとなく不穏な空気は感じていた。心から憎み合っていた離婚ではないと今でも思っている。何かがうまくいかなかったのだろう。大人には大人の事情があると今の健治には理解できる。当時の健治は一見仲の良い二人がなぜ自分をないがしろにして……という思いはあったけれど。
 いずれにしろ、二人はそれぞれの道を歩んだ。既に大人に近かった健治は自ら進言し、いわゆる親権の争いをさせなかった。確固たる信念に基づいて主張したわけではない。なんとなく、そういうことが嫌だなと感じたからだ。
「自分は一人で大学に行き、一人で学び、きちんと卒業する。あなたたち二人は永遠に自分の親だ。一生愛するし、どちらかがどうということもない。ただ、今は自分が大学を出るまでの責任だけ果たしてほしい」
 そのときから健治は一人暮らしになった。両親がそれぞれの場所にそれぞれの生活を求めて去ったあと、家族三人で暮らした家に一人で住んでいる。
 そもそもその家は、健治の祖父が建てた古い建物であったため、数年前に父親が建て替えた。それゆえ、外観は今風で小奇麗。はたから見たら小さな子供がいる若夫婦、それも幸せを絵に描いたような家族が暮らしている、そんな印象を与える家だった。
 庭付き二階建ての一戸建てにたった一人で住んでいる健治だが、周りから見ても不自然なこの環境にはもう慣れた。人の目を気にしてあれこれ考えるエネルギーを使う余裕もない。そのことは心の片隅に放り投げている。
 社会に出てからの健治は、なにより、この殺伐とした日々のストレスを吹き飛ばしてくれるオアシス――そういうものを痛切に欲していた。お互いのミスをフォローしあったり、落ち込んでいれば飲みに行って愚痴を言い合ったり……そんなドラマのような景色が理想だった健治とって、「他人の失敗は蜜の味」という現在の会社のありようは、乗り越えることはできこそすれ、決して相容れないものだった。
 ただ会社に行って帰ってくるだけでも人間性の一部が消失する。繰り返す鬱屈した毎日が心を蝕み、ほとほと疲れきっていた二年前の夏。健治に、ある意味運命とも言える契機が訪れた。
 近所の人から犬を飼える人はいないかという話を聞いたのだ。ボランティアとして恵まれない犬たちを保護していた近隣住民が、事情によりこれ以上育てることができなくなり、近所に受け入れられる人がいればお願いしたいという話だった。ゴミ捨て時の雑談で聞いた噂話だったが、その後、町内の回覧板にもその旨が載っていた。
 普段、回覧板など一瞥もしない健治だったが、このときは違った。あまりにも心が疲弊していたのだ。
 五時半に起きて七時には出社。取引先との折衝、内部システムの構築、新人の教育、ライバル社員が気合い満々で臨む会議。気付けば帰宅は深夜。同じように先進的業界でバリバリ働くやり手の彼女に弱みは見せられない。
「何か血の通った温かい場所を見つけなきゃ、自分は壊れてしまう」
 そういう思いが日々心の中で大きくなっていた。だからなのか、その日、そのときだけは、導かれるようにこの回覧板を手に取ってしまっていた。
「引き取ってまだ八日の生後三か月の雑種(雄)です。殺処分となるところを保護しました。心ある方に里親になっていただければ幸いです」
 三軒隣の鈴木さんのコメントが載る回覧板を健治は何度も読み返した。
 仕事ではテキパキ動く健治だが、休日はまるで別人。呆けたようにテレビを見ては、ほとんどそこから動かないまま夕暮れを迎えるのが常だった。それほど無精な健治が、どういうわけか、その記事を読んだあとはさっと動いた。瞬間的に立ち上がり、ぼさぼさ頭によれよれのトレーナー姿のまま鈴木さん宅の呼び鈴を鳴らす。
 穏やかな顔で迎えた鈴木さんに健治は「自分がちゃんと育てます。子供の頃に犬の世話をしたこともあります」――実際健治は子供の頃犬を飼ったことがあった。といっても離婚前の両親が好きで飼った犬で、世話もほとんど両親がしたのだが――と誠心誠意説明した。なぜ、あそこまで、と自分でも思うほど熱く、必死に。
 大きな家に、男の一人暮らしで、大した事情がなくても周囲にうとまれる材料がある健治は、あらぬ誤解を受けぬため、普段から礼を失せず、挨拶も欠かさなかった。そんな健治を鈴木さんはよく思っていたのだろう。特に驚きもせずに捨てられた雑種を譲ってくれた。健治は鈴木さんに感謝し、「ちゃんと世話します」と言い切った。
 その雑種は白毛で頭と足に少しだけ黒ぶちがある、やさしい顔をした中型の犬だった。大きめの耳は先が少し垂れさがり、目は真っ黒で大きい。
 引き取った直後はさすがに警戒してか、なかなか近くに寄ってこなかったが、健治は自分から近づくことはせず、ひたすら待った。
 日常、冷たいコンクリートの中で生きている健治は、小さな部屋で自分以外の生命体とお互いの息遣いを感じ合って向き合う状況だけでも、あり得ないほどに心が安堵した。
 健治の様子を、離れたところから覗く雑種犬。じっと待つ健治。一時間ほど過ぎたころだろうか、雑種の子犬は「キュウーン」と小さな声をあげた。健治は鈴木さんからわけてもらったドッグフードを鼻先に差し出す。と、子犬は警戒をあっさりといてフードをガツガツと食べ始めた。「よっぽど腹減ってたんだな。現金というか、子犬らしいというか」
 健治は久しぶりにほんわかとした気分で笑った。そのときの健治は、それだけのことで乾いた心がいっぱいの水で満たされる思いだった。
 そこから健治と雑種の生活が始まった。健治は雑種に「コタロウ」と名付けた。なんとなくイメージに合っていたからだ。



作品名:コタロウによろしく 作家名:ねこたねこ