掌編「箱」
冷たい金属の感触に焦る。もうすぐ学校だというのに外し方の検討がつかない。
朝食に呼ぶ母の苛立ち混じりの声に急き立てられるようにとりあえず制服に袖を通す。箱は両目に当たる部分に小さい引き戸のようなものが取り付けられているので視界は確保できた。
いつもより数段重くなった頭を抱えて階段を下りる。顔を合わせるなり当然のように母に箱のことを咎められた。
何と説明したものか迷ったがどうしようもないので事実をありのままに告げた。年のせいか最近とくに頭がかたくなってきた母に通じるはずもなく真っ赤になって怒る。
苦し紛れに口にも戸がついているので食事には困らないというと母は意外なくらいあっさりと引いた。
母にとってせっかく用意した朝食が片付かないというのは何よりも恐ろしい。
受験を控える私は余計なトラブルを回避できたことに感謝する。
私が朝食を食べ終えたことに満足したのか母は上機嫌になり玄関先から私を見送る。
普段よりも余ほど恵まれた登校に私も少し気分が上向くのを感じる。箱がもたらした幸運。
頭が重いので登校には普段以上の時間がかかる。頭が箱に覆われても私は私なので当然すれ違う友人達は私にちょっかいをかける。
頭を押され肩を叩かれる度にバランスの取り方を分かっていない私はよろめきあちこちに頭をぶつけてしまう。
それでも私には文句が言えない。逆の立場であれば私も同じことをするのは明らかだ。ただでさえ今の生活には潤いが足りない。
学校についたとたん今度は担任の教師に見咎められる。
黒板は見れるので大丈夫ですと言ったら教師はさすがに母のようにはいかずしかし授業は聞き取りにくいだろうと言われた。
確かに叩かれる度に音が反響したせいで耳がおかしい。何より私のこの姿は風紀を乱す。
しかし最終的に教師も授業について行けることに妥協せざるを得なかったのか始業の鐘を合図に私は解放される。
教室に入り普段より狭くなった視界で授業を受ける。耳が治っても聞き取りにくいことに変わりはなく辛うじて問題なくノートを取れることだけが私の心を癒した。
昼休みのサッカーのとき固くなった私の頭がいつもより強力なヘディングを決めた。それがきっかけにヒーローとなった私はようやく仲間の奇異の視線から開放される。
散々に持てはやされた私は良い気分で午後の授業に臨む。
箱は少しへこんだものの依然として私の頭を覆っていた。
終わりの見えない負荷に首の筋肉が限界を訴えるが親切な友人の助力を得ることで私はどうにか通常の生活を送ろうとする。
体が追いつくまでの辛抱と思い数日が過ぎる。
多少の不便を感じつつとりあえず一人で生活できるようになった。更に教師も徐々に私の境遇に理解を示したところで初めて私は光明を見た気持ちになる。
これで心おきなく受験に集中できると思ったところでその友人に声をかけられる。お前履歴書の写真どうするの。
私は俄かに焦りを覚えとりあえず糸ノコで切れないかどうか試しだす。