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花の名は知らない ~雨の中~

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 頬を水滴が滑る。浅い眠りの微睡は途端に弾け飛んでしまう。薄ら、多少不機嫌な面持で主人は目を開けた。水滴は雨だった。
「お目覚めですか?」
 忠実な従者がその様子に気づいて、主人の方を見る。
「雨に起こされた」
 忌々しげに言って、従者は身体を起こした。
 ここ数日続いた戦いで、身も心もくたくたに疲れていた。形勢は決して有利とは言えない。いつ敵方と相見まえるかわからない状況だ。味方とはぐれてしまった彼らにとって、今はほんの一時の平穏、休息を取らなければならない貴重な時間だった。
「もう少しお休みになってください」
「今度はおまえが休むといい」
「いえ、私は」
 従者は静かに首を振った。横顔がさりげなく主人の休息を促している。
 主人は再び身体を横たえると目を閉じた。そうすることが従者の休息に繋がることを知っていたからである。
 それでも一度失った眠りは戻らなかった。
 主人は目を開けて従者の方を見た。彼はこちらに背を向けて座っている。細い顎がほんの少し見えた。
 主人には従者が自分以上に不眠不休であることを知っていた。しかし従者はその疲れをおくびにも出さず、常に主人の身を案じ、戦いにあっては主人の盾になった。従者の頬にある細い切り傷は、主人に向けられた敵の剣先が掠った時のものである。
 従者の使命は生涯を主人への忠誠に捧げることにあった。主人が十三才の頃から共に育ち、共に学んでいたものの、その使命を当たり前のように聞き流していた主人は、今回の戦いにあって、それを痛感した。
「初めて会った時、何て可愛げのない子供だと思った」
 主人は従者の背に向かって言った。従者は声に振り返る。主人の言葉の意味が、すぐにはわからない。
「無表情で愛想の欠片もなかったな、おまえ。これから一生、この仏頂面と付き合って行くのかと思うと、気が重くなったことを覚えている」
「どうなされたのです、急に?」
「別に。ただおまえは昔と少しも変わらない。相変わらず無愛想だ。そう思ったら、初めて会った折のことを思い出したのさ」
「思い出話は不吉です」
「だが思い出したのだから仕方がない」
 主人は身体を起こし、従者の隣に座り直した。
「こうしてゆっくり誰かと話をするのは久しぶりだ。たとえそれが、『不吉な思い出話』だとしてもな」
 従者はもう強いて休息を促さなかった。
 雨はけぶるように降り、辺りを灰色に見せている。その風景から溶け出した黴た雨の匂いが、遠い記憶へと誘うかのように二人には思えた。
「それでは一つ、訂正させて頂いてよろしいでしょうか、伯爵?」
「何だ?」
「今もそうでございますが、初めてお目にかかった折も、伯爵は私よりも二才、ご年少でございました。子供と言う表現は適当ではないかと」
 触れ合う肩を慮って、従者は身体をずらそうとした。
 それより先に主人は従者の肩に頭をもたせかける。
「今もそうだが、初めて会った折も、おまえは私より小さかったぞ」
 意地悪く笑んで見せる――返答の言葉に対する反応を見るためか、それともまんまと肩枕にしたことに対してか。
 従者は一瞥しただけで、はたして主人が望む反応は示さなかった。微かに緊張した頬以外は。
「花が盛りだったな」
 主人は目を細めた。雨の『向こう側』には庭が広がっている。とりどりに咲き競う花花、木々の緑、二人が初めて出会った場所。
 主人はその日、十三才になったばかり。伯爵家の後継には十三才になると従者を付けることがしきたりであった。
 主人の父が自ら連れて来たのは、僧服の少年だった。おとなしげな、しかし促されて上げた顔は、なぜか不敵に見えた。一片の媚も窺えない。従者となることに、何の感慨もないようであった。
「そのようなことは…。伯爵があまりに恐い顔で私をご覧になっていたので、委縮したのでございましょう」
「何を言っている。おまえに委縮などと言う言葉は似あわないぞ」
 主人は鼻を「ふん」と鳴らした。従者は軽く口の端で笑った。
 従者は十五才だった。ある貴族の庶子として生まれ、修道院で育った。望まれぬ妾腹は修道僧となることが慣例である。彼もご多聞に漏れず生涯を院の中で静かに過ごすはずだったが、抜きんでた才は幼少時から周知で、閉ざされた世界で一生を終えるとは誰も信じてはいなかった。案の定、たまたま修道院を訪れた主人の父――当時の伯爵の目に留まる。そして僧になることを惜しんだ彼が、「ぜひ我が息子の従者に」と半ばさらうように館に引き取り、無理やりに還俗させてしまった。
「父上の自慢げなことと言ったら、まるで我が事のようだった。おまえのことを手放しで褒めるので、私は内心、面白くなかった」
「大伯爵は私を買い被ってらっしゃったのです。私は修道院育ちの世間知らずに過ぎなかったですのに」
「かも知れない。だがあれから十数年の間に父上の自慢も道理だと思い知らされた」
 館に引き取られてから始めた剣術も、それを得意とした主人に追いつくのにさほど時間はかからなかった。
 主人は頭を上げて、従者の頬に残る細い傷痕に触れた。
「何だか気味が悪い。あなたが人を褒めるなど」
「褒めているわけではないぞ。実感だ。…何だ、その言い方では、私はいつも人を貶しているように聞こえるぞ」
「伯爵はいつも厳しい目で人をご覧になっておいでです。その本質を見極めようとするがごとく。初めてお会いした折も冗談ではなく、私は委縮しておりました。あなたはまるで、私を品定めしてらっしゃるかのようでした。私はその威圧的な目に負けまいとして、無表情を装うしかなかった」
「それなら私だって、おまえに主人としての資質を品定めされていると感じていたさ」
 二人は互いを見合い、そして微笑んだ。
 主人は再び、従者の肩に頭をもたせかけた。
「色々あったな」
「思い出話は不吉だと申し上げました」
「そうだった。なぜかな? 次から次へと昔のことが懐かしく思い出される」
「お疲れなのです。もう少しお休みになってください」
「いつも、いつの時もおまえはそうだ。おまえの方こそ疲れているだろうに」
「あなたが我を張らずにお休みなってくだされば、私も休みます」
「では肩を貸せ」
「もうお貸ししております」
「いつまで経っても減らぬ口だ」
「そうでなければ、あなたのお相手は出来かねます故」
「ふふふふ…」
 雨は静かに降り続ける。二人の上に、ただ静かに。
 ただただ静かに。



 王位争奪が起因となった花の名の戦争は、長く続いた――国中の貴族を『紅』と『白』の旗の下に分けて。
 親子を分け、兄弟を分け、血の争いと悲劇の末に『紅』が勝利する。
 あの雨の日の二人が『紅』と『白』のどちらであったのか、今は知る術もない。