小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

梨華姫

INDEX|2ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

1.受難・困難・災難(二日前)


礼部は迫りくる青雷節を目前に控え、ばたばたとしていた。誰も彼もが話しかけてくれるなよと鬼のような形相で書類の山を崩し、関係部署を回る。回る。崩す。回る。延々とその繰り返し。
目が回るような忙しさとはこういうことを言うのだろう。
額の汗を拭いながら、遥檸爍は机案に向かった。ちなみに、つい先程まで戸部で予算関連の折衝をしてきたところである。
「なあ檸爍、『梨華姫』というのを知ってんのか」
「……は?」
「そうだろうなお前なら知らないと思っていたよこの朴念仁」
「……あの、唐突に弟の職場乗り込んできた上、悪口ですか」
「ふふん、良いだろうそこまで言うのなら教えてやらんでもないぞ。その代わり僕らに一生へりくだれ。『俺は雅狼様、円龍様の僕(しもべ)です』と三唱しろや」
「やですよ」
のしっ、と背中に体重をかけてきた男に見向きもせず、いかにも面倒くさそうに返答する檸爍。その間も指は書類をめくり、眼はそこに書かれている事項を追い続けている。
「な・ん・だ・と? 檸爍のくせに生意気な…兄上からもなんとか言ってやってください、僕をもっと構えと」
「本音がそれかよ」
この忙しいのに何しに来たのかと思えば。
動機があまりにくだらなすぎて、つい、本能的に反応してしまっていたことに気付いた時にはもう遅かった。
「っは、遥檸爍。不覚を取ったな? ほら僕のことを放っておけないくせに、意地張っちゃってぇ! でも玉瑞の最愛の兄はこの僕だからな、お前には譲らん」
「はあ、そうですか。もっとどうでも良いです」
それよりも、と醒めた声で続ける。
「雅狼兄上。俺は今、青雷節の準備で忙しいんです。遊んでもらいたいなら他を当たってください」
ここでようやく振り向いて、視界の中に二人の男を捉えた。仕事着だというのに装飾過多な印象のある官服(改造済み)が目印のちゃらちゃらした男。溜息を吐きながら椅子から立ち上がると、中身が入っているのか甚だ疑問のその頭は檸爍の視線より下になる。
その後ろに言葉少なに立っている長身の男。服装は弟と違い華やかとは言い難いが、文官とは思えないほどに長い手足と鍛えられた身体がその下にあることを檸爍は知っている。
あらゆる意味で軽そうなのが遥雅狼、寡黙な大男が遥円龍。檸爍の実の兄である。どちらもひとたび街に出れば、世の娘さんたちの目を引きすぎる容貌であるために苦労しているらしい。雅狼の言うことなので素直に信用するのは癪であるが、弟の自分から見ても二人は互いに、違った意味での男前であることは確かだった。
「青雷節とこの僕と、お前はどっちが大事なんだよ!」
そう言うあんたは俺の何なんだ。と言いかけて、辛うじて呑みこんだ。此処で調子を乱してしまえば向こうの思うつぼだ。
 青雷節というのは、初夏に行われる年間行事である。毎年この頃になると雨を降らす力を持った龍神が瑛杏をおとずれ、雷や嵐も一緒に連れてくると考えられている。
毎年、河川の氾濫、水難などが増えてくる時季でもあるので、ご機嫌取りをしようと盛大な宴が催されるのだ。
祭祀を司る礼部としては、準備期間である今が一番忙しい。まあ、おそらく実際に青雷節を迎えてみれば「これ以上忙しい時なんてなかった」と思うに違いないのだろうが。とにかく。
羨ましいことに暇を持て余しているらしい兄を構ってやるには時間的にも精神的にも余裕が無かった。
「……檸爍、雅狼を許してやってくれ」
「円龍兄上」
今まで弟たちのやりとりを傍観していた円龍が、檸爍にしつこく纏わりついていた雅狼を引き剥がす。不服そうに唇を尖らせた弟を睨んで黙らせた。
「お前が、最近本家の方へ来ないから拗ねているのさ」
「な、違いますよ? おい待て檸爍、勘違いすんなよ。誰が寂しいかっつうの! そう、玉瑞が! 煩いんだよ、『檸爍さまがいらっしゃらない…』って」
「お前もつまらなそうにしていただろう」
「あ、ああああ兄上っ! 誤解です。僕はただ檸爍が礼部で屍になっているのを見物に行こうと思っただけで、心配なんか」
「まあ忙しくしているとは思っていたが、身体を壊しては元も子もないのだぞ。…顔くらい見せに来なさい」
くしゃり、と大きな手のひらが檸爍の額に落ちていた前髪を掻き上げた。湖面のように静かな眸が自分だけに向けられているのが、ひどく心地良かった。
「兄上ってば! こいつに甘くしすぎです……いいか、てめぇなんざいくら頑張っても檸爍程度なんだよ。自分を仙人とでも思ってんのかっつうの。思い上がんな。…泊まり込んだところで効率なんか上がりゃしねえんだよ。そんなふらふらになってるくらいなら、邸(うち)に帰って出仕しろや」
形は違えども、どちらも純粋に自分の身を気遣ってくれたがゆえの言葉であると分かって。
正直どうして良いのか分からなかった。
この人たちが無条件に与えてくれるこの優しさを受ける資格が、自分にはあると思えなかった。

