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その一言が言えなくて

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早朝の空気が好きだ。
特に夏の朝は昼間と違ってひんやりとしている。
ぼやけた頭も徐々にくっきりとしてきた。
「この時間はやっぱり人がいないなぁ。」
辺りを見渡しても誰もいない。
時折、大通りの方から車の音がするだけだ。
タッタッタッタッ
不意に後ろから掛けてくる音が聞こえる。
こんなに朝早くからランニングする人もいるんだな。
今は、朝の四時半。
やっと明るくなり始めたばかりだ。
朝練でもなければ俺だってこんなに早起きはしない。
それなのにこの時間に走ってるってことは、俺と同じ朝練か何かかな?
俺は、興味本位で後ろを振り返った。
それと同時に俺の横を風が駆け抜ける。
いつの間にかこんなに近くまで来ていたのかと、驚いた。
すれ違う瞬間、仄かに甘い香りがする。
俺の足が止まる。
彼女は艶めく黒い髪を高い位置で結んでいた。
中肉中背で、程よく筋肉もついている。
グレーのトレーニングウエアの上からでもわかる。
アスリートの体だ。
俺は彼女から目が離せなくなっていた。

それからは毎日、俺は彼女に追い越された。
いつもの時間に登校していると、後ろから彼女の掛けてくる音が聞こえる。
いつも同じリズムで。
タッタッタッタッ
この音が聞こえてくると、俺の心臓がドクンっと跳ね打つ。
体全体に力が入る。
頬が熱くなってくる。
『振り向かなきゃ。彼女が見たい。』
頭の中では分かっているのに、それとは裏腹に体が動かない。
そうこうしているうちに彼女は俺を追い越していく。
今日もあのきれいな黒髪をなびかせながら。
そうして、俺はいつものように彼女を見送るのだ。
「はぁっ。」
ため息をつく。
見れなかった。
立ち止まり俯く。
彼女の足音が遠のいていく。
もう何度目だろう。
ここ一か月、俺はずっとこの調子だ。
こんなんじゃだめだ。
明日こそ、明日こそは・・・。
俺は顔を上げた。
そして、目を疑った。
そこには彼女がいた。
数メートル先で立ち止まっている。
俺は勇気を出して一歩を踏み出した。
『どうしよう・・・。』
高鳴る鼓動を押さえつけながら、俺はまた一歩ゆっくりと歩みを進める。
ついに彼女の背中に追いついた。
彼女は立ち止まったままだ。
少し肩で息をしている。
「あっ、あの!!」
絞り出すような声をだす。
少し裏返ってしまった。
次の言葉を待たず彼女が振り向いた。
お互いの顔を見る。
俺は口を開いた。
彼女も口を開いた。
「「お、おはよう!!」」

作品名:その一言が言えなくて 作家名:nanao