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「漫画描いてはるんですか?」
 十数人の人間で作られた綺麗な長方形が崩れ始めた頃、突然背後から話し掛けられ、荘太は思わずウーロン茶の入ったジョッキを落としそうになった。「ああ、西川さんか」と妙に納得して、ジョッキをテーブルに置いた。
 関西弁? 関西の人なのかな? という疑問が浮かんだが、いきなり話の腰を折るのもどうかと思い、「はい」と答える。
「漫画家になるのが夢なんです」
 しかし響介自身が話の腰を折った。
「なんで敬語なんですか。先輩なんですからやめてくださいよ」
 勢いよくそう言って響介は笑った。荘太は少々面喰らう。自分の中の西川響介と目の前の人物が合致しない。ウーロン茶を一口飲むと、片手を挙げ、軽く制止するようなポーズを作り、「そういうわけにもいきませんよ」と答える。
「確かに僕の方が先輩と言えるかもしれません。けれど西川さんの方が四つも年上ですからね」
「じゃあ、相殺で。タメ口でいきましょう、お互い」
「えっ」
「聞かせてよ、漫画の話」
 自分でも驚いたのだが、話し出すと止まらなくなった。最早話し方を気にする余裕もなく、夢中になって語った。「私、電車なので帰ります。お疲れ様でした」と言って、女の子が一人帰っていった。時刻は午前0時になろうとしていた。そこでようやく我に返り、西川さんの話も聞かなくては、と質問を投げ掛ける。
 それから居酒屋が閉店する午前五時まで、いろんなことを話した。西川さんは音楽をやっている。音楽といってもバンドではなく、ソロで活動している。和歌山から上京したばかりで、東京の人との接し方が分からず、コミュニケーションを極力避けていることなどがわかった。そんな彼が自分に話し掛けてくれたのは、クリエイターという同じ種類の人間に安心感を覚えたからだろうか。そんな風に考えると、なんだか嬉しい気持ちになる。
 居酒屋を出る時に彼は言った。
「俺、元々一人が嫌いじゃないから。知り合いが誰一人おらん、遠く離れた東京の地に降り立った時、寂しいって思わんかったんよね。寧ろ、なんて自由なんや、ってテンション上がったくらいでさ。でも、ちょっと違う気がしてきた」
 どういうこと? とは聞かなかった。外は既に明るかった。一日が始まろうとしていた。漫画の一巻の表紙を捲るような気持ちで、荘太は景色を眺めていた。
 それから半年後、新しい年に変わって二月のことだった。「また西川くん早退したらしい」という声を事務室で聞いた。エプロンをロッカーに押し込むと、足早に店を出る。
 また?
 響介は昼、荘太は夜と、働く時間帯が異なるため、『トミー』での彼の様子はほとんど知らなかった。荘太は携帯電話を取り出し、響介の住むアパートへ歩き出した。
「ああ、よくわからんけど、だいぶひどい。常に吐き気がする」
 救援物資として手渡したスポーツドリンクとヨーグルトを冷蔵庫に仕舞いながら、響介は言った。一見、普段通りの彼に見える。
「病院には行った?」
「行った。内科、胃腸科。先月、スタジオで気分が悪くなったのが最初なんやけど、心配したバックバンドのメンバーにタクシーで総合病院に連れていかれて、MRIも取った。全て異常なし。──あっ、ちょっと失礼」
 そう言って響介は部屋の奥へと消えた。十五分程経って、ようやく戻ってきた。
「最近はずっとこんな調子。便器と抱き合いながら暮らす日々やで。バイトに行ってるというより、『トミー』のトイレに行ってる感じやな」
「しんどいね……」
「周りに迷惑掛けまくってるからね。あと、あいつは駄目だ、って思われるのが怖い」
「そこは気にしなくていいんじゃないかな。みんな何かしら駄目な部分があるし、そして駄目な人に救われて生きてるでしょ? 僕だって例外じゃない。今、漫画を描いてるのも、駄目な人のおかげ」
「漫画を描き始めたきっかけは『ラフ』じゃなかったっけ? あだち充は駄目な人なのか?」
「あだち充の『ラフ』を読んで、描きたい、って思ったのが始まりだけど、描こう、っていう決め手になったのは、その後に読んだとある漫画なんだ。すっごくつまらなくて、これなら僕が描いた方がおもしろい、って思ったんだよね」
「それ、わかる。俺も似たような感じやな」
「だから、今の西川さんも必要なんだよ」
「なるほどね」
「電車なくなるから、そろそろ行くね。なにかあったら連絡して」
「お茶も出さずに、悪かったね」
 それが響介と東京で交わした最後の会話だった。
 三月、西川響介は和歌山に帰った。

 東京に戻るという報告を後回しにして、彼女ができたという報告を先にするのが、なるほど、西川さんらしい。やっぱりあの人はクリエイターだ。
 カツカレーを食べ終えると、腕時計に目を見やる。午後三時。どうしたものか。中途半端な時間だ。
 
     (三) 

「そろそろ行く? キョンくん」
 どうやらキョンくんという呼び名で落ち着いたらしい。
 響介が幼少期の頃に付いた渾名。そう呼ぶのは、今では母方の祖母のみだった。当初、呼び捨てを希望したのだが、渾名がいい、と言われてしまい、仕方なく教えた。二十四歳でキョンくんはどうかと思ったからだ。しかし、悪くないかもしれない。響介は祖母のことが大好きだった。世界一の味方だと常々思っている。特別な存在だ。そしてそれは今、奈津紀にも当て嵌まる。そんな二人に共通点が生まれたことに気付くと、喜ばしい気持ちに転じた。
 午後五時半を回った頃、響介と奈津紀はラブホテルを後にした。約束の場所であり、奈津紀のお気に入りであるという居酒屋『不思議草』を目指す。
「サンロードの手前からダイヤ街に入ってすぐだよ」
「言われてもわかんないよ。土地鑑ないんだから」
「キョンくん、吉祥寺に来たことなかったの? 新宿から中央線ですぐなのに」
「中央線はよく使ったけど、東京方面しか乗ったことがない。御茶ノ水によく行ってた。東京で初めてライブをしたのも御茶ノ水だった。──話したね、これ」
「うん、聞いた。──ほら、あそこだよ」
 響介の目に飛び込んできたのは『不思議草』の看板ではなく、ハット帽子だった。「奈津紀」と声を掛け、その方向を指差す。
「あれがそうだよ」
「えっ」
 奈津紀の手を引いて駆け出す。間もなく「西川さん!」という声が聞こえる。辿り着く前に気付かれてしまった。
「調子はどうだ」
「西川さんがそれ訊く?」
「あはは。確かに」
「この人がそう?」
 彼女? って訊けばいいのに。慎重な男だ。そう、と答えると、壮太は奈津紀の方を向いて「はじめまして」と会釈した。
「御前荘太です」
「えっ、ミサ……」
「御前です」
「あっ、はい、上村奈津紀です。はじめまして」
 違和感を覚え、「なに緊張してんの」と奈津紀の肩をぽんと叩く。
「御前は奈津紀と同い年だよ、二十歳」
「そうなんですか」
「はい。今年、大学三年生です。上村さんは確か、スタジオで働いてるんですよね?」
「アルバイトですけど。ここからすぐ近くの『プリズム』という所です。『プリズム』は新宿にもあって、そこで西川さんと出会って──」
「えっ、それはいつの話ですか?」
 あー、と言って、響介が二人の会話を遮った。
「とりあえず入ろう」
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