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フェル・アルム刻記

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二.

 約二刻後。
 雨は篠突くように降っている。西からやって来た重苦しい鉛色の雲は、ついに上空をすっぽりと覆い隠してしまった。音を立てて地面を叩く雨は、今日中には止みそうにない。

 ベケット村。
 スティン山地の麓、ルード達のいる高原から南東に一メグフィーレほど移動したところにある大きめの村だ。羊織物の小さな工房が集まっており、ここで仕上がった毛織物が特産品として各地へと出荷される。
 ハーンは今、ベケット村にいた。ルードが想像したとおり〈日銭を稼ぎに〉タール片手にここに赴いたわけなのだが、雨が降り出してからは酒場も兼ねている工房で休んでいた。この中は話し声が絶えず、明るい雰囲気である。ほかにも何人か、そこで昼食をとって休んでいたのだが、その中の一人がハーンに声をかけてきた。
[やあ。あんたって、ティアーさんだよな?]
 年の頃はルードと同じくらいと思われる、がっしりとした体格の少年だった。
[ええと、うん。そうだけどね]少年はにんまりとする。
[俺さ、ストウって言って、ルードの友達《ダチ》なんだ。ティアーさんがルードのやつを連れて来てくれた、ってケルンから聞いたんでね。ちょうどよかった。お礼を言わせてよ]
 ストウはそう言ってハーンの横に座り、ハーンのために酒を注文した。
[いやあ、そんな言われるほどのこと、僕はしてないんだよ。ああ、僕のことは、ハーン、と呼んでくれて構わないよ」
 と言って、ハーンはストウの酒を口に含んだ。
 その様子を満足そうに見ていたストウは、あの日の体験を――ルードがライカと遭遇した時の――早口にまくしたてた。大体の内容は、ルードから聞いたものと同一であった。ルードの友人達はちょうど下山途中で、ルードが光に包まれる光景をほんの少しだけ見たというのだ。
 ストウの少々自慢げな口調に嫌な顔をすることなく、ハーンは酒をすすりながら時折相づちを打った。
[神隠しってのは本当にあったんだな! 俺も実際に目の当たりにするまで信じられなかったけれどもさぁ]
 ひとりで感嘆するストウ。ストウにしてみれば、自分が体験した不思議な出来事を、誰でもいいからしゃべりたくてたまらない、そんな心境なのだろう。
 ハーンは酒を飲み干すと、タールを抱えた。
[ご馳走さん。……そうだねぇ、君の言うように常識っていうやつは、時々嘘をつくのかもしれないね]
 ハーンは確かめるように、ぽんぽんと弦を一つ一つ鳴らす。
[へぇ。そういう言い方、俺は好きだな。まあどうあれ、ルードが帰って来てよかったよ。かなり騒がれてたんだぜ?]
[ふふふ、では僕がルード君の帰還と、そして今のお酒のために一曲……]
 と、ハーンがタールをかき鳴らした。が、それはいつものような重厚で美しい和音を作らなかった。びん、という嫌な音とともに、弦が一つ切れてしまったのだ。
[うわあ、みっともないね、こりゃあ]
 ハーンは苦笑し、照れ隠しに頭を掻きながら、ポケットにある替えの弦を取り出そうとした。

 その時、酒場にいた別の人物がストウに声をかけてきた。
[悪いと思ったけど、今の話が興味深くてね、途中からだけどちょっと聞かせてもらったよ]
 と言って彼はストウの横に腰掛けた。旅商のようだ。年の頃はハーンやシャンピオと同じくらいだろうか。中背で無精髭をはやした気さくそうな男だ。ストウを含め、周囲の人達もそのように思ったろう。しかしハーンは――。
[神隠しにあった人がいて、それが無事に帰ってくる。奇跡っていうのはあるんだなぁ、うん]
 男はひとりで納得したようにうなずく。
[それで、その人はここら辺にいるのかな? 差し支えなければ直接話がしたいんだ]と、旅商はストウに話しかけた。
[へへっ……結構土産話としては面白いだろ?]と、ストウも気さくに答えた。[ねえ、ハーンさん?]
 軽い口調でケルンはハーンに同意を求める。しかし――。
 ハーンは旅商を凝視していた。それまでとはハーンの目が違う。それは、複雑な感情をしまいこんだようなものだった。だが、それも一瞬。すぐにいつもどおりのハーンに戻った。
[そうだねぇ。……ねえストウ君、ちょっとこいつの――]
 と言って弦が一本切れたタールを見せる。
[弦を張り替えるのを手伝ってくれないかい? こいつが厄介なものでさ、ひとりじゃあ、ちょっと無理なんだよね]
 そう言ってハーンは足早に工房のほうへと向かおうとする。
[あ……じゃあ、お兄さん、ちょっと待っててくれな]
 予期せぬハーンの言動にストウは戸惑ったが、旅商の男に言い残すとハーンの後についていった。

 ハーンは酒場と工房を隔てている廊下の端に立っていた。酒場内の話し声は聞こえなくなり、雨音のみが聞こえる。
[で、こいつぁどうやって直すんだい?]
 ストウは中腰になってハーンのタールを見つめる。
 ハーンはタールの表面を撫で、少し考えているようだったが、嘆息を一つついて、タールを抱えあげた。そして長い指で弦を弄る。
[まずいね。こいつはやっかいなことだな]
 ハーンの目は一見タールの切れた弦を見つめているようで、実はそうではなかった。『やっかい』とは切れた弦のことか、それとも――。
[あの旅商……そう、あの人とはこれ以上話さないでほしい]
 ハーンは言った。ストウに言い聞かせるような、強い意志が込められていた。
[ええ?どうしてだよ?]屈託無く、ストウが問い掛ける。
[うーん、……どうしても、だよ。おしゃべりはだめ!]
 ハーンの強い意志を込めた言葉にストウは飲まれる。そして、ただうなずいた。
 ハーンは弦を直すでもなく、タールを腕に抱え込んだ。
[さて、と。……僕は、高原に戻るからさ、ストウ君も帰んなさいな]
 そう言って、廊下の突き当たりにある裏口――工房職人用の扉から外に出ようとした。
[ち、ちょっと待ちなよ、こんなどしゃ降りの中だよ、もうちょっとここにいても――]
 ハーンは振り返り、右手を挙げてストウの言葉を制止する。
[いや、急がないといけないんだ。……とにかく、ルードの話はなんであっても、しゃべっちゃ駄目だよ!]
 扉が閉まる。ストウはひとり、廊下に残される格好になった。雨はあいも変わらず、激しい。
[ちぇっ、なんなんだよう……]
 ストウは悪態をついた。

 ハーンはまだ、裏口の軒下にいた。
 そしてやおら、右腕で大きく円を描くような動作をする。 ふっと、周囲の空気がゆれ、停滞した空気が円を象る。
「間違い無い。“疾風《はやて》”――中枢の刺客だ。あの時の……ニーヴルの二の舞には絶対にしないよ!」
 ハーンはそう言うと、篠突く雨の中、タールを小脇に抱えて全力で駆け出した。渦中の人物――ルードとライカのもとへと。

 裏口の扉が少し開き、ストウが顔を出す。
[……あれ? もういない。足が速いなぁ、あの人]
 そう言ってストウは周囲を見回した。
[やれやれ、ハーンさんの言うとおり、あの兄さんと関わり合いになるのはよそうっと。どれ、帰るか!]
 言うなりストウは軒先から飛び出し、ばしゃばしゃと泥をはねながら自分の家へ向かって駆け出した。



作品名:フェル・アルム刻記 作家名:大気杜弥