小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

永遠の音楽

INDEX|15ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

(十一)




 出征して足掛け七年の月日が経っていた。
 尚さんを乗せた引き揚げ船は昭和二十五年の六月の末に舞鶴に入港したが、すぐには東京に戻れなかった。彼の身体は酷く衰弱し、それ以上の長旅に耐えられないと判断されたのだ。
 シベリアでの抑留生活の過酷さは、先に帰還した元日本兵の話で聞き知っていた。引渡しが始まってから大勢が帰国したように思えたが、収容所での生活で亡くなった人数はそれの何倍、何十倍にも及ぶと言う。生きて祖国の地を踏むことは奇跡に近かったと口に出す人もいれば、帰った姿で偲ばれる人もいた。また目の前に祖国の山並みを見ながら、船の中で息絶えた人もいると聞く。尚さんは二番目の、「偲ばれる」部類だった。船が着岸するや、すぐに赤十字の用意した車で舞鶴市内の病院に搬送され、入院を余儀なくされた。
「ひと月は動かせないだろうと言うことです」
 勤めを休んで尚さんを迎えに行った真之君が、家に帰る前に私の所に寄ってくれた。
「尚さんはそんなに?」
「実は胸を患っているらしく、こっちに帰っても療養所に入らないといけないみたいです」
「胸を」
 私は口ごもる。
 胸を患うとはすなわち結核のことだ。死病のイメージが当時はまだ根強かった。実際は戦前・戦中や戦直後に比べ、医学の進歩と食生活の改善で死亡率が劇的に下がり、「イコール死」とは必ずしも言えなくなっていたのだが。
 東京で療養所と言えば、中野だろう。
「あそこなら国の直轄になったし、良い手当てが受けられる。僕の友人が勤めているから、それとなく気にかけてもらおう」
 長兄がそう言ってくれたので、私は少しホッとした。
 尚さんは長距離を移動出来るまでの体力の回復を待つべく、入院を更に一ヶ月延ばし、暑さが和らいだ九月の始めに東京に帰ってきた。当初の予定通り、中野にあるサナトリウムにそのまま入院した。
 回復した体力は長旅で使い果たされたのか、尚さんの見舞いには半月待たされた。彼はかなり弱っているようだった。容態を問い合わせてくれた長兄によると、結核の方はそれほど進行したものではなく、時間はかかるかも知れないが投薬での完治は難しくない状態なのだそうだ。ただ体力の低下が著しく、予断は許されない。ゆえにしばらく面会謝絶の措置を取っているとのことだった。
 心の準備と言う点で、尚さんとの再会がのびのびになるのはありがたかった。
 正直なところ、会うのが怖かった。病気が理由ではない。会えば尚さんに信乃さんや容子さんのことを話さなければならないからだ。すでに親族から二人の死について聞いているかも知れないが、聞いていたとしても私が話さなければならないと思った。それを聞いた時の尚さんの反応が想像出来ず怖かった。



 九月の下旬になって、やっと尚さんの面会謝絶は解除された。
 私の胃は、期待と不安で痛んだ。初対面で人と会う時の緊張に似ている。最初になんと言葉をかけたらよいのだろうかと迷った。
 尚さんが入院した療養所は鬱蒼とした森の中にあった。立派な枝を空に伸ばし、緑の葉を繁らせた太く大きな樹が多いのは、光合成によって作り出される新鮮な空気を得るために、植え育てられているからだった。
 戦争で焼け野原となった東京は日々復興している。整地され、新しい建物の建築が急がれ、首都機能を取り戻すために時間がどんどん進んでいた。そんな中にあって、療養所は取り残されたかのようなひっそりとした佇まいだ。
 尚さんは個室を与えられていた。個室は肺切除の術後患者や重症者が使用するためのもので私を不安にさせたが、彼の場合は体調が安定するまでの応急措置であった。
扉 を小突くと、「どうぞ」と声がした。懐かしい尚さんの声だ。開けると反対側の窓から入った涼やかな風が吹き抜けて行った。ベッドはその窓際に置かれている。彼は身を起こして座り、入ってくる私を見ていた。
 私は絶句した。
 私の知っている尚さんは、ヴァイオリンを弾くからと言って決して青白い芸術家肌の風貌ではなかった。幼い頃から剣道にも親しんでいたので、長身に見合う筋肉質な体格をしていた。音楽学校の学生だと言うと、たいていの人が驚いたものだ。
 ヴァイオリンを構えた時に上腕の筋肉が浮かんで、信乃さんからよく「演奏家の腕じゃない」とからかわれていた。
「よう、来たな」
 私が音楽学校に入学した折にかけてくれた同じ言葉と声で迎えてくれた。しかしベッドの上の尚さんに、その当時の面影はない。
 頬はこけ、顎は細く尖っている。胸はすっかり薄くなり、鎖骨が異様に浮き出ていた。寝巻きの袖から出ている腕は筋肉の欠片も見当たらず、白い手首に血管が青く透けているが、それはそこだけにかぎらない。全体的に青白いのだ。日焼けした印象しかなかったのに、健康的な色はどこにも見出せない。頬骨の高いところと、鼻の先の辺りが帯となって黒ずんでいた。過酷なシベリアの冬を何度も過ごした際の凍傷の名残だと思われる。
 私が言葉に詰まっていると、
「これでもずい分、肉がついた方なんだぞ。少しはマシになるように、わざわざ面会謝絶にしてもらったのに」
 尚さんは本気とも冗談とも取れる物言いで笑った。それからベッドのすぐ傍に置かれたスツールを指差し、私に座るように勧めた。
 義足にすっかり慣れたとは言え、左足を引きずることは隠せない。座る時もどこか不自然な動きになる。尚さんはそんな私をじっと見つめていた。
「足は大丈夫なのか? 切断したと信乃の手紙に書いてあったけど」
 思いがけず信乃さんの名前が尚さんの口から出て、私の視線は彼に向けられ固まった。
 尚さんはごく普通に信乃さんの名を出した。帰国してすでに三月(みつき)になろうとしていたが、信乃さんと容子さんのことは伏せられている。家族を失ったことを尚さんは受け入れてはいるが、動揺しているに違いなく、これ以上の悲報は生きる気力を奪いかねないと判断されたのだ。もちろん尚さんは二人のことを尋ねた。それに対する真之君達家族の答えは、「池辺さんはいまだ行方不明だが、同様にどこかの収容所にいるのかも知れない」、そして「鶴原さんは実家のある岡山に帰ったまま連絡が取れない」だった。見舞うにあたって彼らから、聞かれないかぎり二人のことは話題にせず、聞かれたとしても話を合わせて欲しいと頼まれていた。
 それが、のっけから危うくなる。
「だ、大丈夫だよ。義足もあるし、歩くには不自由しないから」
 さりげなく固まった視線を緩めた。気づかれただろうかと緊張したが、尚さんは穏やかな口調で「そうか」と言い、
「左足ならペダルを踏むのに不自由しないな。中学校の教師になったんだって? ピアノは続けているのか?」
と続けた。話題が信乃さんに及ばず、ほっとする。
作品名:永遠の音楽 作家名:紙森けい