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初音ミクは悲劇のヒロインになる

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2 音楽の進化「歴史としての進化」



・ 初音ミクによって、音楽は原点回帰した

 さて、前の章でポピュラー音楽やそのジャンルに使われる理論を否定してきたが、それらを音楽の歴史の上で考えると、どのような結果になるのか。
 結論から言えば「歴史的には進化をしている」ということになる。
 では、歴史的に、というのはどういう意味を指すのか。まずそれは、本来の音楽という意味から説明することになる。
 旧来、音楽は、人々にとって、今の言葉で言うのならBGMとして扱われてきた。宗教の儀式を行う上での演奏、雨乞いを起こすための演奏、教祖や王様を讃えたり満足させるための演奏。儀式のための音楽という意味では、洗脳のために使われていたとも言える。
 そのような音楽の使われ方は、今の時代になっても変わっていない。アイドルが自分で歌うことや、物語のBGMとして感情をよりコントロールさせやすくすること等、それらのような音楽の用法は、きっとこの先もずっと変わらないことだろう。
 しかし、宗教が世界に一つではないことは当たり前であり、世界に広がっている宗教は別として、小さな宗教などは歴史の流れに埋もれていってしまっただろう。キリスト教を知っている人がいても、入信していない人も大勢いるのは、日本ではむしろ当たり前のことでもある。
 多くの人が無宗教である日本でも、広く入信していることがあるとすれば、それは「音楽」である。
 音楽を聴かない人は国内ではまずいない、ということは前章でも述べたことであり、その聴く理由というのは、個人個人違うだろう。その中でも、流行している曲や、アーティストがいると、多くの人が同じ音楽を聴くことになる。言わば、そのアーティストは、そのファンたちの教祖と生り得るのだ。
 その例を初音ミクに当てはめると、面白いことになる。
 2009年に、初音ミクのライブが実際に行われた。本来、ライブというものの醍醐味は、アーティストがファンの前に立ち、リアルタイムで演奏をすることである。しかし、初音ミクというアーティストは当然のことながら人間のような実態は存在しない。実際のライブでは、ホログラムとして映された初音ミクが舞台に立っていたのである。
 そのようなライブというのは、決して今まで無かったわけではない。テレビでのライブ映像では、演奏しているフリをして実際に流すのは事前に録音された音源だったり、アイドルはメディアを通さない実際のライブでもそのように行っていることは非常に多い。それがアーティストとして、ライブとして許されるかどうかはしばしば疑問視されていたが、初音ミクの登場、及びそのライブが行われ、それがライブとして実際に成り立ったことによって、従来のライブのあり方が完全に覆された、とも言える。
 アーティストがその場にいないライブ、それはつまり、教祖がその場にいない礼拝でもある。
宗教の観点から言えば、そのような礼拝も珍しいことではないのだろうが、初音ミクというアーティストは、概念やキャラクターとしてしか存在しておらず、唯一あるのは彼女の「声」だけであり、その声もまた一人の声優の録音でしかないため、初音ミクを実際に見たり会ったことがある人は、当たり前だがこの世には存在しないのだ。
 日本のデフォルメキャラクターは世界に受け入れてもらえない、という常識を、ポケモンのピカチュウというキャラクターが覆したように、初音ミクは、日本のアイドル文化や美少女キャラクターを、世界に広めていったとも言える。
 この論文のタイトルや前章では、初音ミクを「悲劇のヒロイン」と呼んでいるが、それとは別に、ある存在を讃えるための音楽、という意味では、初音ミクという存在によって、音楽は原点回帰を迎えているのかもしれない。芸術としての音楽ではなく、宗教歌としての音楽を。