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短編集 1

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深い森の奥






 辺りは深い深い闇に呑まれて、一寸先も視認することができないほどの暗さだった。
 しかし、こんな空間の中でただ自分一人だけが動いている存在だというのに、不思議と恐怖はない。むしろ、心は凪いでいる。これが死を覚悟した人間の心境なのだろうか、と自嘲の笑みすら零れてしまう。空があるはずの上を見上げるが、幾重にも重なった葉からは落ちてくる月明かりの雫の欠片すら漏れてはこない。1m先に崖があったとしても、自分は気づくことができないだろう。そう考えていると、心臓が遠足を楽しみにする子供のような鼓動を打ち始めた。少し深いところへ行くだけのはずだったのに、相当深いところへ来てしまったようだ。
 どこかの会社員のように浮浪者としてこの森を彷徨って発見されてしまうというのは不本意極まりないから、仕方なくとも森の浅いところに行かないようにしたい。戻る、と言っても、頼りであるはずの磁石はここまで来ては役に立たないガラクタとなってしまう。使えなくなった時点で、歩いてきた道の途中に捨ててきた。
 そろそろ歩くのに疲れてきたかもしれない。ここまでくれば自分がここで首を吊ったとしても遺体は見つかることもないだろう。片手には一本のロープ。このロープを木に括り付けて自分の首に通すだけで、俺はもうここで人生の幕を閉じるだろう。今まで散々な人生を歩んできたんだ、努力したって報われることがないことも、十二分に理解した。そしてこの俗世間がどれほど悪意に満ちていて、騙し合おうと嘘の笑顔を浮かべているのか。恵まれた人間と恵まれない人間との人生の差。興味を持つほどの物も見当たらない、熱中できる事柄もない。
 自分はもう生きることに疲れた。
 この世界は最初からこういう世界で、この世界こそが現実で、変えることができない事象に満ちていて、減ることはなくて、救いなんて存在しない世界。
 と、同時に全てが無意味で包まれているような世界なのだ。どうしようもないくらい、面白くない世界。日常が褪せて見える。いや、過去に色付いて見えたことなんてあっただろうか。改めて思い返してみると、学生時代から今の今までそんな楽しいことがあったような覚えはない。結局はなんとなく生きてきただけだったのだろう。
 手探りで触れることができた木の幹にずるずると寄りかかるようにして、地面に座った。もう夜だ。夜が明けるまで少し寝ようか。歩き始めてからどれくらい経ったかも忘れてしまうほどにずっと歩いていた。今日はもう疲れた。動くこと自体が気怠くて仕方がない。
 今までの言葉を見て、なんて自分勝手な人間だろうと憤怒する人もいるだろうが、それは自身が今の自分のような状態に陥ったことがないから言えることなのだ。本当に絶望した人間には、早々の死という一途しか待ち構えていない。誰が他人の感情を理解することができようか。どうせ、人間はみなエゴイズムで成り立っている。他人に幸福になって欲しいと願うのも、言い方を変えれば押しつけのエゴイズムだ。自分が幸せになっているところを見たいからという、理屈だろう。それが良い方向に転がるか、そうでないかの違いなだけ。みんなエゴイズムで動いているのだから、その内の何十人がエゴイズムで死んだっていいだろう。
 死ぬことの、一体何が悪いというのだ。
 そろそろ眠くなってきた。
 目を瞑ろう。
 目を瞑って、さっさと寝てしまおう。
 たとえ目が覚めた時、既に死んでいたとしても。
 森が騒がしい。ざわざわとまるで噂を立てるような木々のざわめきが耳に届いたが、目を開けることはなかった。開けたところで、何かを見ることなどできないのだから。10月の身震いするような寒さが身を襲ったが、案外すんなりと眠りに就くことができた。







 目が覚めたら、見知らぬ場所のベッドの上で寝かされていた。半ば信じられずに思わず起き上がると、病院の個室だということがわかった。それも、少し寂れたような。このような病院を、あの森に辿り着く前の通り道で見たことがある。
 今自分がここにいるということは、誰かに見つかって運ばれたのだろうか。だとしたら、とんだ間抜けだ。なんの木でもいいから縄を縛り付けて、さっさと死んでしまえばよかった。溜息をついてから、虚ろな瞳を室内へと向ける。この入院医療費も払わなければいけないのか、と考えるだけで気が滅入ってしまう。どうして自分を見つけて、見知らぬ振りをしてくれなかったのだろうか。自殺をしようとしている人は、そんなこと頼んでもいなければ望んでもいない。ただこちらの決心が揺らいで、苦痛を更に味わわなければいけないだけだ。
 自殺なんてやめろ、なんて、どの口が言えるというのだ。救えもしないくせに理想論ばかり口から吐き出して、思い留まったら、よかったよかった。それでお終いだ。なんてお粗末な話しだろうか。
 そしてなんてつまらない話しだろう。
 綺麗事ばかりで生きていけるほど、この世界は綺麗じゃない。
 あぁ、だから嫌なんだ。
 こうした独りの空間で闇を見るのは。
 凍えてしまう。
 もう一眠りしよう。そうしたらもう少し落ち着くはずだ、自分の心は。




 再び目を開ければ、見知った顔と見知らぬ顔がいくつか。見知った顔は、顔が涙や鼻水でひどいことになっていたり涙目になっていたりそれぞれで、見知らぬ顔は安堵して、少し嬉しそうな表情を浮かべている。皆が皆、口々によかった、大丈夫か、無事でよかったなどと言っている。
 今、自分に向けられている感情を素直に受け止めることはできない。
 一通りの健康診断が終わって話しを聞けば、どうやら森で年に一度10月に行われる遺体の大捜索が行われたのが、自分が眠りに就いた翌日だったらしい。当初自分も遺体だと思われていたらしいが、生きていると発覚したために病院へ運ばれたという。ひどく衰弱しているということもあり、一時は生も危ぶまれたが、今こうして呼吸をし、意識を持っている。
 これがどれだけの苦痛になるのか、この場にいる人間には理解できるだろうか。
 たった1つの呼吸だけで胸が締め付けられるような痛みが走り、たった1回の瞬きだけで脳裏にこびりついて離れない凄惨な光景。
 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。
 誰か自分を死なせてください。
 思ってくれる人がいることが幸せなんかじゃない。自分が幸せになれないのならばそれは退屈な人生であって、満足できない人生なんか送る必要もなく、充実していると感じなければ生きる気力も湧いてこず、自分1人が独りでひっそりと死んだところで迷惑がかかることはないだろう。つまりは死を受け入れたところでメリットの方が多いだろう。記憶になんて残らない。
 どうせ、風化する。
 どうせ、人間なんていつかは死ぬ。
作品名:短編集 1 作家名:海山遊歩