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そして、二人の旅のはじまり

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◆◆◆◆

 商客船“風の運び手”号は、船いっぱいに人と荷物を乗せ終え、後三刻の鐘が打ち鳴らされると共に桟橋からゆっくりと離れていった。ミスティンキルは他の客と同じように船のともへと行き、誰と話すでもなく、遠くなっていくカイスマック島をひとり見つめるのだった。冬の陽は落ちるのが早い。輝く西日が島の影に重なって沈んでいくかのように見える、その美しい様。
 赤い色は好きではない。自分がなぜ故郷を離れなければならなかったのか、その悲しさ、悔しさを思い起こさせるものだったから。餞別に受け取った高価な赤水晶《クィル・バラン》すらも、ミスティンキルにとっては苦々しく感じられる。
 だが、この夕日の赤は好きだ、とミスティンキルは素直に思った。自然の雄大さの前に些末な感傷など消え去ってしまえる。彼は左手に持った杯を傾け、中にある酒を飲み干した。寒い体を温めるには度が強めの酒がよく効く。ほどよく酔いしれながらミスティンキルは日没の様子を赤い瞳でじっと眺めるのだった。

 陽が没した後、空は暗くなり、吹く風はさらに冷たく厳しくなっていく。海の景色を見やるのにも飽きたミスティンキルは、自室に戻ることにした。ともにいた他の客も引き上げ、残っているのは水夫達だけとなっていた。
「この寒さは尋常じゃないよな。ひょっとすると雪でも降りそうだよ」
「風の冷たさからすると、そうなってもおかしくないな。おれたち、船の舵を取るのに精一杯で……出航早々に徹夜仕事なんかになるんじゃないか?」
 水夫達の会話を横で聞きながら、ミスティンキルは船倉に続く階段を降りていった。
 ちら、と。
 空から小さな粒が舞い降りてきた。

 ミスティンキルが階段を降りてくると、折しも夕食の支度が整ったところだった。水夫から簡素な食事がのった盆を受け取ると、狭い自室でそれを食べた。食事を片づけた後は、とくだんすることもない。空になった盆を廊下に置くと毛布にくるまり、暖を取りつつ眠りへと落ちていくのだった。

 ミスティンキルが目覚めたのは、大きな揺れのためだった。眠りについてからそう時間は経っていないはずだ。どうやら海がしけてきたのだろう。故郷を離れるまで漁師をしてきたミスティンキルにとって、大しけの部類に入るがまだ驚くには値しない。危険域には入っていないことが感覚的に分かるからだ。けれども、自室から外に出てみれば、ちょっとした騒ぎになっていた。他の乗客にとってみれば船が転覆するのではないかと錯覚してもおかしくないほどの揺れなのだ。
 またぐらりぐらりと、床が大きく動く。天井から吊り下げられているランタンが左右に大きく揺れ、船倉に映し出された影をも揺さぶる。ミスティンキルの前に立っていた人物が体勢を崩して彼に寄りかかってきた。
「ごめんなさい! ……あ……、またあなたなのね」
 それはあの銀髪の女性だった。彼女はミスティンキルの方に振り向くと小さく一礼した。
「奇遇ですね。同じ船に乗ってたなんて。……それにしてもあなたは平気なの? この揺れ……。あたしなんか船に乗るのがこれで二度目だから、恐くて恐くて」
 彼女は人見知りしない性格なのだろう。まだ知り合ってお互いの名も知らないというのに、気さくに話しかけてきた。
「おれは慣れっこだ。今まで漁師をやってたからな」
 ミスティンキルは強がってみせた。
「だったらへっちゃらなんでしょう。船がこんなに揺れるものだなんて、あたし知らなくて……」
「かなり海がしけてきてるようだ。外に出てみないと確かなことは何とも言えないけれど」
 また船が横揺れした。度重なる揺れで、客の中には気分を悪くしている者もいるようだ。
「こんな時、“海の司”が船に乗ってたら、海を鎮めてくれるでしょうに……」
「“海の司”?」
 ミスティンキルは聞き返した。
「そう。“海の司”。風や潮の流れを操ることのできる魔法使いのことよ。昔ならともかく、今の時代にそれほどの魔法使いがそうそういるわけじゃないでしょうけどね……。……そうだ、ちょっと船長に掛け合ってこようかしら。では、そういうわけで……」
 アイバーフィンの娘は思いついたように手を打ち鳴らし、そそくさと甲板へと上がる階段を上っていった――が、ちょうど大波の揺れが船に辺り、ぐらぐらと船は大きく揺れた。そのために彼女はまたしてもよろめいて階段から転げそうになった。間一髪のところでミスティンキルが彼女を支えた。
「……おれも行くよ。この騒ぎですっかり目が覚めちまったしな。動いていたほうが性に合う」
 ミスティンキルはそう言って階段を上り、途中振り向いて彼女の手を取った。
「ありがとう」
 銀髪の娘はミスティンキルに手を引かれて、階段を上りだした。

 甲板に出てみると、ミスティンキルの想像していたとおり、天候は荒れに荒れていた。島を離れた直後とはうってかわって、海はしけ、強い風が吹き荒れて横殴りに雪が叩きつけてきている。船が転覆する危険はないにせよ、よほど熟練した船乗りでないとこの嵐を乗り切るのは難しいだろう。水夫達が大声で怒鳴り合ってかけ声をかけつつ、なんとか舵取りをしている。その中の一人がミスティンキル達に気づいて近寄ってきた。
「危ないから、中に入っていて下さい」
 雪にまみれて真っ白になった水夫がそう言うと、アイバーフィンの女性は彼に訊いた。
「この船に“海の司”は乗ってないの?」
「あいにくと……。客人には申し訳ないが、今回の航海、“海の司”なしでも乗り切れると判断していたんですよ。ここのところ海が荒れることはなかったですしね。けれどいざ海に出てみればこの嵐……。でも我々乗員が、船乗りの意地にかけて船を安全に航海させてみせますよ。だから安心して部屋でお休み下さい」
 水夫はそう言って再び持ち場に戻っていった。とは言っても、アイバーフィンの彼女は納得がいかないようだった。
「……やっぱり船長に掛け合おう。あたしだったら、ひょっとしたら何かできるかもしれないし」
「あんたが? 船を操ることができるのか?」
「そうじゃなくて……こう見えてもあたし、“風の司”なのよ、ドゥロームさん」
 風の力の加護を受けるアイバーフィンは、“風の界《ラル》”で試練を乗り越えれば、風の力を操り空をも自在に飛べる風の司となるのだ。
「そうか……」
 ミスティンキルは、彼女に惹かれている理由が分かった。自分と同じように、彼女もまた大きな力をその身に有しているのだ。ただ違う点はひとつ。ミスティンキルが自分の力を恨めしく思っているのに対し、風の司である彼女はおのが力を誇りに思っている点だった。
「あたしだったら、もしかするとここの大気の精霊に呼びかけて、風の流れをゆるやかに出来るかもしれない……風がおさまれば、波だって静かになるはずでしょう?」
「分かった。船長室に行こう」
 ミスティンキルはそう言うと、再び彼女の手を取って船長室に向かっていった。
「あの……ドゥロームさん? あなた、お名前は? あたしはウィムリーフ。見てのとおりのアイバーフィンで、西方大陸《エヴェルク》の西、ティレス王国のディナール出身。成人して、今は五十五歳よ」