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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(前)】

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 私はほっと胸を撫で下ろしました。たぶんあれが噂の軟膏薬で、彼は病院の帰りです。仕事も早退きしたのでしょう。
 走っていって声をかけると、無精髭の男はニヤけた顔で言いました。
「フフン、外国の若い女も悪くねぇな」
「いや、あの、ですから、私は癒師をしておりまして、あなたの健康のことが心配で……」
「わかってる。わかってるって。島の男じゃ飽き足らなくなって、こっちまで流れてきたんだろう?」
「もう、いいです! 失礼しました!」
「待てよ」
 男は私の肩をつかみました。
 私はそれを振り払おうとして、すぐやめました。
 肉の厚い手が震えています。アルコールのせいではありません。
 男は私を路地へ引っ張っていくと、ダガーと名乗りました。
「なぜ俺が心配なんだ?」
「鉱夫を襲った皮膚病の話を街で耳にしました。あなたはその治療薬とされる軟膏を持っています。それに……」
「それに?」
「……」
 私は透視を使って、男の体をざっと診察しました。
「なんだよ。もうホレちまったか?」
「あなたは今すぐ手を打たなければ、命を落とすかもしれません」
 ダガーさんの顔から笑みが消えました。
「癒師ってのは、人の顔見ただけで悪いかどうかわかんのか? 嘘くせぇな」
「では、労災病院の医者を信じますか?」
 男は腕組みして、しばらく考えていました。
「いいだろう。うちへ来な」
「そ、それはちょっと……」
「なんにもしねぇよ。これに罹ってから、おっ勃(た)たなくなっちまったからな」
「はぅ」
 私は火照った顔をさすりつつ、ダガーさんの後をついていきました。

 ダガーさんの家は、鉱山会社の社宅の二階にありました。
 彼は公休だった同僚二人を部屋に呼ぶと、公開施術を求めてきました。
「あなたさえよければ構いませんが……。皮膚の状態を見たいので、まずは服を脱いでください」
「フフン、積極的な女は嫌いじゃねぇぜ」
「命綱を絶ちたいなら、お手伝いしますけど?」
 私は帰る仕草を見せました。
「あっ、悪かった! もうしません、先生」
 そう言うと、ダガーさんは瞬き一つの間にパンツ一丁となりました。
「こ、これは……」
 噂の通り、肌が紫色に染まっていました。首から下、特に上半身がひどく、背中などはまるで派手な入れ墨のようです。
「知ってるって顔だな」
「癒術書にある『紫皮(しひ)病』によく似ています。ともかく、ベッドで横になってください」
 ダガーさんは私の指示に従いました。
「で、原因は何なんだ?」
「施術が終わったら、お話しします」
 私はベッドサイドに立ち、瞑想をはじめました。
 ダガーさんの病魔が私のイメージの中に入ってきます。鎌首をもたげた大蛇が無差別に毒霧を吐き出していました。
 私は手の中に聖水が入った瓶を現し、栓を抜いて大蛇に投げつけました。聖水は自ら霧散して大蛇をとりまき、あっという間に塩の山に変えました。
 浄化成功です。この病は病魔自体の強さよりも、時間が勝負なのです。ある時期を境に大蛇は強固な鱗を身にまとってしまうため、発見が少しでも遅れると、何をしても勝ち目はありません。
 我に返った私は、大きく息を一つ吐きました。
「これでもう大丈夫です」
 ダガーさんは上半身を起こして体を見ています。
「何も変わってねぇぞ」
「病の種は取り除きました。体調は一週間くらいで回復するはずですが、皮膚の色が元通りになるまでにはひと月かかります。少しの間、我慢してください」
「って言われてもなぁ」
 ダガーさんは同僚二人に目線を送ります。
 男たちは肌のグロテスクさに恐怖を覚えた様子で、ただただ苦笑いを返すだけでした。
「本来なら、皮膚が元通りになるまで見守りたいところですが、あいにく旅の資金が底をつきかけていまして、その、何と言いますか……」
「そんなに怖がるなよ。あいにく女には困ってないんでね」
「そ、そうでしたか……」
「それより原因だ。事によっちゃあ、空き部屋を貸してやってもいい。俺の権限でな」
 ダガーさんは社宅のボス的な存在のようです。
「その昔、見るたびに色が変わる奇石を身につけた人が、もれなく紫皮病になったという記録があります。その後、謎の奇石は『呪われた石』とされ、採掘場所には誰も近づかなくなったそうです」
「なんだと?」
 ダガーさんの顔が強ばりました。
「度重なる戦のせいで、大陸では歴史書の多くが燃えてしまったと聞きます。エルダー諸島にはそれらの写本の一部が伝わっています」
「アスペン鉱山は、最後の大戦の後に発見された新しい山のはずだが……」
「千年あれば、自然は山を元通りにできます」
「ってことは、俺たちの部門がたまに掘り当てる、玉虫色の石ってのは……」
「すぐにやめさせないと!」
 私は服を着直したダガーさんと一緒に社宅を飛び出しました。


 第二十二話 毒の光

「ばかばかしい。おまえほどの男が、魔女の言いなりになるとはな」
 鉱山長は大笑いしました。かつて現場で苦労した人なのでしょう、顔に古い火傷の跡が目立ちます。
「俺一人ならそうかもしれねぇが、倒れた奴は全員、同じ部門なんスよ」
 ダガーさんはそう言うと、上半身裸になって肌の紫色を見せました。
「や、やめろ。見苦しい。辞めたけりゃいつでも言え。代わりはいくらでもいるからな」
「そうしたい所だが、今はまだ無理っスね。あの原石を加工した奴も、売った奴も買った奴も、石の呪いにやられちまう。はやくしねぇと、オピアムの街はパニックになっちまいますぜ?」
「フン、なかなか昇進できねぇから、辞めちまう前に会社に一泡ふかそうってんだろう? 俺は騙されんからな。おまえはたった今、クビだ!」
「忠告はしたぜ。サツに見つかってムショにぶちこまれても、知らねぇからな」
「早く出ていけ! そこの魔女もだ!」
 鉱山長は、事務所のドア横に控えていた私を指さしました。
 そのとき、ドアがバァンと開いて、男が駆けこんできました。
「ボス! 西地区の社員が一人、死んじまいました!」
「事故か?」
「いえ、皮膚病にかかった連中の一人です。医者は死ぬような病気じゃないって、驚いてましたが」
「……」
 鉱山長は、服を着直した無精髭の男をちらと見ました。
 ダガーさんは肩をすくめます。
「だーから言ったじゃねぇか」
「ク、クビは撤回だ。現場へ行って、部下を止めてこい」
「あァ? 誰に向かってものを言ってる」
 鉱山長は視線を落とし、力なく言いました。
「すまなかった」
「もう一声欲しいね」
「その仕事が終わったら、昇進を約束しよう」
「じゃ、行きましょうか、先生」
 ダガーさんは私に言うと、事務所を出ていきました。
 私は追いかけていって、彼の腕をつかまえました。
「仲間が亡くなったというのに、あなたって人は……」
「俺がトップになれば、下っ端どもにもっと楽な暮らしをさせてやれる。悪いが、さっきのは見なかったことにしてくれ」
「……」
 言い返す言葉をいくつか用意していたのに、どれも役に立たなくなってしまいました。
「と、とにかく、急ぎましょう」

 ダガーさんの一声で、件の現場の作業は中止され、鉱夫たちが穴からぞろぞろ出てきました。