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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~第二部

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 けして今風のイケメンではないが、誠実さと真面目さがウリで、穏やかな人柄は若い部下からも慕われるらしい。これで、得意の〝笑えない親父ギャグ〟の連発という悪癖がなければ良いのだが。
 夫は人を笑わせるのが好きで、とにかく、ギャグを口にしたがる。高校・大学時代は吉本に就職して芸人になりたいと本気で思っていたこともあるというが、吉本に行かなくて正解だったと言わざるを終えないだろう。
「今、何時だ? まだ朝の四時じゃないか。こんな時間に電話をかけてくるなんて、全く、非常識な奴だな」
 いつもは滅多なことで不機嫌な表情を見せない夫が珍しく不快感を露わにしている。
「ごめんなさい」
 萌は従姉の名前は出さずにひと言謝ると、もう一度眠ろうと眼を瞑った。
 しかし、なかなか寝付けない。
 枕許にセットしてある目覚まし時計は確かに、午前四時きっかりを指している。
 どうにも眼が冴えて眠れそうにない。萌は仕方なく布団から出た。花冷えという風流な言葉がぴったりの膚寒い四月の早朝で、パジャマの上にニットのカーディガンを羽織っただけでは足りない。夫は再び眠ったのかどうか、こちらに背を向け布団に埋もれていた。
 子ども部屋のある二階へと続く木の階段は、素足の脚許から冷気が這いのぼってくるようだ。
 子ども部屋のドアをそっと開けると、中にすべり込む。二段ベッドの下に姉娘が、上に妹娘が眠っている。
 小学六年の萬(ま)里(り)は、最近、随分と無口になった。つい去年くらいまでは毎日、学校であったあれこれをそれこそ機関銃のような速さで喋っていたものだった。
 まあ、我が子もそろそろ思春期に入ったということなのだろう。口数が減った他は、別にたいした変化は今のところないようだけれど、これからはもっと変わってくるものなのだろうか。
 萌自身には、こういった思春期特有の変化は殆どなかったに等しいので、今一つ判らないというのが本音である。元々、上背のある夫に似て背の高い萬里は、もうとっくに慎重百五十五センチの萌を追い越している。
 心も身体も、娘はこうして親を超えてゆく。母親としては娘の成長が嬉しいような、どこか淋しいような複雑な心境でもあった。
 それでも、眠っている顔は、まだ十二歳のあどけない子どものものだ。萌は萬里の額にかかった前髪に少し触れてみた。ムニャムニャと何か寝言らしきものを呟き、寝返りを打つ娘を見ていると、優しい気持ちになってくるのが不思議だ。
 この子が赤ちゃんの頃から、萌は一体、どれだけ、こうしてこの子の寝顔を見たことか。その度に、些細な失敗で沈んだ心をこの子が慰め、明日を生きるささやかな希望と勇気を与えてくれた。
 小さな梯子を上り、次に上のベットで眠る次女芽(め)里(り)の寝顔を眺める。三年生になっても、まだまだ低学年気分の抜けない末っ子は、良い意味でも悪い意味でも実に楽観的だ。どこか神経質なところのある萬里と比べ、この末娘は底抜けに明るく、およそ物事を突き止めて考えることのないタイプだ。良く言えば、大らかだし、反対に言えば、少々軽すぎる。
 従姉の性格を芽里だとするなら、萌はどちらかといえば、萬里の性格に近いだろう。子どもの頃から、二人で遊んでいて何か問題が起きたときも、いつも、あっけらかんとしているのは亜貴の方だった。
 いつだったか、祖父母の家で追いかけっこをしていて、祖父の大切な有田焼の壺を割ってしまった時、亜貴は泣きじゃくる萌ににっこりと笑ったものだ。
―どうせ、壺はいつかは割れるものよ。
 しかし、祖父が退職金の一部をはたいて買ったという壺なのだ。萌はどれだけきつく叱られるかと想像しただけで、もう涙が止まらなかった。
 割れた壺を見た祖父は白いたっぷりとした眉をぴくぴくとひくつかせたものの、結果として、萌たちは大声で怒鳴られることも、お尻をぶたれることもなかった。ただ、それからは祖父の収集した骨董品が飾ってある客間への出入りは出入り禁止になったことと、母と母の妹―つまり亜貴の母が二人で資金を出し合って、祖父の大切にしていた有田焼と似たような壺を買って返したということを後に聞かされて知った。
―ほらね、だから、私が言ったでしょ。叱られもしない中から、泣いたって意味がないって。萌ちゃんは、子どもの癖に苦労性なのよ。
 事後、亜貴は笑いながら萌に言った。その時、確か亜貴が八歳で、萌が六歳くらいだったと記憶している。
 元々の性格に加え、小学三年になったばかりの芽里は、まだまだ無邪気な年頃である。いずれこの子たちはもっともっと成長し、大人になれば自分たちの許を離れてゆく。
 そうなった時、自分は結婚当時同様、夫と二人暮らしに戻るのだ。史彦はけして女心をくすぐるような科白は口にしないし、それができるようなタイプでもないが、基本的に心遣いのできる男だ。まあ、あの笑えないギャグに付き合うのはいささか骨が折れるかもしれなくても、今のように適当に聞き流していれば良い。
 いつか亜貴がぽつりと洩らしていた。
―皆、私のことを仕事しか眼中にないキャリアウーマンだと思ってるけど、本当は結婚もしたいし、子どもも欲しいの。
 亜貴は広告代理店の総務課にいる。短大を出てからもうずっと勤続しているわけだから、立派なベテラン社員だ。結婚前は一般企業に就職していた経験もある萌だが、専業主婦となって久しい。
 そんな萌でも、結婚もせず、独身で同じ会社に二十年以上も勤め続けていれば、社内で耳にするのは賞賛だけでなく、不愉快な陰口も多いであろうことくらい想像はつく。四十三歳の亜貴は、既に立派な〝お局〟だった。
 そういえば、亜貴は四人の遊び仲間の中では、いつもお母さん役だった。祖父の家の隣に、やはり歳格好の似た姉妹がいて、亜貴と萌の丁度良い遊び仲間になったのだ。亜貴は幼いのに、妙にお母さん役が板についていた。
 亜貴は一人っ子なのに、いつも他人から〝いちばん上のお姉さんでしょ〟と言われる。恐らく面倒見の良い姐御膚のところがして彼女をそう見せているのだろう。
―仕切り屋って、損な性分ね。
 とも。
 そんな亜貴だから、たとえ年下とはいえ、二年も同棲した隆平との関係はできるだけ早くきちんとしたものに―結婚したいと―と考えていたはずだ。だが、見かけによらず、細やかな気遣いのできる亜貴は、隆平が写真学校を卒業するまで、或いはプロのカメラマンになるという夢にもう少し近づくまではと遠慮していたに違いない。
 もっとも、女のヒモ同然の暮らしを送るあの良い加減な男に、そもそも夢や目標があったかどうかは疑わしいものだけれど。
 亜貴の切ない女心を利用した挙げ句、裏切った男を、萌は到底、許せなかった。
 やはり、亜貴のヌード画像が流失したあの事件の時、もっときつく言ってでも、あの男と別れさせるべきだったのだ。たとえ大好きな従姉に嫌われることになったとしても、亜貴があの下劣な男に泣かされるのを見るよりはマシだった。
 従姉の何度目かの恋は、こうして終わった。十五歳年下の恋人には、実は別の女との間に子どもまでいた―という実に低俗な昼メロドラマか不倫小説のような顛末を迎えて。

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