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「妄想」出張版
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僕について

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 バイノーラル録音をやってみたい。要は聴いている人の頭を中心として、音を立体的に録音することだ。聴いていると、まるでその音を録音した場所にいるかのような感じがする。これが数百円で出来るという記事をたまたまネットで見つけてわくわくして読んだのだが、マイクを半田で固定しなくてはならなかったり、肝心の録音を操作するレコーダー部は勘定に入ってなかったりと諸々のことで断念した。
 バイノーラル録音とは耳の位置にマイクをとりつける録音方法で、全く耳で聴いているかのような音が集められる。音が頭を回りこむ、音が近い方の耳がたくさんの音を拾う様がよくわかる。音がどちらでなっているか、どのくらいの近さでなっているか、どのように移動しているか、耳で理解できる。マイクはイヤホンのように耳につっこむものを始めとして頭部にとりつけるものが一般的で、音楽を聴いてるのかと思いきや実は録音をしているのだぞという感じになる。
 僕は純粋にバイノーラル録音は素敵だなあ、やってみたいなあと思っていた。とりわけ僕にその思いを抱かせたのは、雨が降って湿ったアスファルトの上を一台の車が通り過ぎる音。先駆者がインターネットで世間に発表しているのを見つけたのだ。僕は自慢出来るほどに集中力がないので、そういう邪魔にならない音声によって適度に意識を散らしながら、やらねばならぬことをしたかったのだ。
 素敵な趣味にお金をかけるのは素敵だが、なかなか未知のものにたくさんのお金と手間をかけたいとは思えない。大体その素敵さは人に評価されて初めて素敵になる訳で、まあそれは放っておいたとしても、僕がバイノーラル録音をやってみたい理由はそのような単純な興味がその一。しかしいざバイノーラル録音が出来る道具を手に入れたならきっと僕はバイノーラル録音やってるんだぜの件を色んな人に言って聞かせたりブログで音源を公開したり、口で伝えられる近くの人をはじめとして、ネットの回線を通して遠くの人にも僕を伝えるだろう。指輪自体に価値があるんじゃなくて指輪が買える自分に価値があるみたいなもので、バイノーラル録音をやっているという事実でもって僕は僕の価値を持ち上げようとしていることになる。
 そう考えてしまうと、そもそも僕が僕以外の人のためにやることなんてあるのだろうか、という考えに至る。僕が彼女に誕生日プレゼントをあげて彼女が僕に感謝をしたら、それでもう僕の評価に何がしかの影響がある訳だし、更にそれが原因で彼女が「彼の誕生日にも何がしかを差し上げなければ」と考えたならばそれでもう発端である僕のプレゼントは将来の僕に対する投資ということになる。直接相手に対してする行為でなくとも、例えば僕が「この街をきれいにしたい」という純粋な気持ちのみによって無償の清掃活動に勤しんでいたとして、そんな僕を見た人は一体僕をどう思うというのだ。僕は「ボランティアで清掃活動をするなんて偉いだろ?」なんて気持ちを微塵も持ち合わせていなかったとしても、ゴミを拾う僕に対して「偉いなあ」「感心感心」「彼って意外とそういうところあるのね(ドキッ)」みたいなことを思うのではないか。何か行動を起こす人のそもそもの思いの丈は放っておいても、何をやっても結果的に自分のところに何がしかが舞い降りてくることになる。ということは僕の大きさは僕の努力によって変えられる、僕が頑張れば僕自身を大きくすることができるということなのではないか。肝心なのは人と接すること、他人の目に触れること、そういうポイントさえ押さえておけば、この世は僕の評価に関する諸々のことを簡単に数値化できる、何でもかんでもほいほいと足し引きされてしまうようになっている、そんな気がしてくる。
 するとバイノーラル録音をやってみたい理由のその一がその二になり下がり、はなから僕の成長のためにバイノーラル録音をやってみたくなる。結局何をやっても自分のもとに返ってくるのなら、最初から目先のものより終点の眺めを見越して行動した方が利口であると思われた。僕らはそのように頑張ればどうにでもなることが出来る。ああやはり僕らは人との関わりを通して存在しているのだなあなどとそういう境地が今ならはっきりと理解できる。もう僕は、僕がバイノーラル録音をすることによって得られる本源的利益と派生的利益とを確認してしまって、純粋な態度でもってバイノーラル録音と接することのできない身体および脳味噌になってしまった。もはや「ねえねえバイノーラル録音って知ってる?」と相手にふっかけるだけで中々通な男なのではないかとすら思える。僕はバイノーラル録音を知っているんだぜ。ちょっとやってみたいなとか、思ってるんだぜ。
 しかしながら僕はこの件そのものが訴えかける事柄の価値、即ち自分の行動とその見せ方次第で好ましい評価が他人から得られるというその内容よりも、そのようなことを考えられたという事実に対して価値を感じていた。つまり価値は僕の外ではなく、僕の内にあるもの、僕自身であるのだ。今僕に必要なのは僕の行動を見せつけることによって僕にとって好ましい評価を抱いてくれる大勢の他人ではなく、今僕はこんなことを考えているのだよというようなことをだらだらと聴いてくれる親密な一人であった。まあ件の方法によって一人を獲得出来るのならばそれでも良いが。あわよくば異性で、僕との結婚を許してくれる人が良い。だが中々に僕がこのようなことを考えついてしまう人間であるということをアピールする機会がない、そもそもそんなアピールを聞いてくれる人がいたならばもうその人こそが求めている相手ということになる。
 僕は何に関してもいらぬ考えを回してしまう、あまり良くない意味で思慮深い人間であったが、たまにその思慮がある結論を持って終点へ到着したり、そこまで辿りつかないまでも中々に自分で面白いと思えるような道筋を行ったりすると、そのような考えを自分だけのものにしておくのは勿体ない、誰かと共有したい、そしてその考えに対する意見を聞きたいなどと思うのであった。やはり僕はそんな話をたっぷりと聞いてくれる妻がほしい。欲を言えば、そんな僕をちょっとでいいから褒めてくれて、すごいねって、言ってくれるような。そんなことを思いながら、街を行く見知らぬ女子を見つめることが僕にはよくあった。
作品名:僕について 作家名:「妄想」出張版