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愛しい体温

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「こんばんは」
 保育園のドアを開けると、いつもと同じ、秋人君と莉子が遊んでいた。秋人君は自分のカバンから何かを持って来て「りこちゃんのママ、これみて!」と紙を開いてみせた。
 字が書ける子は字を、絵が描ける子は絵を、線しか掛けない子は線を書いた寄せ書きだった。
「みんなにもらったの」
「そう、よかったねぇ」
 頭を撫でていると、風間さんがドアを開けて入ってきた。こんばんはと挨拶をする。
「先生、どうもお世話になりました」
 そう言って菓子折りか何かを渡している。その間に莉子と秋人君が帰りの支度をするのを私は出口で見ていた。
 また明日から、莉子は一人で遊んで待つ事になるのか。ほんの数ヶ月だったけれど、莉子にとっては楽しいひとときだったに違いない。
「明日からまた一人になっちゃうね」
 保育士の一人が莉子にそう言うと「りこ、ひとりでもだいじょうぶだよ!」と強気に言っている。本当は、お友達と遊ぶ方が楽しいのだ。それは当たり前の事なのに。誰に似たのか強がりで。
 私と子供二人は先に園の外に出て、後から風間さんが門から出てきた。
「いやぁすみません、お待たせしました」
 私は莉子にプレゼントを手渡すと、莉子は「あ、そうだった」と独り言を言ってから「これ、あきとくんにあげる。あと、あきとくんのパパにもね」と言って秋人君にプレゼントを渡した。
「パパ、あけてみていい?」
 振り向いた秋人君に、笑顔で頷いてみせる風間さんの眼差しはやはり、あの人に似ている。
「あ、ウルトラマンだ! パパみて、ウルトラマンがこんなにいっぱいかいてある!」
 大きく広げたハンカチを裏に返し表に返し見ている。喜んでくれているようで、良かった。風間さんは秋人君に手渡されたグレーのチェックのハンカチを見て、「俺までいただいちゃってすみません」と言う。
「いえいえ、短い間でしたけど、お世話になりましたので、せめてものお礼です」
 秋人君はそのハンカチを仕舞うつもりはないようで、空になった袋だけを風間さんに「はい」と渡す。思わず笑ってしまった。
「こういう奴なんですよ。俺はゴミ箱か、っていう」
 そう言いながら空き袋にハンカチを入れて、カバンに仕舞った。
「莉子はいつも最後の一時間、一人で遊んでましたから、秋人君が入園して、楽しかったと思いますよ」
 風間さんの横顔に向かってそう話しかけると、「そうですかね」と少し眩しそうな顔をした。
「守山さんは、どうでした?」
「へ?」
 こちらを向いた風間さんは、笑顔のままで、どう解釈したらいいのか分からない質問をぶつけてきたので、私は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「毎日一緒に帰ったじゃないですか、地下鉄まで。俺はすごく楽しかったんですよ。守山さんはどうだったかなって」
 一瞬足を止めそうになったけれど、こらえて歩みを続け、口を開く。
「私も楽しかったです。風間さんと話してるの凄く楽しかったです」
 そう言うと、満足そうに彼は笑った。途端に恥ずかしくなって、私は真っ赤になった顔を俯かせて歩いた。しばらく、沈黙が流れた。
 子供達は、今日を逃したら一生会えないかも知れないと言う事はあまり理解していないようで、いつも通り手を繋いで、お友達の話やお勉強の話に花を咲かせている。その後ろ姿を見ながら、あんな風に男の子と手を繋いで歩いていたのは、いつまでだったかと考え、ふと、七月の縁日で風間さんに手を握られた事を思い出した。
 その時にはもう、地下鉄と我が家の分岐点に辿り着いていた。
 風間さんはこちらへ身体を向け、対面する形になった。子供達はまだ何か喋っている。
「こんな事言うと、凄く混乱させてしまうかも知れないけど、俺、言っておきたいんです」
 二三度瞬きをし「はい」と先を促した。風間さんは私から目を逸らすと一度深呼吸をして、それから私の目をじっと見た。
「もっと違う所で、違うタイミングで守山さんに出会ってたら、俺は守山さんの手をずっと握って離さなかったかも知れない。それだけ、言いたかったんです」
 胸の奥がじんと痛んで、目の前が青く縁取られて行く。そのうち視界がぼやけてきて、あ、私、泣くんだ、と自覚する。その瞬間に視界がクリアになって、それは涙が重力に耐えきれなくなった証拠だと分かる。風間さんは彼のカバンから何かを取り出し、私の頬にあてた。私がプレゼントしたハンカチだった。
「初めて使うのが守山さんの涙を拭くためだなんて、何かちょっと嬉しいし、悲しいな」
 そう言って、少し翳った顔で笑った。涙を流す私を、莉子が不思議な顔をして見ている。
 涙が噴き出したのは一瞬で、それ以上は出て来なかった。
「それじゃぁ、お元気で」
 すっと差し出された風間さんの手に、私も手を差し出した。彼は私の手を両の手で挟み、じっと私の目を見つめた。私は少しひしゃげた笑顔で彼を見た。
 それが最後だった。
「ばいばい」
 秋人君がそういうので私も「バイバイ」と言って、莉子と一緒に手を振った。

「ママ、今日は手が暖かいよ。何で?」
 不思議そうに顔を傾けて訊ねる莉子に、私は言った。
「お父さんの手って、これぐらい暖かいんだよ」
 ふーん、と言って私の手をぎゅっと握った。

 そろそろ父親の写真を見せて、あなたのお父さんは天国にいる、そう話をしなきゃな、と思い始めた。

作品名:愛しい体温 作家名:はち