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グッド・センス・ネクタイ

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彼ったら、なんてネクタイの趣味が悪いんだろう。

花火の失敗作みたいな柄や、ビデオドラッグのりの縞模様。おやじくさいったらありゃしない。

色も薄すぎたり濃すぎたりで、カラーシャツとのコーディネイトをまるで考えていないのだ。

全部がそうだから、あたしとしては苛々してくる。

本人は、まあまあいい男なんだけど。三十歳。笑うと、顔全部が緩んで、目がなくなっちゃう。かわいい。

まだ若いのだから、もっと派手にしたってかまわないのに。いくら営業職だからって、シンプルなりの粋が欲しい。

例えば、こんなの。藍色の生地に、小さな桃色の花がラインを作っている。メルヘンチックだけど、着けてみると意外にシックに決まる。

これもいい。光沢ある生地に広がる、黄色の濃淡チェックが織りなすコントラス。地味すぎず派手すぎずで、どんなカラーシャツとも相性が良いはずだ。

大好きな男。趣味の良いネクタイで、飾ってあげたいな。

彼のセンスのひどさを気にかけるあまり、あたしはデパートに来ると必ずネクタイ売り場を覗くようになってしまった。

探してしまうのは、彼に似合いそうなものばかり。想像の彼に、とっかえひっかえ合わせて喜んでいる。

女の選ぶネクタイは、そこそこセンスが良いはずだから、彼のあの趣味の悪さ、ネクタイは、自分で選んで買っているに違いない。

そう考えると、趣味の悪さは許せないながら、ちょっと安心する。どんなにダサくても、これからも自分で選んでね、と思ってしまう。

「すみません。今、ネクタイって、どんなのが流行ってます?」

女の客に訊かれてぎょっとした。どういうわけか、あたしを店員と勘違いしているらしい。

誤解を解こうとしたとき、女の持っているネクタイを見て、あたしは凍りついた。

趣味悪い!

女は、灰色の生地にでかでかと赤い牡丹がプリントされたものを、しっかりと握っていた。素人が山水画をまねて描いたような牡丹だ。

あまりの悪趣味に、あたしは目眩までした。

これだけブランドのネクタイが並んでいる中、駅の改札口に時々出ている露店の、三本千円の特価品とみまごうものを、よくもまあ掘り出してきたものだと、ある意味感心してしまえる。

あたしは、「女の選ぶネクタイはセンス良し」の考えを改めざるをえなかった。

女は、関西なまりが色っぽい美人だったが、これでは贈られる男が気の毒だ。

だから、つい誤解も解かずに口を出してしまった。

「確かに今年は花柄が流行りだけど…ええと、ほら、あそこにディスプレイされている、ラインが花のやつとか、それからそっちの黄色のチェックもかわいいと思いますよ」

「花柄が流行り」という言葉で決めたのだろうか、女は花のラインのネクタイを買った。

あたしに「ありがとう」と関西なまりで言うと、ほっとした顔で売り場をあとにした。

良いことをしてしまった。これで一人の男が救われた。

もっとも、どんなにひどいネクタイでも、堂々と渡せる男がいるのは、幸せだ。

売り場でネクタイを眺めるのは楽しいけれど、自分のことを考えると、いつも最後は淋しくなる。


恋をすると、相手の足音だけでときめいてしまう。声を耳にし、瞳で確認すれば、うっとりと夢心地。

でも、ここは会社。理性でぐっと抑えなきゃ。

おまけに意中の彼は、あたしの上司。

「里見さん、この書類の内容だけど…」

こんなとき、あたしは書類を覗き込むふりをして、できるだけ高市主任に接近する。部下の役得をしっかり使うのだ。

身長差があるので、視界には彼の胸元ばかりが広がる。毎度ネクタイの趣味の悪さにはやりきれないものの、それさえ目を瞑れば、いつものいい男。

ところが、今日は、百八十度勝手が違ったのだ。

ネクタイは、めちゃくちゃセンスが良かった。昨日、デパートで見たばかりの、藍色の生地に並ぶ桃色のお花。

思わず見惚れてしまい、仕事の話がお留守になった。名前を呼ばれて気がついても、取りつくろう前に、素直に口に出していた。

「今日のネクタイ、素敵ですね」

高市主任は、にんまり笑った。言われるのを期待していたみたいに。

もちろんお世辞じゃない。想像の高市主任よりもぴったりだ。やっぱり実物は最高!

確かニナ・リッチの新作。たいていのデパートに並んでいるとはいえ、彼の地獄のような悪趣味が急に変わるとは思えない。

別の誰かに選んでもらったに違いない。

このネクタイが、主任にどうしようもなく似合うことを、知っている人。

――もしかして、この「あたし」かもしれない!?

そんな偶然、まさか。

昨日の関西出身の美人を思い出す。歳の頃も、合っている――?

その美人と再会したのは、前と同じネクタイ売り場だった。

今度も彼女から声をかけてきた。

「あのう…この前、ネクタイを選んでくださった方ですよね?」

しばらくたっていたので、記憶の顔もぼやけていた。遠慮深げな関西なまりで、彼女だとということに気がついたのだ。

「あのときは、ありがとうございました。あたし、あれから何回かここに寄ってみたんですけど、あなた、店員さんじゃなかったんですね。ごめんなさい。でも、助かりました。ありがとう」

「ございます」が抜けて、最後の「とう」の語尾が上がるあたりが、関東人からしたら、とてもかわいい。

「いえ、お役に立てて…」

「実は、図々しいんですけど、またアドバイスしてもらえます?紳士ものって、よく分からなくて」

関西なまりと妙な人懐こさに圧倒されて、あたしは彼女にネクタイを選んでいた。ネイチャーコンサーブの象のアニマルプリントを、彼女は嬉しそうに買った。

そして、あたしをお茶に誘ったのである。

「どなたに贈られるんですか?」

と、あたしが聞くと彼女は苦笑して言った。

「贈るというか…ただ主人に買っただけで」

その一言に、あたしは期待を押さえられてなくなって、身を乗り出した。

「ご主人のネクタイは、いつも奥さんが選んでいるんですか?」

「はい。でも、この頃…」

「この頃?」

「部下のちょっとうるさい女の子に、ネクタイのことを言われるらしいんです。もっとかわいいのをしてこいだとか。だから、彼も少し気にしちゃって」

彼女は、心なしあたしがむっとしたのを、不思議に思ったかもしれない。『部下のちょっとうるさい』ねえ…。

まだあたしだと決まっていない。おしゃれにうるさい子は他にもたくさんいる。第一、あたしはそんな露骨に指摘していないもん。

「あたしも、背広やワイシャツに合うのを選んでいたつもりだったんです。彼、営業職だから派手なのはまずいだろうし。それで、ついつい無難なのを選んでしまって」

あたしは、初めて会ったとき彼女が買おうとしていた牡丹柄のネクタイを思い出して、こうつっこんでやりたかった――無難にもほどがある!

はにかむ彼女の笑顔に、まじめで素直な性格が伺えた。家庭での奥さんぶりも見えてきた。

きちんと掃除された部屋。家計管理もしっかりやっていそうだ。帰宅した夫を迎える繰り返しの日々にも、何の疑問も不安もないみたい。プレッシャーのない無邪気な笑顔が当たり前の生活。
作品名:グッド・センス・ネクタイ 作家名:銀子