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珈琲日和 その15

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「そうね・・・誰かが私の好きなお肉をたくさん持ってきてくれるだとか、家に帰ったら誰かがお肉パーティを開いていてくれるだとか、食べたかったお肉が安くなっていただとか」
 そうぬけ抜けと当たり前のように言う彼女に、私は思わず爆笑してしまいました。
「あはははっ!随分と現実的な素敵な事だね。じゃあ、その道理でいくと、君の言う素敵な人っていうのはそのお肉を持ってきてくれた人の事かい?」
「違うわ」と、私の爆笑も何のその。一向に介さずに彼女はあどけない顔をして、首を横に振りました。首元を赤いマフラーでグルグル覆われたその様子がコケシのように可愛らしくて、あまりにおかしくて滲んだ涙を吹いた私は再び笑ってしまいました。
「あなたみたいな人の事」
 そんな事をぬけ抜けと言って退ける彼女が、雪原に昇った真昼の太陽のように眩し過ぎて、私にはもったいないくらいでした。空は完全な曇りと言う訳ではないのですが、何かを秘めたような透明な庭園水晶を砕いてごく薄い絵の具にして何重にも塗り重ねたような雲がゆっくりと散歩でもするようにして行き過ぎていくのですが、時々、切れ目から幾筋かの光の帯が夢のように伸びるのです。その光景を、私と彼女は小高い丘にある古い造りをした図書館の前から眺めるのです。
「僕は君に会えて良かった。これからも一緒にいよう」
 まるでドラマや映画の中のような在り来たり過ぎる台詞を言ってしまうのは、それしか適当な言葉が出て来ないのは、やはり私も沢山の例に漏れず、在り来たりな幸せを噛み締めていたからに他ならないでしょう。ところが、予想に反して、彼女は少し微笑んだだけで、何も返してはくれませんでした。ただ、空を見上げて「本当に綺麗ね」と一言口にしただけでした。
 その頃、彼女はこれから確実に名を上げていくだろう実力のある、飲食会社に勤めるキャリアウーマンでした。かたや私はちょっと名の知れたレストランのコック長。彼女と出会ったのも、私の勤めるレストランに彼女が食事に来てくれた時の事でした。彼女は大好物のカツレツを頼み、それを調理したのが私でした。そのカツレツを一口食べた彼女は甚く絶賛して、是非作った人に会ってみたいとウエィターに申し出たのでした。うちのレストランは、有名とは言えずとも、隠れた名店のような存在だった為に、こんな事はよくある事だったので、私は特になにも気にせずコック帽だけ脱いで、彼女の待つテーブルに向かいました。
「あたし、こんなにお肉の持ち味をわかっている人には、今まで会った事ないわ」
 それが彼女の第一声でした。そう言って太陽のように笑いながら又美味しそうに切り分けたカツレツの一切れを上品に口に運ぶ彼女に、私は思わず見とれてしまいました。私もこんな風に眩しい人には会った事がなかったからです。そこから、彼女は月に2〜3回くらいのペースで、常連として店に通ってくれるようになりました。そんな付き合いが半年程続いた頃、最初にデートに誘い出したのは私でした。彼女は快く二つ返事で了解してくれました。
「あたしも、前から行きたいなと思っていたの」
 これ又映画やラブストーリーの小説のように、成り行きや進行、何もかもが順調の筈でした。彼女は私といる時は本当に楽しそうにしてくれて、何をしてもよく笑ってよく食べました。なにも問題等ないように私には見えたのです。けれど、いつからか、彼女からの電話が減ってきて、会っても笑顔は変わらないのですが、以前のように一緒になにかを食べに行こうとも言わなくなったのです。私は彼女の好物のカツレツをご馳走するから、店に来ないかと誘いましたが「ごめんなさい。ちょっと用事があるから行けないの」と言って断られました。それでも、私は心配等しもしませんでした。あんなにお気に入りだった私が作ったカツレツを、肉好きの彼女が嫌いになる訳がないと、高をくくっていたのです。
 丁度その辺りからでした。私がコック長を勤めるレストランの客足が徐々に遠退いていったのは。彼女も含めた今までの常連のお客様があまり通って来られなくなってしまったのです。それどころか、一見のお客様も又いらっしゃるという事がありませんでした。そう。レストランが経営の危機に見舞われたのです。けれど、お出ししているものは同じメニューで、味も今までとなんら変わりはありませんでした。材料や調味料を変えた訳でも、接客が変わった訳でもない。かと言って、クレームがあった訳でもないのに、突如としてお客様達がいらっしゃらなくなってしまったのです。私は毎日、四苦八苦しては材料の見直しや、メニューの構成を考えましたが、全てが無駄でした。スタッフは一人辞め、二人辞めして日に日に店の活気もなくなっていきました。
 そんな中、長期間連絡が途絶えていた彼女が、ある夏の日、ふらっと店を訪れたのです。いつもなら昼食時間帯の一番混んでいる時間なのに、店は見事にがら空きでした。外はもの凄い猛暑が続いているというのに、近所のラーメン屋や定食屋の方が行列を作っていると言う情けない有様でした。今や店長と二人という状況になっており、ウエィターもいないので、私が直接注文を伺いに行きました。このところ、店長は店に来ても事務室に籠りっきりでした。お客様自体がいないので、レジに座る意味もないのですから仕方ありません。
「久しぶりだね。元気だった?」
 以前よりも少し肉付きのよくなった健康的な顔色を輝かせた彼女はノースリーブの素色をしたワンピースを着て、相変らず太陽のように笑って僕を振り仰ぎながら「ええ」と言いました。髪が伸び、後ろで一つに結った彼女は前より数倍綺麗になっているようでした。
「いつものカツレツでいい?」
 最近暗い事ばかりが立て続けだった私はなんだか嬉しくなって、そう訊きました。すると、予想に反して彼女は首を横に振って「いいえ」と答えたのです。
「カレーライスを頂戴。クリームコロッケが乗ったの」
 私は驚いてしまいました。どうしてかって、私が作るメニューにはカレーライスなんて載ってなかったからです。思わず首を横に振って「出来ないよ」と言いました。
「作れなくはないけど、個人的にカレーライスは洋食の部類じゃないと思ってる。ハヤシライスとかじゃダメなのかい? 君の好きな牛肉がたくさんあるから・・・」
「あたしは、クリームコロッケカレーライスが食べたいのよ」
 彼女に力強く遮られてしまい、彼女に弱い私は渋々食い下がるしかありませんでした。どうしてカレーライスなんだ。しかも、どうしてクリームコロッケなんだ。材料はありますが、ルーがありません。仕方なくあるものでアレンジです。ニンニク、生姜、唐辛子、ソルト&ペッパー、トマト、アニス、クミンシード、カルダモン、それから調味料の棚を洗いざらい探して奥の方に古くなったターメリックの小瓶を見つけました。使う事はないだろうと思ってわざわざ邪魔にならないように棚の奥に仕舞い込んだのです。クリームコロッケは造作ありません。以前週変わりメニューに海老フライと交互に出していた事があったからです。とりあえずはカレーです。
作品名:珈琲日和 その15 作家名:ぬゑ