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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~第二部

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闇に響く音


 ぬばたまの闇一色に包まれた視界の底に、萌(もえ)はいた。彼方から、かすかに響いてくる音がそうでなくても波立っている萌の心を更に揺さぶる。
 一体、あの音は何? 
 萌は烈しい焦燥感を憶えながら手を伸ばしてみるけれど、手は闇雲に宙をさ迷うばかり。
 その間にも、音は次第にはっきりと聞こえるようになり、萌は今度こそハッと眼を開いた。
 ―電話が鳴っている。
 ちらりと見ると、枕許に置いた携帯電話からユーミンの〝雨の街を〟が流れている。お気に入りの曲を着信用のメロディに使っているのだ。
 今時の若い子―自分の娘たちにユーミンなんて言っても、実は結構知らなかったりすることが多い。バブルが弾けた華やかなりし時代に青春まったただ中を過ごした萌は、松任谷由実ことユーミンが飛ばす数々のヒット曲を耳にしてきた。
 今年、小学校六年になる長女は〝いきものかがり〟のファンで、ピアノで弾くお得意の曲は〝KARA〟、小学三年の次女は〝AKB48〟に憧れ、テレビの歌番組をチェックしては、画面を見てアイドルたちの真似をして躍っている。
 むろん、アラフォーの萌だって、娘たちお気に入りのアイドルの名前くらいは知っているが、所詮は、名前止まりだ。生きものかがりなんてグループ名を初めて聞いたときには、妖怪の名前か妖しいまじないでもする呪術師かと勘違いしてしまったくらいだ。
 AKBに至っては、なかなか憶えられず舌ばかり噛んで、娘たちに〝ママもトシね、AKBも知らないの〟なんて言われて真剣に落ち込んだ。
―要するにおニャン子クラブみたいなもんでしょ。
 と自棄で言ってやったら、〝マジで古すぎ〟と爆笑され、余計なひと言は言わない方が良いと悟った。
 萌は布団の上に身を起こし、内心の焦りなど嘘であるかのようにゆっくりと手を伸ばした。
 ユーミンの曲はまだ流れている。彼女は苛々と携帯をonにした。
「もしもし」
 だが、受話器の向こうからは何も言ってこない。
 沈黙は逆に、萌を雄弁にさせた。
「―もしもし、どちらさまですか?」
 突如として、女の低いすすり泣きが聞こえた。オカルト番組でもあるまいに、冗談は止めて欲しいと思いつつ、声に力を込める。
「もしもし、どちらさまでしょうか?」
 もし、これで相手が応えなければ、電話を切るつもりだった。
 ところが、である。受話器の向こうから聞こえてきたのは、何と知らないどころか、聞き慣れた従姉のものだったのだ!
「萌(もえ)ちゃん、ごめんねー」
 萌は戸惑いながらも、続けた。
「亜貴ちゃん、突然、ごめんねなんて言われても、何をどう応えたら良いのか判らないよ」
 西浦亜貴は、萌の母方の従姉である。萌の母は二人姉妹で、亜貴は母の妹の娘に当たるのだ。亜貴も萌も互いに一人っ子同士だったので、彼女たちはまだ物心つくかつかない中から姉妹のように育ってきた。母親同士も仲が良く、休日になると家族ぐるみで行ったり来たりしていたものだ。
「だから、申し訳ないからさ、ごめんねって謝ってるんじゃない」
 あまり呂律の回らない口調で繰り返す亜貴に、萌は優しく言った。
「別に申し訳ないなんて、思わなくて良いから」
 実は、彼女が深夜に電話をかけてきたのは、これが初めてではない。以前にも、一度だけあったのだ。そのときは確か、当時付き合っていた恋人から一方的に別離を切り出されたと泣いていたのではなかったか。
 何となく嫌な予感がしてならない。
「それよりも、亜貴ちゃん。今、どこにいるの? お酒を相当飲んでるんじゃない? まさか、路上で一人ぼっちなんて言わないでよ」
 少しだけ冗談めかして言うと、亜貴が力なく笑った。
「まさか、幾ら私でも、そこまではしないわよ。ちゃんとマンションの自分の部屋までは帰ってるから、安心して」
 マンションにいるからって、あんまり安心もできないけどとは言わずにいると、亜貴はまだくどくどと同じ科白を口にする。
「本当、ごめんね。こんな遅くにいきなりかけちゃってさ」
「もう、良いってば。で、どうしたの? 何か、あった?」
 萌がさりげなく問うのに、亜貴が涙声になった。
「もう、隆平(りゆうへい)なんて、知らない」
 それだけ言うと、後は堰を切ったように泣き出してしまった。
「どうしたの、隆平さんと喧嘩でもした?」
 鹿井(しかい)隆平、従姉の十五歳下の恋人だ。何でもフリーターをしながら、写真学校へ通っている苦学生らしい。らしいというのは、あくまでも萌は、その隆平という男について何も知らないからだ。
 高校のときに暴走族に入って身を持ち崩して中退、親からも勘当されていた少年がある日突如として写真に目ざめ、カメラマンを目指すようになった―と、亜貴は隆平なる男の言葉を鵜呑みにしているようだが、果たして、その話にどれだけの信憑性があるのかどうかは疑わしい。
 隆平はコンビニやガソリンスタンド、回転寿司屋など色々なバイトを掛け持ちしており、亜貴とはコンビニのレジ打ちをしているときに知り合った。亜貴の暮らすマンションの一階に、そのコンビニが入っているのだ。
―写真コンクールに出す作品のモデルになって欲しいって言われてね。
 と、亜貴は実に嬉しげに語っていたが、内実は、ヌードモデルであった。
―亜貴ちゃん、そんな妖しげな男の言うなりになって、大丈夫なの? 
 むろん、萌は一応異を唱えてはみたけれど、今時のいかにも美男(イケメン)らしい隆平は巧みな話術と爽やかな笑顔で従姉の心を打ち抜いたようで、亜貴は萌が何を言おうと取り合いはしなかった。
 実際、隆平が撮ったその亜貴のヌード写真は、何というコンクールに出品して、その後どうなったのかすら判らない。隆平自身が亜貴に何も語らないのだそうだ。
―ねえ、こんなことを言いたくはないんたけど、まさか怪しげな信用できないアダルトサイトなんかに投稿されてるってことないわよね?
 写真を撮られた亜貴本人も知らない中に、インターネットにアップされてるなんてことも、全くないとはいえない。聞くところによると、その手の写真を投稿して、バイト代わりにして稼いでいる素人カメラマンもいるという話だ。
―隆平がそんな馬鹿なことをする筈ないでしょ。
 亜貴は萌の心配を笑い飛ばしたけれど。
 その話を忘れた頃、萌は女子大英文科時代の親友のユッコこと斎藤友紀子から連絡を受けた。ユッコは亜貴とも顔見知りで、萌たちは三人でお茶をしたり、映画に行ったりしたことがあるから、亜貴の顔を見間違える筈もないのだ。
 そのユッコが偶然、旦那の所持しているDVDの中に亜貴のフルヌード画像を見つけたというのだ!
 最初、萌は信じられなかった。だが、ユッコに送って貰ったDVDのコピーには、間違いなく全裸の亜貴の画像が入っていた。
 萌はそのことを亜貴に言うべきかどうか迷ったが、結局、言えなかった。夫に相談すると、すぐにそのDVDを作った会社や販売元を調べてくれた。萌の夫に言わせれば、H社は中規模どころのアダルト関係のグッズやビデオ、本を製造・販売している会社だという。