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こわっぱ・竜太

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小説:こわっぱ・竜太                            
                           佐武 寛
                 一
 夜道を急ぐ人影が大通りから街角を曲がって路地に消えた。月がそれを照らしているほかに何も居ない。風が土煙を巻き上げている宿場の夜更けは気味悪いほどに静かである。月に照らされた人影は年増の女のようである。せかせかと歩く下駄の音が響く。時々着物の裾が巻き上がっている。季節には不似合いな単衣の着物のようだ。何があるのかこの女を月が追いかけている。
 路地の奥には小屋のような家が粗末な板葺き屋根を連ねていて見るからに貧しい。その中の一軒に女が入る。迎えたのは老婆で娘の帰りを待ちわびていたらしい。娘の顔を見て安堵したように腰を伸ばして手を差し出す。娘はその手を握りうえに上がる。其処は三畳の玄関の間である。その奥に二畳ほどの板敷きの間がある。食卓が置かれていて娘の帰りを待っていたように食器の上にフキンがかぶせてある。
「着替えてくるわね」
 娘は玄関の間の横の部屋に入る。この部屋は六畳の間でその奥に床の間と違い棚が付いていて、その並びに半間の仏間が続いている。この部屋の奥が三畳の隠れ部屋でわずかな庭と突き出した便所がある。その庭の右横に井戸と炊事場があって、炊事場の裏木戸を開けると排水用の用水路がある。
 老婆は食卓のフキンを取って直ぐに食事できる用意をしている。菰に入れたお櫃を開けて娘の茶碗に飯を盛り付ける。
「わたしがするから良いの、いつも遅くなってすまないわね」
 娘が着替えを済ませてそそくさとやってくる。老婆は目の前に座った娘に悔やむように言う。
「みね、お前さんに苦労をかけてすまんのう。わたしが居なければとうに嫁にいっとるはずじゃ」
「それは言わんでおくれ、病人の母さんが一緒じゃイヤだといって逃げたあの男が薄情者よ、添わないでかえってよかったわ」
「そういってくれると少しは気ガ楽になるが、苦労をかけてすまんのう」
 老婆と娘はしんみりしながら箸を運んでいる。此の親娘はもとは大通りに面した旅籠を営んでいたのだが、亭主が賭博の借金で店を取られて、すべたが狂ってしまった。此の家に引きこもる直前に亭主は失踪し、遥として行方は知れない。母娘は生きる術を失って自殺まで考えたという。母娘が橋から大川に飛び込もうとしたときに助けてくれたのが、問屋場の主人・白波権左衛門であった。彼は問屋場の宿役人を兼ね苗字帯刀を許されている。
 問屋場は宿場の中央にあって、本陣、脇本陣に次ぐ格式がある。権左衛門は任侠の世界を渡ってきた人間で子分の面倒見が良くて信頼を集めていたが、見かけのいかつさには似ず人情の深い人物だった。
「どうして飛び込もうとした。命はひとつしかねえから大切にすべきだ。どんなことがあったか聞かなくても、この宿場で起きたことはすべて耳に入っている。旅籠・仁三宿の女将とむすめさんだろう。亭主の仁三さんの行き方はしれなえのかね」
 権左衛門に声を掛けられた旅籠・越後屋の女将・とよは、このとき、権左衛門に欄干から引きずり下ろされて橋の上にへたり込んでいた。そばにいたみねはまだおさなかった。
「みね、覚えているかい、わたしがみねを連れて死のうとしたとき、権左衛門さんが引き止めてくれたこと。その後は問屋場の下女になって働き、みねを育ててきたのだ。この家は権左衛門さんが貸して下さった。みねも働ける歳になってからはわたしと一緒に勤めさせてもらったんじゃが、わたしはこの歳では役に立たんので辞めさせてもらったが、それからあとは、体の具合がわるうなって、このざまだわね」
「母さんは、養生しとったら良いんじゃ。夕飯の支度までしてもらって申し訳ないとおもっとる」
 二人は行灯の灯に顔を照らしながら話すともなしに話し合っている。母と娘がお互いにいたわりあって暮らしているのだ。粗末なちゃぶ台と古ぼけた水屋のほかは何も無い板敷きの部屋は隙間風が吹き込んでいて冷たい。とよは歳の割には老け込んでいる。持病の腰痛が時々激しく襲ってくると座り込んでいるしかない。みねはそのことを良く知っていて無理をしないように言っているのだが、とよは大丈夫だといって家事を切り回している。この日も、みねが帰宅するまで、とよは働き詰めだった。
「魚の味噌漬けと白菜の塩漬けを仕込むのに時間をとった。正月の準備をせなならんでのう。それで今日は腰が余計に痛むようじゃわ」
「無理せんでくれといっとるのに」
「からだを動かさないと、からだが余計にまいる。ぼちぼしやっとるで心配しないでいい。明日はなすやきゅうりの糠漬けもやるつもりじゃ。冬の食べ物は漬けて置くのが一番良い。
雪が深くなりゃ買い物には出られんでのう」
「問屋場にくる商人に頼べば何でも手に入るから安心しとりゃ良いよ。鯖などは直ぐに届けてくれるからね。ここは鯖街道だから魚には困らんよ」
「そりゃそうでも高くつくから、めったには買えん」
「正月くらいは貧乏神と別れたって良いじゃないの」
 とよは、みねがその気になれば、暮らしに困らないだけの稼ぎをしてくれることは知っている。いまは、問屋場の荷駄の仕切帳を預かっている事務員だから給金は多くないが、芸妓になっても通用するほどの容姿で色香も出始めている。若し、みねがその気になってくれれば、権左衛門に頼んでその道に進ませてやりたいと、とよは思っている。
 夕食とも夜食とも着かない遅い時刻に晩飯を取っている二人は、それぞれに違った思いを持ちながら、母と娘の肉親の情は共通している。お互いが助け合って生きているのだ。とよは、みねが幸せになることを願っている。それには今のような下働きの仕事ではなくて、独り立ちできる職業に就くのが良いと思い、みねの器量を生かして芸妓にするのが良いと考えていたが、口には出さなかった。だが、みねは、権左衛門からすでに母の意向を聞いていた。とよもみねも、お互いにこのことをいつ相手に切り出そうかと迷っている。
「風が強くなってきたね。このぶんだと、明日は嵐かも知れんよ」
「母さんはお天気博士かね」
「生まれたときからこの地のおてんとうさんとなかよしだからさ、先々のことを教えてくれるんだよ。今夜の風は浜風で海の荒れた潮も運んできてるね」
「この宿場は海から遠いんよ。海の潮なんか消えてるんとちがう」
「小浜と熊川じゃあ遠くは無いよ。空高く飛んできてこのあたりで落ちるんだわ」
「嵐になれば問屋場はごったかえすよ、荷駄の駆け込みがあるからね。早出をしなくちゃなんねえから今夜は早く寝るとしよう」
「みねに折り入った話があるんだけどね。権左衛門さんからなにか聞いて無いかね」
「なんも聞いてないよ」
「それならいい」
 二人はこのあと黙って茶をすすっていた。なんとなく気まずい空気がただよったようだが、直ぐに消え去った。食事のあと片付けにみねが立つと、とよは奥六畳の部屋に這うように移った。この部屋には小さい表庭に面してわずかな廊下がある。とよは其処に置いた座椅子に凭れてくつろぐのが日課のようになっていた。
                 二
作品名:こわっぱ・竜太 作家名:佐武寛