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でくのぼう
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覗き

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男は事務所に帰るとメールに目を留めた。期日を除けば、こんないい話はめったにあるものじゃない。もう一度メールの文面を読み返しながら、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干す。「十万円」「倉庫の中の不用品処理」、「ただし、三日以内に対応要」。便利屋はお世辞に言っても儲かる仕事ではない。朝から晩まで働いても二万円程度にしかならないのだ。犬の散歩、新発売のゲームの購入、ベビーシッター、etc。そうした中、不用品の処分でこの金額は破格といえた。だが、その金額ゆえに男の手はキーボードの上をしばらくさまよっていた。値段が高いのは早く不用品を処分してほしいということなのだろうかと、タバコの煙が天井に消えていくのを眺めながら考える。
 結局、練馬にあるその古い屋敷を訪れたのは、三日後のことだった。目白通りでは、車の列は老廃物で詰まった管を通過する血液のように細々しか流れていく。ハンドルを指の腹で何度か叩き、ダッシュボード上の時計をちらりとみる。一四時二五分。込み具合から、約束の時間ぎりぎりになってしまうだろう。男は、とめどなく続く車の列を見て、軽くため息をつく。
 目的の家は、坂の上にあった。地主が相続に困り開発業者にでも売り払ったのか、坂の途中に、住宅街では珍しい大型の駐車場やマンションが建ち並んでいる。男は車のギアを三速から二速へ落とした。アスファルトに響くエンジンの悲鳴が小さくなる。坂を上りきると、壁につきあたる。樹木が、ところどころ塀を越え、その枝葉を道路へ張り出している。この壁の向こうに、目的の家があるのあろう。男はいったん車を止め、助手席のダッシュボードから地図帳を取り出し、昨日電話で教えられた住所と付き合わせた。間違いない。男は、ゆっくりとアクセルを踏み込み車を発進させ、コンクリート塀に沿って走る。やがて、鉄格子の門が見えてきた。門柱の上には、猿を模したと思われる奇妙な生き物の石造が鎮座している。多少気押されつつも、男は車から降りて、インターフォンを鳴らした。
「サエキでございます」
砂嵐に混じって、擦れた女性の声がした。男は、控えめに名前と依頼された倉庫にある不用品の処分に来たことを伝える。
 門が内側へあくびをするように開いていく。門を通り過ぎるとき、潅木の影にアルミ製の棒が立っているのが横目に入った。その先端にカメラがついている。カメラの視線は、インターフォンの前の空間に注がれているようだ。その存在に、自分もまた見られていたことを男は意識した。それと同時に、なぜかカメラの視線が、彼を非難しているかのように感じた。深夜に仕事が終わり帰宅する際に警察に職質されるとき、契約の保証書や証明書を延々と記載させられているときの、そうしたときの不愉快さを感じた。だが、それらとは何かが違う。こちらからは相手の顔が見えないからだろうか。とはいえ、これは今の社会では正常なのかもしれない。街には、覗きという行為が、一つの構成部品として組み込まれている。繁華街の路上、コンビニ、一般家庭の監視カメラ……ネット上で公開されている動画……タレントが話したり食事をするだけのテレビ番組……こうしたものは、結局、他人の生活を覗きみている行為に過ぎないのかもしれない。別の世界から、ガラスでできた壁の節穴に目を近づけ、その中の行為を覗き込み、ほくそ笑むのだ。男はフロントガラス越しに見える幾層もの枝の隙間から、見つめられているような気がした。 
 ブドウ蔓の彫刻が施されている玄関の前の前に車を止めた。中年の女性が立っている。タートルネックのセーターに黒いロングスカート。髪は丸めて後ろでピンで留めている。その年の女性にしては背が高いほうかもしれない。どこか上品で知的だが、人がある年齢を超えると帯びてくる、長い人生の中で何かを失った濁りが目に混ざっている。この目が、門の前でカメラを通じてぼくを見ていたのだろうか。
 男は自分の名刺を渡した。これを渡すだけで、たいていの客は安心する。便利屋というのはあまり信用される職業ではないので、肩書きを与える名刺は普段から十分に持ち歩くようにしている。それから、一度門のところで述べた不用品の処分に来た旨を繰り返した。女は、建物の裏へと男を案内した。
「この中にあるものをすべて、片付けてほしいんです」
女は小さい物置小屋の扉に手をかけながら言った。
 小屋の中は見た目ほど、ほこりっぽくはなかった。右側の壁には換気用の三十センチ四方の窓がついている。天井には裸電球の光が砂埃に反射して、オレンジ色の光球を作り出す。奥には木製の棚があり、二十個ほどのプラスチック製の箱が積み上げられている。ほこりにまみれたその表面は、駅舎の風化した赤レンガのようだ。箱の中には、古い人形や玩具の家、ままごと道具、絵本。どれもこれも時代を感じさせるもので、かつてこれらで遊んでいた少女は、今では妙齢の娘になっているのだろう。女は、あまりここの空気を吸っていたくないのか、箱の中身をちらりと見ると家の中に早足で戻っていった。空気に混じって少しばかり女の残り香がした。
 冬は日暮れが早い。男は、時計を見てすぐに作業に取り掛かった。タオルを取り出すと、それを口と鼻にあて頭の後ろで縛り、滑り止め用のゴムがついた軍手をはめた。箱一つ一つの重さは軽い。しかし、それを担いで家の裏から玄関脇に止めた車の二台までの距離を往復しているうちに、男の額から汗の球が浮かんでいる。半分ほどの箱を運び出したところで、庭の端に、休むのに手ごろな石を見つけ、男は腰をかけた。ペットボトルのふたを開け、水を飲む。
 何かを感じたかのように、男が視線を上げる。自然と目が白いペンキ塗りの壁に向かい、やがて、二階の恥にある窓にとまった。別に目立ったところがあるわけではない。一輪の赤いバラが、陶器の花瓶に生けられ、窓辺に添えられている。その窓は、台風の白灰色をした雲の中心部の目を男に思い出させた。その目から、何者かの視線を感じたのだ。窓の奥から、こちらを見る目、部屋という箱の中から外の世界を覗く目。そういえば、窓は、テレビやカメラよりも古く、ずっと人の覗き穴だった。人が住居をつくりはじめたときから、人は窓を作り、そこから外の世界を覗いてきた。今、その中前に自分が立たされている。男の中で気恥ずかしさと苛立ちが湧き上がってくる。公衆トイレで放尿をしているとき、横から中年の浮浪者に覗き見られたことを思い出した。やれやれ、どうして今日はこんなに視線を感じるのだろうか。男は蛭のように喉を膨らませながら残りの水を飲み干して、作業に戻った。
作品名:覗き 作家名:でくのぼう