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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第七章】

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【第七章 カレンデュラ】


 第四十八話 抗生剤の功罪

 ヤーバ駅を出ると強い日差しが襲ってきて、私は思わず駅舎へ引き返してしまいました。まだ春先だというのに、じっとしているだけで汗ばんでくる陽気と湿気。寒冷地出身の私にとっては、経験したことのない不愉快さです。
 改めて外へ出ると、光の圧力に押されて体が重く感じました。
 カレンデュラの建物は、ヤーバ駅をはじめとして瓦の屋根がよく目につきます。
 駅前広場を彩る真紅の花や、背の高いヤシの木々を眺めているうち、なんだかとても遠くまで来てしまったような気がして、言葉にならない感傷を味わいました。
 私は駅前広場から気の向くままに歩き、平屋の建物がひしめく市街地へ入りました。
 ヤーバには二階より高い建物がほとんど存在しません。西南の海で生まれた台風が年に何度もかすめていくからです。都市が平面的に広がっていったため、東や西の都より人口が少ない割に、土地に余裕がないようでした。
 建物だらけで風の通りが悪い市街地は、暑さや湿気もあいまって、甚だ不衛生な環境でした。お金を稼ぐことにあまり執着しないお国柄のせいでしょうか、再開発で街をきれいにしようという気風は感じられません。
 その代わり、南国の民はどんなときでも明るく、何よりも仲間を大事にし、他の国の人々よりずっと幸せそうに見える、というのが、私たち外国人が受ける一般的な印象だったのですが……。
 ヤーバの市場通りは、人通りはあるものの、まるで国王のお葬式でもあったかのように、誰もが口を慎んでいました。
 よく見ると、男も女も口にスカーフを巻いていて、もそもそと話し、聞きづらいはずなのにお互い近づこうとはしません。
 南国らしくない風習に疑問を感じた私は、近くの青果店の女将にそのことを尋ねてみました。
 答えを聞いて、納得しました。
 ヤーバでは、春から初夏にかけて毎年伝染病が流行するのです。
 ヴィステリアと呼ばれる流感に似た症状の伝染病は、抵抗力のない老人や子供を死に追いやる厄介な病気で、古くからこの土地の人々を苦しめてきました。
 癒術学校の教えでは、伝染病は神からの警告であり、積極的に対処してはならないというのが原則です。冷たいと思われるかもしれませんが、どうしてそのような病が起きたのか、人々は身をもって理解しなければならないのです。
 そうはいっても、窓の奧から聞こえてくる咳の声を耳にすると、私は心が痛みました。一人の癒師がいっぺんに千人のヴィステリア患者を診ることはできないのです。誰を選んで、誰を捨てるのかなんて、考えたくもありません。
 こちらからは手をさしのべられない。誰でもいい、私を頼って……。
 でも、これって、無力感という苦しみから救われたいがために、都合のいい考えに浸っているだけなのでは? 危険を省みず、手当たりしだいに癒していくべきなのでは? 目の前の病人も救えない癒師なんて……。
 自分を責めているうち、胸の真ん中が痛くなっきて、私は道行く人々の間で立ち止まりました。
 頭のてっぺんの方から、誰かがささやく声がしました。
(自分で自分に毒を盛ってどうするのです。癒師が倒れたらもっと死人が増えますよ? あなたはただ、流れに身を任せていればいいのです)
「で、でも……」
(あなたがどんなに優れた癒師でも、すべての人を救うことなど、できません)
「私一人では到底無理でしょう。でも、方法なら見つけることはできます」
(フフ、ちゃんと、わかっているじゃないですか)
「ですね。ありがとう、私」
 えっ? 私?
 ハッと気づくと、私の周りに人だかりができていました。
「幽霊でも見たのかい?」「この娘(こ)もヴィステリアに頭をやられたんだわ」「スカーフをしなさいっ!」「うつるから離れて!」
 居たたまれなくなった私は、右も左もわからずに駆け出しました。
 三歩も行かないうちに男の人とぶつかり、私は尻餅をつきました。
「す、すみません! 私、まだ健康ですから! ほら、咳なんてしてませんよっ!」
「ゴホッ……おや? 君はたしか、氷河航路で海に落っこちた……」
 浅黒い肌の中年男は、スカーフ越しに言いました。
 カーキ色のベストに探検帽子。なんだか見覚えがあります。
「ヒソップ博士?」
「やっぱりそうか。いや、久しぶりだねぇ。ゴフッ……」
「博士もヴィステリアに?」
「仕方ないよ。大学ってのは無茶してでも勉強するか、でなければ遊ぶ奴が集まる所だからね。そんなことより……」
 ヒソップ博士は細い路地に私を連れこみ、小声で言いました。
「癒師はヴィステリアを治療できるのかい?」
「それは、今すぐ治せという意味ですか?」
 博士はうなずきました。
「研究者は、意味のない休暇ってのが大の苦手でね」
「癒術の力だけで即退治というわけにはいきません。ヴィステリアは病魔の一つ一つがとても小さく、数も膨大です。でも、体に備わった自然治癒力を上げて、回復を早めることはできます」
「つまり?」
「つまり、特効療法はないということです」
「そうか……遠方出身の先生はまだ知らなかったか」
「?」
「実はあるんだよ」
 博士は懐から薬袋を取り出し、表に書かれた薬の名前と能書きを、私に見せました。
「抗生物質……」
 近年、カビの一種をもとに特定の病原菌に効く薬が開発された、という話は耳にしていました。
「人類の科学はついに、大自然の創造主から一つ目の勝利をあげたと言われていたよ。そのぐらい、劇的に効いた」
「……」
「そう思っていたんだが……正しいのは、どうやら君のようだ……ゴホッ」
「訳を聞かせてください」
「ここではまずい。私の下宿で話そう」

 ヒソップ博士は長屋アパートの一室で一人暮らししていました。
 博士は十歳になる一人娘を、南の果てにあるコーカスという古都に残し、ヤーバ大学に単身赴任していました。娘さんの面倒は、幼なじみの少年と団地の人々が見てくれるから、心配ないとのこと。
 十歳の女の子が一人で暮らしてるなんて……私は心配でしたが、今はそれどころではありません。
 私は体の防御能を一時的に高める瞑想をして、開けた窓の縁に腰掛けました。風上にいれば、伝染に対する守りは二重になります。
 本が山積みになった机。博士は下のイスを引いて座ると、言いました。
「で、つづきだが、例の魔法の薬が、年を追うごとに効かなくなってきている。それでこのザマというわけなんだ……ゴホッ。ここ数年などは、薬がなかった時代よりも死者が増えているという話だ」
「それは、ヴィステリアにやられて亡くなった、ということですか?」
「他に何があるんだい?」
「効かなくなった原因はまだわかりませんが、それ以前に薬というのは体にとっては異物、積み重なっていけば毒になります。濫用すれば、その分だけ毒を分解して外へ出さねばなりませんから、寝ているだけでも相当な体力を使います」
「じっとしていても過労になる、というわけか」
「その通りです。過労の人は、健康な方がかからないような弱い病魔でも、命を落としかねません」
 博士は腕組みをして、うなりました。