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法定寿命~双つの世界~【前編】

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第一章 ピーク


「中央区高齢福祉課の山田と申します。」

 玄関に出ると礼服に身を包んだ男が立っている。午前十時ジャスト。約束の時間をきっちり守るのがいかにも御役所仕事らしい。私は無言のまま出迎えのハイヤーに乗車する。そして車は一路区役所へと向かう。

「まさか自分が寿命を全うするとは…」

 私はひとり、そうつぶやいた。自分は虚弱体質だったのでてっきり若くして死ぬと思っていた。

 これまでの人生が走馬灯(そうまとう)のように頭を駆け巡る。人が死ぬ直前に起こるという、このありふれた現象はどうやら私にも当てはまるようだ。

 私の人生グラフはほとんど底を這(は)っていたようなものだ。普通の家庭に生まれ育ち、それなりに幸福な少年期だったが、徐々にグラフの傾きはマイナスの度を強め、以後一瞬のピークを記録した後、停滞期がずっと続くことになる。

 車は区役所へ着いた。職員に案内されるまま、区の講堂へ通される。既に私と同世代の人たちが幾人か整列している。私が最後のひとりだったようで、私の入室を合図に式典が開始された。区長が感謝状を読み上げる。

「…貴殿方の協力があってこそ、社会は継続的に安定することが出来ます。貴殿方は本日、法定寿命を迎えることになりましたが、我々残された者は貴殿方の多大なる協力に感謝し、ここに表彰するものであります。」

 この国には人生に定年がある。それが法定寿命だ。何人(なんぴと)もこれを超えて生きることは許されない。数十年前、急速な少子高齢化で生じる社会保障費の増大を回避するために捻(ひね)り出された究極の策らしい。私にはこの法律に逆らう意志は全くない。むしろそれを望んでいたくらいだ。ただ式場が紅白の幕で覆われているのには少々違和感を感じる。

 式典が終わりに近づく。我々表彰者は順に式場から延びるトロッコ列車に乗車する。

『ピーッ!』

 汽笛を上げ、列車は走り出す。職員の説明ではこの後、暗いトンネルへと入り、我々乗客は意識を失い、そのままあの世行きらしい。全く苦痛が無い、よく出来たシステムだ。トロッコ列車というのも僅(わず)かに残る子供心をくすぐるようで心憎い演出だ。

 私は区役所行きの車中で想い出していた、これまでの人生の記録をなぞる作業の続きを再開した。私の人生における一瞬のピーク、あれは三十代前半のことだった…
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「クソッ、またダメか。ホントあいつらまともな耳付いてんのか?」

 私は全く売れない自称ミュージシャンだった。コンテストに自作曲を何度送ってもダメ。プロモーションのための対バンのライブでも客の反応はとても薄い。唯一ライブハウスのブッキングマネージャーは褒(ほ)めてくれるが、単にチケットノルマの代金が手に入るから褒(ほ)めてるんじゃないか?と、うがった見方をしてしまう。

 テレビから流れる流行歌はそのほとんどが私を満足させるものではなかった。Aメロ〜Bメロ〜サビのありふれた形式、サビありきで退屈な前半、またはサビを崩しただけの前半。リスナーはこれで満足なのか?それに比べ昔は宝箱をひっくり返したかのように素晴らしい曲で溢(あふ)れていた。ロック創世記から様々なジャンルへと分化し、良い意味でとめどない音楽文化の洪水が起きていたように思う。少し遅く生まれた私はラジオからその隆盛を誇った文化を遅まきながら一身に浴びていた。しかしいつの頃からだろう?音楽文化が変質してしまったのは…

 私自身、自分に音楽の才能は無いと思っていたので、「音楽は聴くもので、自分で作るものじゃない」と考えていた。ただ、ごくたまに頭の中でオリジナルのメロディーが浮かぶことはあった。中学生の頃にパソコンを親から買い与えてもらったのだが、高校生になるとパソコンを使えば様々な楽器の演奏を音符さえ打ち込めば出来ることを知り、楽器店で購入した楽譜を見ながら実際にパソコンに演奏させてみた。そのうち他人の曲ばかりでは面白くなくなったので、頭に浮かんだメロディーを苦労しながらも音符へ変換し、演奏させてみた。メロディーだけでは寂しいのでドラム、ベース等も付け加えた。自作曲の演奏を聴いて、僅(わず)かではあるがちょっとした感動を覚えたものだ。たとえ一人しかいなくても、楽器の演奏が下手だとしてもパソコンに演奏させてやれば問題ない。複数の楽器を間違えることなく同時に演奏してくれる。これが私の最初の作曲体験だ。

 しかし頻繁(ひんぱん)にメロディーが思い浮かぶ訳でも無く、作曲からは長らく距離を置いていた。そのうちプログラミングの方面に興味を持ち、学校を卒業後プログラマーになった。仕事は忙しいながらも順調にこなしてはいたが、やがて体調を崩し、システム開発のプロジェクトから離れることになった。時間的な余裕ができたこともあって、音楽を聴く機会が増えた。そうすると、あの音楽文化の隆盛を極めた時代の曲を聴くたび、現状の音楽に対し疑問が沸々(ふつふつ)と湧いてきたのだ。

 いつの間にか私は三十歳を超えてしまっていた。どんなに凄い才能を持つ作曲家も、大抵は二十代が一番輝く時期である。三十代以降でも勿論(もちろん)作曲自体は出来るのだが、どうしても歳を取るたび才能は落ちてゆく。「今は俺にとって最後のチャンスではないのか?そうだ、少し遅けど思い切って作曲活動をしてみよう。そう、これは現状の音楽に対する問題提起なのだ!」

 私は仕事を辞め、作曲活動に専念した。特別な音楽教育を受けていないこともあって作業は困難を極めたが、なんとか自分が理想とする音楽ができた。しかし、しかしである。「理想と現実」という言葉は何度となく耳にしてきたが、この言葉をこれだけ身を持って感じたことは無かった。苦労すればするほど、その結果が全く報われないという事態はまるで拷問(ごうもん)を受けているかのように辛い。まるで自分が全否定されたかのようだ。単に自分の音楽が理解されない、という類(たぐい)の辛さだけではない。辛さは社会からも感じる。三十過ぎてまだ遊んでいると思われている。自分は遊んでいるつもりは毛頭ない。必死だ、必死で曲作りをしている。でもなぜだろう?三十を過ぎて音楽の道へ進もうとしてはいけないのか?そもそも一体誰が決めたんだ、三十というリミットを?

 この絶望感は微(かす)かな死への興味を誘惑する。やがてその興味さえ潰(つぶ)れてしまうほどの更なる絶望へ。どん詰まりだ、八方ふさがりだ、この人生。とにかく出口が見えない。暗闇だ、暗闇しか感じない。強大な暗闇に押し潰(つぶ)されそうだ…

 しかし私は自分を信じ続け、果たして私は人生のピークを味わうこととなる。