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黒衣の天使

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 黒衣の天使



 黒衣の天使って知ってるかい?
 
 うん、まあ普通は白衣の天使だよな。此処は外来のナースが薄いピンクで事務員が青色らしいけれど、俺達が会うのはだいたい白服だ。
 でもね、それ以外に黒いナース服を着た女がこの病院にはいるんだよ。もちろん人間じゃない。それが視えるのは俺達のように死の近くにいる者だけだ。君はまだ視たことないんだろ? だからこそ今のうちに話しておきたい。
 俺が初めてそれを視たのは三日前だった。トイレへ行くために病室を出ると、廊下の真ん中で長い黒髪の女が背を向けて立ち尽くしていた。白い病院内で異質に目立つ黒衣は確かにナース服だったよ。突然のことに俺が立ち止まると、その首がゆっくりとこちらへ動き出したから、慌てて目を逸らして何事もなかったかのように女の脇を通り過ぎたんだ。
 あの女はね、今もこの病院の中を徘徊していて、自分の姿が視える人間を探している。昨日、君がベッドの上で読書をしていた時も顔を覗き込まれていたんだよ。
 いいかい、あの女の姿が視えても決して動揺してはいけない。視えていることを気づかれたら死の世界へと連れて行かれる。天使と言うよりは死神だな。このことを俺に教えてくれた根本さんもあの女と目を合わせてしまった翌日に血を吐いてあっけなく死んだ。
 どうだい? 君は俺の話を信じるかい? いやいや、無理に頷く必要はないよ。狂ってると思っているんだろう? 俺だって実際に自分の目で視るまで信じていなかった。病人の妄想だと思っていたんだ。正直に言えば、今も自分自身の正気を疑っている。だから君に話すべきかずっと迷っていた。
 だけどね、昨日の晩、ついに視てしまったんだよ。
 深夜にふと目が覚めたら、あの女が俺を真上から見下ろしていたんだ。俺の顔の上まで垂れた黒髪はつららのように冷たかった。暗闇の中でもはっきりと視える白い顔には一切の感情が抜け落ちていて、その黒い瞳は絶望的なまでに空っぽだった。
 それから後のことは君も知っているよね。あの時、俺が情けない悲鳴を上げたのはそんな理由からだったのさ。
 え? 助かる方法? そうだねえ、あの女に見つけられても生きているっていう話は聞いたことないな。
 俺はね、もういいかなと思っているんだ。どうせ治る見込みのない病だったし、半年前に離婚してから見舞いに来る者もいなくなったからね。あれほど怖くて堪らなかった死が今ではとても自然な流れの先にある安らぎに思える。そういう意味では、やはり天使なのかも知れないな。
 明日まで生きていられるか分からないから、どうしても君に伝えておきたかった。今は与太話だと思って貰って構わないから、記憶の隅にでも留めておいてくれ。
 ああ、そろそろ消燈の時間だね。
 君が黒衣の天使に出会わず無事に退院できることを祈っているよ。

 それじゃあ、おやすみなさい。


作品名:黒衣の天使 作家名:大橋零人