小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

雪の華~Wintwer Memories~Ⅱ

INDEX|1ページ/7ページ|

次のページ
 
と、カーテン越しにオーナーの声音が聞こえた。
「由佳里ちゃん、そろそろ良いかな」
「あ、はーい。時間かかっちゃって、済みません」
 由佳里がさっとカーテンを開けると、オーナーが入ってくる。
「どれどれ」
 覗き込んだオーナーの顔が固まった。
「あの、私、そんなに変ですか?」
 輝が怖々訊ねると、オーナーは慌てて手をぶんぶんと振った。
「とんでもない。その逆ですよ、もう素敵すぎて、言葉も出ない」
 そのいささかオーバーとも思えるリアクションに、由佳里が嬉しげに幾度も頷いているのが鏡に映っている。
「本当に?」
「ええ、本当に本当です」
 と、これも由佳里と同じようなことを言う。
「あまりにもお美しくて、見とれてしまいました」
 オーナーは端正な顔をほころばせた。
「さあ、準備も万端整ったことだし、そろそろ撮影に移りましょうか」
 いつのまに用意されたのか、剥き出しのコンクリートだった場所に、大きなスクリーンがつるされている。恐らく背景に使うものだろう。よくよく見ると、どこかの教会の内部のような絵が緻密に描かれている。
「じゃあ、この前に立ってみてくれますか?」
 いきなりオーナーの指示が飛び、輝は慌ててスクリーンの前に立った。その背景で何枚も数え切れないほど撮影した。静かな空間に、シャッター音だけが響き、時折、オーナーの指示が入る。
 由佳里は少し離れた場所から、撮影の邪魔にならないように見学していた。同じ背景でポーズを変えて何枚も撮ってから、今度はスクリーンが変わった。今度は、どこかのお城の大階段を彷彿とさせるような風景である。緩やかにうねった大階段には緋色の絨毯が敷き詰められ、天井にはまばゆいシャンデリアが煌めいている。会場の大広間では舞踏会でも行われているかのような趣があった。
 たった一枚でも、物語を感じさせるような背景である。その新しい背景で撮影する前に、由佳里が一度、輝の全身をチェックして化粧直しや髪の乱れを整えた。それから次の撮影に入る。
 再びスタジオは水を打ったような静寂に満たされ、シャッター音だけが響き渡った。今回は時々、オーナーが冗談を飛ばし、輝を笑わせた。
「澄ました表情はもう十分撮りましたから、今度は笑顔で行きましょう」
 オーナーのやわらかな声に輝も緊張を緩め、笑顔になった。
「あ、その笑顔、良いな。とっても素敵ですよ」
 声とともに、連続でシャッター音が鳴った。
 その時、携帯電話の鳴る音がしじまを破った。
「あ、済みません」
 由佳里が急いで走っていく。メーク道具の間においてあったらしい携帯を取り上げた。
「あ、店長?」
 どうやら勤務先から、かかったらしい。しばらく小声で話していたかと思うと、小走りにこちらに駆けてきた。
「聡さん、ごめんなさい。急にHプロダクションの方に行かなきゃいけなくなって」
「判った。こっちはもう良いよ。撮影も大方終わったし、何とかなる」
 オーナーが鷹揚に微笑んだ。
「本間さん、最後まで付き添えなくて、申し訳ありません。ドレスとか、一人で脱げますか?」
「大丈夫です。着るのは難しいけど、脱ぐのなら何とかなりそう」
 輝もまた微笑んだ。由佳里がホッとしたような表情で言う。
「脱いだドレスはそのまま置いて帰ってくださいね? また明日、取りに来ますので」
「何なら、俺が帰りに店の方まで届けるよ」
 オーナーの言葉に、由佳里が心底助かったと言いたげに笑う。
「助かります」
