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天つみ空に・其の五~白妙菊の約束~

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 松風とあの〝たどん〟では所詮比べようもなく、月とスッポンどころか、同じ女とも思えないほどの差なのは判り切っていそうなものなのに、この妙な引っかかりは一体何なのだろうかと自分ですら合点がゆかない。
 もしかしたら、お逸に必要以上の関心を憶えてしまうことと、松風の存在との間に何かつながりがあるのかもしれないと思う甚佐であった。だが、一見、似ても似つかないこの二人の間にどこをどう探せば共通点などあるのか。そこまで考えて、甚佐は自嘲気味に口の端をつり上げた。
―あのたどんと松風の間に似たところなど、あるはずもないではないか。
 甚佐は楼主としてはまだ情も理もわきまえた男ではあるけれど、それでも、女郎を商いの道具、商品としてしか見ていないのは明らかだ。松風を思い出すのにしろ、何も禿から育て上げた秘蔵っ子に娘のような愛着を抱いているからというわけではない。ただ手放した商品にまだ未練があるからにすぎないのだ。
 やはり、焦っているせいだろうと甚佐は自分に自分で言い訳した。今は、あのたどんのことを考えるよりは、松風に代わる稼ぎ頭を見つけることが先決だ。そこまで考えた時、部屋持ち女郎の白妙はどうかと一瞬、その色の白い貌を思い出した。
 が、即座に首を振る。
―白妙では駄目だ。
 器量はそう悪くはないが、機転も利かず、頭があまり良くない。どれほど出世してみたところで部屋持ちがせいぜい、到底、花魁となって大店の旦那衆とまともに渡り合うだけの才気はないだろう。
 目下のところ、花乃屋に花魁になれるだけの器を持った女郎はいない。―それが甚佐の下した結論であった。花魁になるには美にして賢、ただ美しいだけの匂いのない花では務まらず、あらゆる会話や物事にも臨機応変に対処できる柔軟性、機転、賢さが求められる。
 その上、更に詩歌、音曲、書道、華道とあらゆる道において達人の域に達していなければならない。そんな高級娼妓をそう容易く見つけられるものでも、育てられるものでもなく、時間と根気が必要なのだ。
 甚佐は大仰な吐息をつくと、忌々しそうに愛用の煙管を机に放った。

 お逸がその少女を見かけたのは、多治郎が花乃屋を訪れた翌朝のことだった。多治郎に連れられてきた少女二人にはそれぞれ楼主甚佐自らが名付け親となり、源氏名が与えられる。おゆきは妙(たえ)乃(の)、おろくは紫乃(しの)と名付けられた。
 通常、禿は五、六歳から十歳前後の少女がなるものだが、その中でも特に将来性を見込まれた禿は引っ込み禿と呼ばれ、大事に育てられる。彼女らはその他大勢の禿とは区別され、ゆくゆくは花魁になるべく手習い、諸芸万端から行儀作法に至るまでを徹底的に仕込まれるのが常であった。
 その朝、おしがは廓内に住む者すべてに新入りの禿二人を一々紹介して回った。もっとも花魁である東雲や部屋持ち女郎などの上位の娼妓には二人をそれぞれの居室まで挨拶に出向かせ、その他の大部屋女郎たちは彼女たちが一斉に起き伏しする相部屋まで連れていった。
 お逸たち奉公人のところには来たのはいちばん最後であった。若い衆と女中たちが居並ぶ中、おしがが新入りの禿を紹介してやる。
 女中たちと少し距離を置き向かい合う形で、用心棒の男たちが立っている。
 お逸は、数人ほどの若い衆の後方に立つ長身の男を食い入るように見つめた。
―お逸。
 用心棒になってから、陽に灼け、野性味を増した真吉の深い瞳が真っすぐに見つめてくる。そのまなざし一つで、どうして、こんなに心が震え、胸がかきむしられるように切なくなるのか。
 互いにすぐに近くにいながら、触れ合うこともできず、言葉さえ交わすことの叶わぬ想い人であった。お逸は溢れる想いを込めて真吉を見つめ返す。
 まなざしとまなざしが切なく絡み、見えない熱い焔が燃え上がる。
 やがて、真吉は人眼に立つことを避けたのか、ふっと自ら視線を逸らす。自分たちは、ここでは兄妹という触れ込みになっている。不用意な行動から、あらぬ疑惑を抱かれてはならぬと警戒する真吉のその気持ちが判っていながらも、お逸は肩透かしされたような、物足りない淋しさを感じずにはいられない。
 一体、いつまで自分たちはこうして互いの想いを心の奥底にひた隠して過ごさなければならないのか。
 お逸の胸の奥では、真吉への想いがこんなにも熱い焔となって燃え上がり、自分でさえ持て余す有様だというのに。
 巡る想いに応えはない。今はただ、真吉と我が身の心だけを信じ、刻を待つしかないのだった。
 妙乃と紫乃の紹介がひととおり終わった後、おしがはお逸をちらりと見、
「お前はこの二人と歳も近い。色々と判らないことがあったら、教えておやり」
 と顎をしゃくった。
 花乃屋には現在、五人の禿がいる。新たに妙乃と紫乃が加わったことで総勢七名となった。その中でも殊に眉目良き利発な少女が将来の花魁候補生として引っ込み禿になるわけだが、実のところ、今は、この引っ込み禿は花乃屋には存在しなかった。甚佐の眼がねに叶うだけの禿がいなかったのがその主たる理由である。
 ところが、時ここに至り、甚佐は新たに入ったばかりの二人の禿をいきなり引っ込み禿に抜擢した。そのことは、おしがだけでなく、東雲を初めとする遊女たちにも大きな愕きを与えたのだった。
 お逸はその二人の少女たちの一方―妙乃を見た刹那、不思議な懐かしさを憶えた。最初、何ゆえ、この伏し眼がちの大人しげな少女にそのような感情を憶えるのか自分でも定かではなかったのだけれど、その中(うち)にふとあることに気付いた。
 妙乃はどことはなしに松風を彷彿とさせるのだ。いや、何も容貌そのものの問題ではない。単なる美しさだけでいうなら―美しさの種類は違うが―妙乃よりは紫乃の方がよほど美しいといえる。
 実際、紫乃は愕くほど整った眼鼻立ちをしていた。一方、妙乃はといえば、華やかさとは無縁の淋しげな顔立ちだが、そういう儚げな風情の女を好む男も多い。そして、あの吉原でも一、二を争う名妓と呼ばれた松風花魁こそが妙乃のような儚げな雰囲気を持った女だった。
 もしかしたら、お逸が妙乃をひとめ見て松風を思い出したのは、そのせいなのかもしれない。紫乃は美少女ではあるけれど、どこか険のある―刺々しさがあるように見える。恐らく、それは紫乃のいかにも勝ち気そうな眼許のせいだろう。
 奇しくも、この少女はかつて松風と張り合った競争相手の花魁東雲と雰囲気が酷似している。いずれはお職を張る花魁になるべく育てられるこの二人の少女が妍を競った二人の先輩名妓、松風と東雲に似ているというのは運命の皮肉か、はたまた、不可思議なめぐり合わせであろうか。
 将来は遊女になるとはいっても、大概の禿は掃除、使い走り等、下働きの女中と大差なく雑用をこなすことが殆どであるが、引っ込み禿となれば、同じ禿でも扱いが違う。女郎でも、上位の花魁や部屋持ちと下位の大部屋女郎の扱いが違うのと理屈は同じだ。
 新入りの禿二人が二階の東雲花魁の部屋に改めてご機嫌伺いに行った後、おしががポツリと洩らした科白が実に印象的であった。