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濁った瞳

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 今日、パチンコ屋で中学の時の担任にあった。
 たまたま私が座った席の隣に、先生が座っていた。
 中学を卒業して以来、その先生にはあってないわけだが、年月を経て、変わり果てた姿をしていた先生を先生だと気が付いたのには、きっと何かの縁があったのだろう。
 あのころの先生は、確かにすでに髪の毛が心許なかったが、今日あった先生の髪の毛は更に心許なくなっており、真っ白に変わり果てていた。もともと爬虫類っぽい顔をしていたが、更に爬虫類に近づいたような気がした。いうなれば、老齢の亀のような。
 正直、先生にはあんまりいい思い出はなかった。理不尽な理由ですぐに怒るし、進路相談の時もなんとなく親身になってくれていないような気がした。授業もそんなに面白くなかった記憶がある。まぁ、中学生で少し大人に立て付きたくなる時期でもある。先生という先生全てにえも言われぬ不信感を抱いていたのだろう。
 ただ、卒業の時に先生が私と友達に向かって言ってくれた餞の言葉が、数十年の時を経てもなお、心の中に鮮明に残っている。

―――お前たちは、きっと先生のことを忘れるだろう。先生ももしかしたらお前達のことを忘れるかもしれない。でも、それでも先生はお前達の未来を信じている。この先、お前たちなら何とか進んでいけると信じている。

 というのも、ちょっと意味が分からなかったからだ。しかし、当時の私はなんとなくその言葉に感動したのである。そして、心の宝箱にしまっておいたのである。
 そんな先生が、今、そこにいる。
 
 先生は、こんな寒い冬の日だというのに、サンダルを履いている。しかも、ジャージの下はつんつるてんだ。なんでこんなにみすぼらしい恰好をしているのだろう。
 ふとそんな疑問を抱きながら打っていると、先生はおもむろに立ち上がった。トイレにでも行ったのだろうか。
 それから数分後、先生は店員と共に戻って来た。
「お客様の席は、こちらですよ。」
 と、店員に促され、席に着く先生。くぐもった声で「ありがとうな」と一言発して手を軽く上げると、再びパチンコを打ち始めた。
 しばらくすると、私の台は大当たりを始め、豪華な演出がきらめいた。なんとなく注目が集まるのが分かる。先生もこちらを見た。私も先生のことを見た。すると、先生はにっこり笑ってくれた。
 私は、声をかけようと思ったが、先生の目は濁っていた。
それは、比喩的な物ではない。本当に、見た目が濁っているのだ。白内障なのだろうか。
 私はつい面喰ってしまい、声をかけられないでいた。
 もう数十年がたっているのだ。

 またしばらく打ち続ける。
 どうやら先生は中々当たらないようだ。手持ちの玉が尽きている。
 すると、先生は、自分のポケットの中から財布を取り出し、プリペイドカード投入口に自分のキャッシュカードを入れた。私は目を疑った。最近のパチンコは、キャッシュカードも取り扱えるようになったのか。
 いや、そんなことはない。すぐに機械がエラーの表示を出し、先生は店員を呼んだ。
「お客様、こちらはキャッシュカードですよ。これを入れても、玉は出て来ません。」
「え、そうか。じゃぁ、どうしたらいいんだ」
「このカードはコンビニや銀行のATMでお金を下ろすためのものなので、ここでは使えないんです。」
「じゃぁ、やって」
 自分のキャッシュカードを渡す先生。店員はとんでもないと言って、受け取りを拒否する。「そうか」と、微笑みながら一言言うと先生は財布から千円札を取り出し、再び打ち始めた。
「お客様、危ないので、そうキャッシュカードを出したりしちゃダメですよ。」
「そうか。ごめんごめん。」
 心なしか、店員は、聞き取りやすいように大きな声でゆっくりと喋っているような気がした。
 隣の作業服を着た男が、私に向かって、先生を親指で指す振りを見せた。私は男の方を向く。
「あの白髪のじいさん、ボケてやがるんだぜ。へへへっ」
「はぁ…。」
 この男の言う通り、先生はもう相当進んだ痴呆症なのかもしれない。
 さっき、トイレにいって立ち上がった時も、もしかすると自分の席を忘れて、店員さんに案内してもらっていたのかもしれない。
 男は続ける。
「1年前、奥さんを亡くして、あんな調子だ。もう誰も相手にしてくれないから、パチンコなんか打ってるんだぜ、あのじいさん。」
 先生は、再びプリペイドカードにキャッシュカードを入れ、店員を呼んで、また同じ問答を繰り返す。

 この痴呆の老人は、多分、この店の常連なのだろう。店員達もおそらく先生がボケていることを知っていて、だからこんな落ち着いた対応を取っているのだろう。もしかすると、しょっちゅう席を忘れたり、キャッシュカードを入れたりしているのかもしれない。もしかすると、このみすぼらしい恰好も、痴呆症が進んでいるからなのかもしれない。
 なんだろう。世の中ってこんなものなのだろうか。
 私は、独身ではあるが、まぁまぁな職種につき、まぁまぁな生活を送っている。平凡無事な生活である。
 でも、先生はこんなことになっている。
 
―――お前たちは、きっと先生のことを忘れるだろう。先生ももしかしたらお前達のことを忘れるかもしれない。でも、それでも先生はお前達の未来を信じている。この先、お前たちなら何とか進んでいけると信じている。

 残念ながら先生は私のことを忘れてしまっているだろう。しかし、私は、先生のことを忘れていなかった。だから、なんだか、先生の幸せを願わずにはいられなかった。
 
 先生のパチンコ仲間がやってきて、先生に「やぁ。」と声をかける。先生はニコニコしながら「やぁ」と返事をし、片手を上げる。

 一人になっても、このパチンコ屋に先生の居場所があるならば、それでいいような気がした。本当に一人ぼっちになった時、先生はどうなるのだろうか。

 私は、ついに先生に声をかけることはなかった。
作品名:濁った瞳 作家名:藍澤 昴