「忙しいときは、お互いに助け合えば良いんだよ。由佳里ちゃんがいなくちゃ、俺も撮影できないしね」
 笑顔で頷き合う二人の姿に、またツキリと小さく輝の胸が疼く。そういえば、輝には〝僕〟なのに、由佳里には〝俺〟だ。まあ、輝はあくまでも客として対しているから、営業用の呼称なのではあるだろうし、由佳里は同じ仕事仲間として気を許しているからの言葉の違いではあるだろう。
 それでも、オーナーの態度が由佳里と自分では全然違うことは、輝の心を微妙に傷つける。何なの、この心の痛みは―。
 輝には訳が判らない。
 またも物想いに耽りそうになっている輝の耳をオーナーの声が打った。
「じゃあ、撮影を続けましょうか」
 それからしばらくまたシャッター音が響き、およそ三十分後、撮影は終了になった。
「今、撮った写真がどんな感じか見たいですよね」
 オーナーはそう言うが早いか、片隅のスチール製の机に走っていった。ノートパソコンが置いてあり、しきりにその画面を覗き込んで操作している。
「ええっと。あっ、なかなか良い感じのがたくさんありますよ」
 オーナーの声にいざなわれるように、輝はそちらに向かっていく。
「ほら、見て」
 オーナーが少し身体をずらしたので、輝も一緒に画面を覗き込んだ。画面いっぱいに、たった今撮影したばかりのウェディングドレス姿の輝が映っている。
「本当、素敵だわ」
 思わず歓声が上がった。背景に使ったスクリーンが全然作り物という感じがせず、自然な―あたかも現実の空間であるかのように輝の背後にひろがっている。
「この中から、それぞれ何枚か選んでプリントしますね。良かったら、本間さん、ご自分で選びますか?」
 いいえ、と、輝は首を振った。
「私は写真のことはよく判りませんし、オーナーに全部お任せします」
 そうですかと、オーナーが頷き、まじまじと輝を見つめる。
「何か?」
「いや、そのオーナーって、もしかしなくても僕のことですよね?」
「ええ。そうですけど」
 いや、参ったなと、オーナーは頭をかいた。
「何しろ、そういう呼び方をされたことがないもんで。もし本間さんが良かったら、吉瀬と呼んでください」
「判りました、吉瀬さんで良いですね?」
 はい、と、オーナー―吉瀬が笑顔で頷いた。
 それからまた吉瀬がじいっと見つめてくるので、輝は居心地が悪くなった。
「あの―まだ何かありますか?」
 と、吉瀬がハッとした顔になった。
「いや、別に何も」
 言いかけて、少し躊躇った後、微笑んだ。
「本間さんがあまりにお綺麗なので、改めて見とれてました。撮影中は僕も無我夢中だし、ゆっくり眺めてる余裕なんて、ありませんでしたから」
 本当にお綺麗でしたよ、と再度言われ、輝は瞼が熱くなった。吉瀬の言葉―むろん、由佳里も含めてだが―には、真実味があった。それは単なる職業上のお世辞だけではない、心のこもった言葉だ。
 ふいに、輝の瞼に涙が滲んだ。頬をひと雫の涙が流れ落ちていった。
 狼狽えたのは気の毒な吉瀬の方である。突然、泣き出した輝に、慌てふためくのは当然であった。
「どうかしましたか? 俺、何か失礼なことを言ったかな」
 相当焦っているのか、〝僕〟が〝俺〟になっている。
「いや、済みません。どうも何かお気に障ることがあったようで」
 泣いては駄目、こんな場所で突然、客が泣き出したら、吉瀬も迷惑に違いない。そう思い泣き止もうとしても、一旦溢れ出した涙はいっかな止まらない。
「ごめんなさい、私、本当に泣くつもりなんかなくて」
 それなのに、涙が止まらない。言おうとしても言葉にならず、代わりに溢れてくるのは涙だけ。
「申し訳ありません。何か不都合があったんですね。いや、本当にまったく、俺は女心ってヤツに疎くて」