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ミツキ ニワ
ミツキ ニワ
novelistID. 44596
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息子の心、母知らず

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「ああ……イイ。やっぱり最高だよ……ここは」
 慣れ親しんでいるはずなのに、何故か懐かしいこの場所……。
 柔らかく、とても良く馴染んだ肌触りの感触を、俺は、これでもかというほど両手で撫で回し頬擦りをして恍惚にも似た感情で堪能していた。

「こら! タケシ! あんた何やってるの? 暇なら、お母さんの手伝いでもしてちょうだいよ!」
 俺は、この生まれ育ち慣れ親しんだ自宅の、リビングのカーペットの上で、もふもふ感を堪能していたところだった。今年大学に入り人生で初めての一人暮らしを始めた。学校が長期の休みに入る度に実家に帰省している。といっても帰省したのは夏休みと、今の冬休みだけだけど。やっぱり自宅は良い。この寒い時期でも朝起きたら、誰かが(母ちゃんだけど)すでに起きていて、部屋は温かくなっているし、メシは用意されていて、ただ食べるだけ! その後茶碗も洗わなくてもいいし、洗濯もしなくていいし! もう最高!
 それなのに、一気に冷めた。――母ちゃんの一言で。
 夏休み以来の帰宅だよ? 昨日帰ってきたんだよ? 実家の良さを再確認していた俺に向かって「何やってるの?」とかないだろ? 母ちゃんよ。そんな事を思いながらも、たまに帰ってきた時くらい母ちゃんの手伝いをして息子の有り難さでも実感させてやろうと思い、もふもふしたカーペットから少し名残惜しさを感じつつ重い腰を上げた。
「で、何したらいいの?」
 時間はすでに夕方の六時を回っている。リビングから夕飯の仕度をしている母ちゃんに声をかける。この時間帯に手伝うことなんて限られている、風呂洗いか? 寒いな嫌だな。
 それか、まさか俺にも夕飯の仕度を手伝えとか言うんじゃないだろな? おいおい勘弁してくれよ。
「ヒーターの灯油を入れてきてちょうだい。もう少しでなくなるでしょ?」
 どんな言いつけをされるかと考えていたら、思わぬ事を言いつけられてしまった。冗談じゃない。灯油缶の置き場所を考えるだけでも、ぞっとする。 俺の家は外に灯油缶が置いてある。しかも、防犯のためだかなんだか知らないが人目の着きやすい場所とのことで、とても風通しの良い洗濯物を干す所に灯油缶を常備三缶は置いてあるのだ。夕方の六時といえば、すっかりと辺りも暗く冬の寒空の中で、一人地道にシュポシュポと灯油を補給しないといけない。
「却下! 無理!」
「何でよ? いつも、お母さん達がしてるんだから帰ってきた時くらい良いじゃない!」
 だから、何故たまに帰って来た俺に、そんなことを言いつけるかなぁ?
「父ちゃんは?」
 そういえば、今日は日曜日で父ちゃんもいたはずなのに、いつの間にか姿をみかけない。
 忙しい夕飯時に母ちゃんから、こき使われるのを知っていてあの親父逃げたな? 俺は父ちゃんの身代わりってわけか?
「お父さんは買い物に行ったわよ。ほら、早く入れてきてちょうだい! 給油ランプが着いてからじゃ遅いでしょ?」
 母ちゃんのせかす声がだんだん大きくなってきている、やばいな。怒り出す四秒前くらいだな。
 父ちゃんの方が俺より先に言いつけをされていたんだな。この寒空の下ずっと歩いている時間より、灯油を入れる時間の方がはるかに短くて楽なはず、と俺は考えて、渋々母ちゃんの言いつけ通り灯油を入れることにした。

 寒空の下で給油した灯油缶を片手に持ち、俺はいそいそとリビングに戻りヒーターを付け、冷えた体を温めるためにヒーターの前を独占していた。そしたら俺より冷え切った体をした父ちゃんが戻ってきた。悪い、父ちゃん! 今この場所を譲る事は出来ないんだ、もう暫く俺が温まるまで、ちょっと待っていてくれ。俺の心の声が聞こえているのか、はたまた帰省している息子を気づかっているのか、父ちゃんがジッと俺を見る。
「タケシ、ほら!」
 父ちゃんが白くて四角い箱を俺に見せる。ん? 何だ? 
 まだ温まりきってない体を、ヒーターから離れることを少し躊躇もしたが、取り合えず白い箱の正体を確かめたくて父ちゃんに近づく。箱の中を開けたら、ショートケーキが四個入っていた。
「おまえ、ここの店の生チョコケーキ好きだったろ? 誕生日とかじゃないけど、せっかく帰ってきたしな」
 ダウンジャケットを脱ぎながら、俺の顔を見ないで父ちゃんが言う。
「さあ、夕飯出来たわよ! 今日はタケシの好きな炊き込みご飯にエビフライよ!」
 
 夏休みに帰ってきた時は、こんなことはなかった。
 ああ、と俺は納得した。五月の連休も家に帰り、まだあまり間隔が空いてなかった、あの時は家を出たって感じが、まだしなかったんだよな。
 そういえば、この冬休みが来るのが待ち遠しかったよな俺。父ちゃんも母ちゃんも、そんな感じだったのかなぁ?
 そう考えると二人の気持ちに俺は照れくさくなり、言葉を発することができなかった。
 言葉で伝えられない分、俺は大好きな炊き込みご飯を三杯おかわりし、エビフライを十匹もたいらげた。母ちゃんから四杯目の炊き込みご飯を勧められたが、ケーキの事を考えるとさすがにもう無理だと判断した。
 そして食後のケーキを三人で食べる。俺が生チョコケーキ二個、父ちゃんがチーズケーキ、母ちゃんはモンブラン。昔から俺達家族のケーキの好みは変わっていない。
 家ってやっぱ良いよな、春休みも帰ってきてやるか、と俺は食べながら思った。

「タケシ、これ食べ終わったらお風呂掃除お願いね」
 母ちゃんはそれだけ言うと台所へ消えた。
 俺がちらりと父ちゃんの方を見る、するとこくりとうなずいた。
 この、どこかのホームドラマのワンシーンの様にも錯覚できたひと時が母ちゃんの一言によって、一瞬にして消え去った。俺はため息が出た。そう、これが現実。

『前言撤回!』
 本当は声に出して言いたかったけど止めた。たとえ、これが現実であろうと今のこのひと時を少しでも、まだ味わっていたかったから。
 そして俺は風呂洗いをするために寒い浴室へと向い、母ちゃんの言いつけ通りにした。