『へー、貴様が僕の弟くん? 精々遥家の為に尽力してくれたまえよ』
『今日から、私たちは家族だ…と言いたいようだ。口が悪くて済まない、性分でね』

初対面から変わらず。突然現れた弟という存在に対して、拒絶することもなく。距離を置くこともなく、ただ。
当たり前のように受け入れてくれた。
最初からそうだったかのように、家族の一員として。
その気持ちに、報いたい。そう思ってがむしゃらに働いてきたのは、間違いなのかもしれない。
(俺は、むしろ俺の方が)
壁を作って、遠慮して。無理に自分を良く見せようとして。
養子に出された分家の養父にも、義理の姉たちにも。
円龍や雅狼、そしてあいつにも。
打ち解けようとはしなかった。一定の間隔を保ちながら接していたのは檸爍だった。
混じりけのない好意に、応えねばならないと思うことこそが、自分が誰に対しても気を遣ってしまっている証拠なのではないだろうか。

「……って、痛だだだ! な、何をするんですか」
「は、ばーか。檸爍ごときがごちゃごちゃ小難しいこと考えてんじゃねーつってんだろが。分かったか! んじゃ、僕もそれほど『暇人』じゃないんで。吏部はおたくと違って年がら年中忙しいんだよ」
ぐいと結えていた檸爍の髪を思う存分引っ張ってから、雅狼は颯爽と部屋を出て行った。あの男が、驚異的な速さで吏部侍郎まで昇りつめ、無能と判断した者は家柄・経歴関わりなく断罪していく『首切狼』と恐れられているなどとは俄かには信じがたい。信じたくない。
「全く、あいつはしょうがないな」
苦笑いを浮かべ、待っているからなと弟に声をかけていった円龍が、次期宰相候補だと知っている者は、当の弟含めこの部屋には誰も存在しなかった。


「相変わらず、君のうちはきょうだい仲が良いね檸爍」
「…お前の目にはそう見えるのかあれが。というか、俺の与り知らぬところで机案に積み上げられた書類の標高が高くなったように思うのだが」
「あっはは気のせいだよ」
「今も! お前、自分が捌く分の書類俺のところに積んだだろう? 既にさりげなくもないっ!」
「疲れているんだね、お兄さんのすすめに従って邸に帰ったらどうだい? もちろん仕事は持ち帰るんだよ、でも情報漏えいなんかしようものなら怖―いお兄さんに首切られちゃうかもねえ」
作品名:梨華姫 作家名:鷹峰