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初音ミクは悲劇のヒロインになる

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・自動作曲が産み出す悲劇



 さて、音楽史の話はここまでにして、本題に戻るとしよう。
 12音技法をシェーンベルクが提案したのは、1921年であり、90年近く前に既にそのような機械的な作曲法が存在していた、と言える。*偶然性の音楽を同じような作曲法とみなすのであれば、もっと前の時代から存在することになるが、ここでは割愛する。
 そして総音列技法のような音楽の要素のほとんどを機械的に作り出すような、自動作曲法が産まれてしまったことは、音楽を芸術作品として視る場合、音楽性の崩壊が訪れてしまった、とも言えるのではないだろうか。
 人が作ったものに音楽性があって、人が作っていないものには音楽性がない、と断定は出来ない上に、それは個人の観点で異なるという問題が起こるので、ここでは詳しく述べないことにするが、私個人の意見として、人間の作り出すものが機械よりも劣ってしまうようなことになった場合、やはり誰もが複雑な感情を抱くのではないだろうか。
 そんな過去があったとはいえ、今日、人々は機械に頼る面もあるかもしれないが、それでも曲を編み出し、一人一人の個性や能力によって音楽は作り出されている。
 もちろん自動作曲の分野が完全になくなったわけではないが、現在主流なのは、人の手によって産まれるメロディーや曲調が大半だ。また、共感を得る人が多いのも、そのような楽曲だろう。

 ではもし、そのメロディや曲調、さらには表情や想いが、人の手を借りずに楽曲に組み込めたとしたら、あなたはどう思うか。
 あなたが聴いて感動し、涙まで流した歌が、全て機械だけで作られていたら、その曲を聴いてもう一度涙を流すことが出来るのだろうか。
 一人で時間も労力も懸けて作り上げた楽曲が誰の耳にも入らず、機械で5分も掛からずに作られてしまった楽曲が、世界中の人が聴き、感動してしまったら、あなたは自分で音楽を作り続けていくことが出来るだろうか。
 
 それこそが、私の訴える「悲劇」の幕開けであり、その時代が既に刻一刻と近づいてきているのだ。

 この論文のタイトルに、初音ミクを取り上げた理由は、VOCALOIDが発売される前から、打ち込みで楽曲を製作することは可能だった、というのは先ほど述べたとおりだ。しかしボーカルパートのように、音程に細かい揺らぎや多彩な表情があるものを作り出すことは、個人ではもちろん、なかなか容易なことでは無かった。それがVOCALOIDの登場によって、打ち込みでもボーカルパートが作れるようになり、初音ミクがムーブメントを起こしたことにより、世界中の人々が、個人でボーカル付きの楽曲を作れる時代が訪れたのだ。
 人の声を使った音楽、歌曲というものは、今の時代でも主流なのはもちろん、歴史を遡れば遡るほど、人々に愛され、広く歌われていた最も古い楽器、もしくは音楽形式と言えるだろう。
 その歴史上に産まれた実態の無い存在、初音ミク。彼女が人の声を使った音楽の歴史を変えたことは事実であろう。だがそれと共に、時代は文化の停滞、及び衰退の道に進んでいる。彼女は、不幸にもそんな時代に産まれてしまった、悲劇のヒロインなのだ。
 そして悲劇を起こす引き金、あるいは悲劇を起こし始めているものは、初音ミク以外にも、既にこの世に出回っている。
 シンセサイザーのようなあらゆる音を作り出せる技術、空間や音の広がりを制御出来る音響技術、生産性と効率によって考え出された理論、それらによって作り出された音楽を、いつでもどこでも気軽に聴けるネット環境や音楽プレイヤー。
 やがては、ボタン一つ押すだけですぐに完成された楽曲が仕上がり、そうして作られた楽曲がボタン一つですぐに聴ける時代が来てもおかしくはない。
 
 はたして、それは音楽の進化と呼べるのだろうか。