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ディレイ

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 スカートのポケットからポールモールを取り出して、差し出す。響介が見たことないものを見るような目で、ポールモールを見つめる。ややあってから、受け取った。
「ああ、さんきゅ」
 奈津紀は初めて知った。ポールモールはポピュラーな煙草ではない。コンビニを数件回ったが、どこにも置いていなかった。店員に「ポールモールありますか?」と尋ねると、「えっ」という返答がきた。奈津紀は焦った。どうしよう。響介は一体どこで買っているのだろう。そう思った瞬間、閃いた。奈津紀は合鍵を使って響介の部屋に入ると、部屋の隅に並べられたポールモールから一箱くすねた。
 響介は自分で買った煙草を受け取ったのだ。
 響介の言葉を反芻して、笑いがこみ上げる。

     (三)

「どうしたんですか?」
 響介は楽屋の椅子に座り、固まっていた。
 奈津紀から受け取ったポールモールは封が開いていた。怪訝に思い、蓋を開けると、蓋の裏側にボールペンで文字が書かれていたのだ。
「We are in this together」
 どういう意味だろう。それを考えていた。煙草の箱を見つめて動かない姿は、傍目にはさぞかし滑稽に映っただろう。岸本明日香に声を掛けられて、「ああ」と苦笑を浮かべる。
「岸本さん、英語わかりますか?」
「英語ですか? 得意ですよ! この前の中間テスト、九十八点だったんですよ!」
 中間テスト……。
 忘れ去っていたその単語と、若さ溢れる元気な声に、いささかたじろぎながら、「これなんだけど」とポールモールの蓋の裏側を彼女に向ける。
「We are in this togetherって」
 どういう意味かわかる?
 続けようとしたところで、岸本が近付いてきて、響介のすぐ傍で屈んだ。……近いな。岸本はじっくり文字を眺めた後で答えた。
「うーん、一心同体、ですかね」
 おお、と響介は思う。あまり期待していなかったのだが、それらしい。一心同体。意味がわかった途端、文字を見ると心強くなる。
「ふうん」
 奈津紀も粋なことをするな。
 楽屋のドアが、トントン、とノックされ、それからスタッフが顔を出した。
「岸本さん、お願いします」
「はーい」
 岸本が楽屋のドアの方に歩き出す。その背中に声を掛けた。
「頑張ってね」
 この子は多分、沢山失敗する。ギターも、恋愛も。だけど覚えておいて。簡単に「トラウマ」なんて言って塞ぎ込んではいけないよ。人はなにかを抱えながら生きていくのだ。
「はい! いってきます!」
 健康的な笑顔を残しながら、岸本は楽屋を辞した。

 ゆっくりと幕が上がる。いよいよ西川響介は復活する。
 ライブをするにあたって、決めていることがいくつかある。響介は必ず曲から始める。初めての土地でのライブ、誰一人響介を知らないシチュエーションでも変わらずそうしてきた。だけど今日だけは例外だ。どうしても最初に言っておきたい一言がある。
「ただいま」
 おかえりー!
 おかえりなさい!
 待ってたよ!
 照明が客席を照らす。百人近くいるだろうか。勿論、全てが響介のファンというわけではない。けれど思う。絶景だ、と。
 響介は意図せず苦笑めいた表情を浮かべた。ここは今、逃げ場のない、人が沢山いる閉鎖空間だ。しかし、どうだろう。自分を見つめる無数の目。その視線が心地よい。叫びだしたくなるような幸福感が響介を包んでいる。ドンペリドンなんて、必要なかった。
 本当の自分になれる場所。
 ABボックスを左足で踏む。エレクリックギターからの電気信号がチューナー側からギターアンプ側に切り替わる。サー、というホワイトノイズが会場内に流れた。
 生きていける。
 パニック障害を発症して一年以上が経過した。急に完治することは最早考えにくい。響介は病気と付き合っていくことを覚悟していた。これから先、パニック発作に、そしてそれに伴う周囲の人間に対する劣等感に苦しみ続けることになる。けれどライブがあれば、こんなに幸せな時間があれば、生きていける。
 ホワイトノイズはそして、ディレイが掛かったエレクトリックギターの音に変わった。

     (四)

 いかにも梅雨時っぽい、生ぬるい風が吹いていた。じっとりと湿りけを含んでいてうっとうしいはずが、不思議と気持ちがよかった。
「あーあ」
 落胆の声を、奈津紀が漏らした。思ってもみない第一声に、荘太は面喰らう。
「──どうしたの?」
「明日バイトだなあ、と思って」
 高円寺の夜空を振り仰いで、奈津紀は変わらぬ語調で言った。もう明日の話? そんなに──。
「バイト、しんどいの?」
「ううん、そうじゃなくて。さっきまで別世界にいたような感覚だったから。急に現実に引き戻されて、なんだか憂鬱」
 憂鬱。ライブの余韻に浸っていた荘太にはいまひとつピンと来なかった。けれど確かに今目の前には薄暗い世界が広がっている。先程までの照明にライティングされた色とりどりの空間との対比は顕著だ。
「ところで、一緒にいた人は?」
「あっ、長谷川? 寮の友達だよ。『高円寺で遊んでいくから先に帰ってていいぞ』って」
 そうして一人、ライブハウスを出たところで、同じように一人でいた奈津紀と合流したのだった。
「もう九時回ってるのに、どこで遊ぶんだろう?」
「さあ……」
 ナンパとかキャバクラとか、そういった類に違いないと荘太は確信している。長谷川に言わせると、それが恋人円満の秘訣らしいが、支離滅裂としか思えない。それが正しい行為だとは思いたくない。だからなるべく考えないようにしようと決めていた。「それより」と辺りを見回す。
「智子さんは?」
「トモちゃんは、知り合いの人が来てたみたいで、その人の所に行っちゃった。──あっ、あそこ」
 奈津紀の指差す方向を見る。ライブハウスの前の通りはいくつかの人集りができている。その向こう、駅とは反対方向に智子と三十代と思しき男性が向かい合って立っているのが見えた。
 誰だろう? と思っていると、「まあ、あれですな」とふざけ調子に奈津紀が言った。
「ふられた者同士、一緒に帰りますか」

 吉祥寺と比較すると、そう多くない人通りの中、荘太と奈津紀は高円寺駅を目指して歩いた。
「新曲の『天使』がよかったなあ。あのイントロ、静かで幻想的で、ライブの一曲目にぴったりだよね。そういうのも見越して曲を書いたのかなあ」
 響介のライブを振り返る。なんとなく自分の中で、響介の曲のランキングを作っていたが、ライブを観て、『天使』が急浮上した。
「シングルも売れてるみたい。本人は、ワンコインだから買いやすいのかな、って言ってたけど、いい曲だよね」
 言い終えると同時に、奈津紀はスカートのポケットの中を探る。スマートフォンを取り出して、「噂をすれば」と笑った。
「キョンくんからメール。ヨドバシって何時までやってる? だって」
 吉祥寺のヨドバシカメラのことだろうか。
「確か十時までだけど」
「なんでヨドバシ? ちょっとメール返すね」
 荘太も携帯電話を取り出した。メールは来ていない。所在なく受信メール一覧をスクロールする。延々と続く同じ名前。荘太は思わず苦笑した。
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