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「幸村」-「漢」とは④

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これは、もう有名な真田幸村です。
幸村は、武者・武将としては義経と並んで、最も人気が高い人ではないでしょうか。
信長は、最早一武者の域になく、竜馬は、武士であっても武者でも武将でもありません。
その人気、昨今のものではなく、彼の死の直後から、その人気は高かったようです。
それだけに伝説も多く、彼の名の「幸村」も後世につけられたものであり、当時の名は、違っていたとも言われています。
ですから、いつものことながら史実云々には、係わり無いものとして、お読みください。
それと、いつものことながら、司馬遼太郎氏の作品からは、多大な影響を受けながら、これを書いています。

幸村のことは、一つの逸話になならないかもしれません。
実は、幸村は、討ち死にした大阪の陣で名を上げるまで、当時の武将として、さして著名な存在ではありませんでした。
当時、「真田」の名で著名だったのは、彼の父の昌幸でした。
大阪の陣の前に、大阪城へ真田が入城したと聞いた家康は、
「父親のほうか、子のほうか?」と、怖れに拳を震わせながら訊ねたいいます。
そして子である幸村と知って、安堵の溜息を漏らしたそうです。
昌幸は、若い頃には武田信玄に使え、武田の二十四将の一人として名を挙げ、信玄亡き後は、勝頼に仕え、最後まで裏切ることがなかったいいます。
武田氏が滅びると、秀吉の下につくまでは、独立勢力として、特に徳川氏と戦いを繰り返します。
そして秀吉亡き後の関が原の戦いの折には、二代目の将軍である秀忠率いる東軍3万の別働隊が中仙道を進むを上田城で食い止め、ついに関が原の決戦に、その別働隊が間に合うことさせませんでした。
その後も、戦闘での負けではなく、関が原での大勢が決してたことで、降伏開城し、幸村共々、紀州九度山に配流されます。
つまり秀吉をさえ、小牧長久手の戦いで破った家康に、軍事的には一度の負けもない武将として名を轟かせるのです。
そして、その名は、あくまで幸村ではなく昌幸なのです。
正確な記憶はありませんが、九度山での暮らしは、10数年に及びます。
その中で、ついに昌幸は、亡くなります。
その直前に、幸村に物語をします。二人は、いずれ江戸と大阪の間で大戦が起こると予想し、その時には大阪城に馳せ参じて家康を打ち破ることを考えています。
その折の必勝の策を、昌幸は、幸村に伝えます。
聞いた幸村も、その策ならばと膝を打ちます。
しかし、昌幸は、自分が、ここで死ねば、ついにこの策は成り難いであろうと言います。
幸村は、それは父に比べて、私の才が劣っているからかと訊ねます。昌幸は、それに答えます。
「そうではない。お前には、ワシに倍する才がある。惜しむらくは、名がない。ワシであればと、大阪城内の信望も集まり、天下の諸将も畏怖する。それだけの名が、まだお前にはない。この策を、お前が用いても、おそくらくは、その点で挫折するであろう。」と。
この策の詳細は省きますが、幸村の大阪城入城後は、概ね、その言葉通りになっていきます。
これも正確な記憶はないのですが、幸村が討ち死にしたのは、50前。彼は30半ばから40代の、いわば男盛り、働き盛りの時期を、九度山で逼塞して過ごしたのです。
それも、大阪の陣で証明されたように、当時でも稀有の軍事的才能を有しながらです。
どれほどに、歯噛みして耐え忍ぶ夜があったことでしょう。
才が劣って敗れるならば、諦めもつく。
その才を発揮する場が、すでに奪われていることほど、悔しいものはないと思います。

大阪の陣での彼の活躍は、敵であった東軍の諸将の間でも評判となり、彼の武運に預かりたいと、彼を遺髪を争って手に入れようとしたそうです。
冬の陣での、幸村の戦いぶりを怖れた家康は、夏の陣を前にして、信濃一国40万石に封ずると言って、幸村を誘ったとの伝承もあります。
また、大阪の陣の直後から、戦には勝ったものの、家康は幸村によって討ち取られており、以降の家康は、実は影武者であったの伝承も言われたそうです。

幸村、ついには、本望だったのではないでしょうか。
勝ち負けではない。
鬱屈し続けてきた、己の才を、天下と後世に、高々と示すことは出来たのですから。
「東軍百万を呼号すれども、ついに一個半個の男子もあらずや」
と彼が、言い放ったのも、ただ、我には、これほどの才と力があるのだと、満天下に叫んだのかもしれません。

こうして3つの逸話を書いてくると、私には、人間の才能、とりわけ天が与えたとも思えるような天才に、強い憧れを持っているようです。
もちろん、私などには、全く無いものですから。
そして、それ程の「才」を持ってしても、時代の流れとも言うべき、大きなものの前には、如何ともし難いという現実を哀しみを持って確認しているのかもしれません。
作品名:「幸村」-「漢」とは④ 作家名:梵風